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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
3.ジークフリート・クーベルタンⅡ
37/52

1-5


 俺の心情を察してか、アヴィーは俺と、そして時々マリアも連れて車でよく出かけるようになった。それこそ丸一日、ないしは二日かけて島の端から端へ移動することも少なからずあるほどに。


 目的地らしき場所に着くと電子端末で写真を撮ったりするアヴィーではあるが、尋ねてみても「現場の写真が入用なので」としか答えてはくれなかったため、俺としては何を目的にして出かけているのかは分からないままだ。


 そうやって、ノーラやランスがわざわざ居つく家に定住しないようにしていた六月二八日。教会で急遽行われた婦人会の集まりで、相変わらず頻発する木乃伊化事件を回避するためにイーエッグ島の外へ一時避難してみないかという案が上がったらしい。しかも早急な話ではあったが、翌日である二九日に一団体を試験的に島の外へ連れて行く予定でもあるらしい。幼いマリアを持つ母親として、事件に我子を巻き込みたくないノーラはその避難に賛同した旨を俺たちに伝えてきた。


「その発案はダニエル神父からですか?」


「ええ。それと熱心な信者の方々が後押しをしてくださっていると聞いたわ」


 大きめのキャリーバッグに大量の衣服を無造作に詰めていくノーラの傍らで、必要最低限であろう物を子供用のリュックに詰めていくアヴィー。しかもアヴィーはそれらの物を事細かくマリアに説明しながら入れていた。これではどちらが親か分からなくなってくる。


 そもそも、俺たちが今居る此処は俺の家なのだから、ノーラとマリアが此処で避難の支度をしているのはおかしくはないだろうか。和みつつあった心境が嫌悪と苛立ち、に変わりつつある俺は手元にあった珈琲を口に付ける。勿論コレはアヴィーが淹れてくれたものである。


「ホント、アヴィーちゃんっていい子だよなー」


 テーブル越しに向かいで座れば良いものをわざわざ隣に座り、なおかつ近すぎるほどの至近距離で俺同様に珈琲を飲むランスは続ける。


「兄さん、いっそのことアヴィーちゃんと再婚ってことにはならないのか?」


「それはないな」


 アヴィーが炊事家事選択をまんべんなくこなせる、よくできた娘なのは疑いようのない事実だ。だが、できるからと言って恋人にしたいか、妻にしたいかと問われれば否だ。彼女はあくまで助手として優秀なのであって、女として優秀だというわけではない。それに数か月アヴィーと暮らしてはいるが、俺と彼女の間にそういった恋愛ごとに関するようなことは何一つ無いのだ。唐突に、ふらりと理性が傾くことがあったとしても。


 それにアヴィーが来た当初、ランスは寝ぼけていたのかもしれないが彼女を「蛆虫」と称し、蔑んだのを忘れた俺ではないのだ。そうやすやすとアヴィーを褒めるランスの言葉は信じられない。


「アヴィーも、俺に対してそんなこと考えてないだろう」


「アヴィーちゃん、若いもんなー」


 ランスが鼻で笑い、肩が揺れる。まるで「兄さんよりはるかに若い自分自身になら少なくとも釣り合う」とでも言っているように聞こえた俺は、顔をしかめた。勿論、アヴィーがランスになんの気も抱いていないことは知っているが、「蛆虫」とまで言ったくせに、よくもそんなことが言えるものだと逆に感心してしまうほどだ。それに、お前ごときの誘いに似るような安い女に、アヴィーが見えるのだろうか。嫉妬、というよりもただひたすらの嫌悪では、心の内に巣食う、緑の目をした獣は微動だにしない。


 仲睦まじく支度をする母と子二人を眺める男二人。一見すればほほえましくも見えるであろうその状況の真はどこかねじれ、腐っているようにしか俺には見えてはいなかった。


 そして翌日の金曜、夕方。イーエッグ島の外へ非難するために一旦教会へ行ったノーラやマリアを含めた母子たちが、イーエッグの港町へ向かうはずだった貸切りバスに乗った直後行方不明になったという情報が俺たちのものとに届いた。


 どうやら港から出る船に、彼女たちの誰もが乗り込まなかったことからその事実が発覚したらしい。勿論、今もなお警察を含めた彼女たちの家族が血眼で島中を探しているが、数時間たっても見つかるどころかその痕跡さえ見つけられていないようだ。


 十五年前の事件のことで度々連絡をもらっていたこの町の警察署長からさして収穫のないそれらを聞いた俺は、落胆のため息を吐く。


 バスに乗っていた子供や親たちが木乃伊化遺体にならないことを強く祈る一方、彼女たちはいったいどこへ連れて行かれ、さらに彼女たちが全て木乃伊になったとしたら? 島中に散らばる大量の木乃伊死体。目も当てられない、それこそ悪魔の所業というにふさわしい惨状ではないか。そう、悪魔的。――悪魔的? 発想に思考が追いつく。だが、追いついてしまって本当に良いのか? と自制の念もまた並走する。


 最近ではあまりくつろげる機会のなかった自宅のリビングで、電子端末を弄りながら紅茶を飲むアヴィー。夕食後であるにもかかわらず、買い置きのしてあるドーナツをフォークで刺して食べたり、紅茶を口にしながら電子端末を弄ったりする仕草は俺に邪な感情を抱かせた。


 嗚呼、端末を押す彼女指に触れられたい。そしてその指で、俺の目尻から頬、喉笛をなぞってはくれまいか。いいや、そこまでしなくとも、そう、俺を一度見てくれるだけでも構わない。


 そんな、本人に言えない欲を抱きつつ俺は発想に思考を追いつかせることに、決めた。そうでもしなければこのどうしようもない思考と、リビングの雰囲気を打開できる気がしなかったからだ。


 幸い、家に居着いていたノーラとマリアはバスと共に行方不明となっているし、彼女たち二人の身を案じるランスは外へ出ているから少々込み入った話をしてもアヴィーに厭われはしないだろう。


「なあ、アヴィー」


「はい、なんでしょうジークさん」


 電子端末から顔を上げ、俺を見たアヴィー。金色に輝く彼女の片目が、酷薄そうにみえるその瞳にわずかばかりの優しさをたたえた憂いげな瞳が、俺の望み通り、俺を見つめてくれていた。


「俺はこの事件を悪魔的だと思ったんだが、ベルゼブブという悪魔を彩られている身としてのお前の意見はどうだ?」


 わざわざ「お前の意見」という言葉を使ってアヴィーの意見を求めてみた俺だが、向かいに座る彼女は「悪魔的、ですか……」と言葉を反芻したあと手元の電子端末に目線を戻し、すべての所作を止めた。


 ――悪魔的。この事件に関しそう感じたのならば、ベルゼブブという悪魔を彩られているというアヴィーに直接訪ねてみた方が堅実的なのではないか? というのが、俺の発想だった。そしてそれを非現実だと苛むのが俺の思考である。


 先日アヴィーを含めた彼女の姉妹に関してのみ悪魔の存在を承認しはしたが、それでもやはりその悪魔、ないしはそれに準ずる物の存在を俺は受け入れきれずにいる。もし俺がアヴィーに関すること以外の悪魔、ないしは非現実的なものを受け入れたとしたならば、十五年前から今もなお時折取りざたされる超常現象をも受け入れることになりかねない。そう、すなわち十五年前に起きた同様の事件も非現実なナニカのせいであって、犯人など存在していないのだと、承認してしまうことになるのではないかと、俺は恐れているのだ。


 故に、俺自身の勝手なエゴではあるのだが、すべての事柄に納得するためにも、犯人にはいてもらわなくてはならないのだ。


「アヴィー?」


 先ほどから微動だにしていなかったアヴィーが、ぱちりと瞬きをする。


「今、検討中ですので、少々お待ちください。直に終わりますので」


 検討中? 誰と何を検討しているのだ? と思いつつ、ほんの一分ほど待てば本当に直に終わったらしい。一口紅茶を飲んだアヴィーは「……ボクの見解といたしまして」と、よく通る、落ち着いた声で話し始めた。


「ジークフリートさんのその『悪魔的』な発想は、そう間違ってはいません。ただし、何の証拠が得られていなくとも、十五年前の事件も今回の事件もすべて人の手で行われているのは確かなことです。勿論、バスに乗ったマリアさんたちが行方不明になったことも含めて。ところでジークさん……、」


 俺の名を呼び、そこで言葉を止めたアヴィー。彼女は何かを見定めるようにして俺の瞳を見つめる。


「ジークフリートさんの望みは、『イーエッグ木乃伊化殺人事件』の真相を知りたいというものでしたね。そして、ボクはそれを叶えるために貴方の助手として貸し渡された」


 俺とアヴィーの間にテーブルという異物さえなければ、彼女はきっと俺に差し迫るようにそう言ってくれたに違いない。テーブル越しにも関わらず至近距離にいるかのような錯覚を覚えた俺はほんの少し、上体を引いた。


「ならば、ボクは今その責務を果たしましょう」




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