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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
2 A.あるいはマンモーネ・S・アンヴェリー
31/52

4-3



 悪趣味なデコレーションを施された前菜を捜すとともに、共犯者たちの尾行を行い続けた二か月間。出来立ての前菜や、腐り果てた前妻を見ても心を揺さぶられなくなった頃、ボクは事件の現場ともいえるある場所へと降り立っていました。


 雲ひとつない夜空には、銀色の大きな満月と散り散りとなった星たち。黒い葉を茂らせた木に止まるフクロウは「ホゥ」と囁き、小さな羽虫が灯りと性を求めて彷徨い飛ぶ。淡い月の光に照らされた目的の場所と外界を隔てる大きな扉に対するボクは、アヴィオールの正装でもある常盤色の軍服じみた服を纏っていました。リングタイプのアスコットタイを髣髴とさせる白のスカーフは平らな胸元で小さく揺れています。


 この時までは、よかったのです。そう、この時までは。


 己の力を過信せず、姉妹であるベルフェリカちゃんから再三届いていた諸注意にきちんと目を通し、十二分に現場を警戒していればきっとあのようなことにはならなかったはずなのです。されど行く末を知らぬ当時のボクは、今思うと本当に馬鹿だといえるほど大げさな笑みを浮かべ、目の前の扉を力強く開いてしまいました。


 開かれたその場ではお天道様の下では行えない、疾しいナニカを行っていたようでした。加えてその場にはボクが夜に見て知った顔がちらほら見えもしましたから、紛れもなくここが木乃伊化遺体を作る現場なのでしょう。招かれざる客の出現により、その場にいた連中は各々動揺し騒ぎはじめ、慌てて逃げ出そうとする者も見受けられました。闇で惑う有象の人間たちの滑稽さに腹が捩れそうになりましたが、凛とした声がその場に響けばその滑稽な行いがピタリと止まります。


「静粛に」


 その声の主であろう黒い服を着た男が、嫌悪感をあらわにした表情で真っ向からボクを睨みつけます。人間風情の睨みに屈する気もないボクは堂々とその男を睨み返します。ですが、そのせいでその背後に在るモノをボクは見てしまいました。揺蕩う金の髪を靡かせ、甘美な微笑を浮かべる少女。リリスを、あろうことかボクは見つけてしまったのです。他人の空似かと一瞬思い、自身の目を疑いましたが、このボクが彼女を見間違うはずがありません。


 蜂蜜色の髪、コスモス色のワンピース、瑠璃色の瞳。ボクに発見されたことにより隠す気もなくなったのでしょう彼女自身が纏う溢れんばかりの力がわき出て、満ちます。


 何故彼女が此処に。如何して彼女が此処に。何のために彼女が此処に。回答のない問いがぐるぐると頭の中を駆け巡ります。今回の事件からは彼女の気は全く感じられませんでしたし、今も姿を見るまで彼女がこの事件に関わり、あまつさえこの場に居ることには気が付きませんでしたから。


 ですがそれは、ボクがリリス認識を無意識的に拒んでいたからこそ彼女を認識できなかっただけであり、彼女は自身の存在を隠そうともしていないのです。すべては自分の認識の甘さと愚かさが招いたことなのです。ならば何故今この瞬間、否定し続けていた彼女の存在を認識できたのか。それは此処に居る彼らが強く彼女を認識しているから。彼女の存在を承認し、ラジオのチューナーのようにボクをその意識を承認の方向へと進めてしまったのです。なんと愚かで浅はかで、馬鹿げたことでしょう! 彼女は何時でも何処でも望めば居るも同然なのに!


 リリスの周りと男の足元に描かれた魔法陣。そしてその中心には今宵の生贄だったのだろう干からびた身体、リリスの手には、赤い果実。それを見た瞬間、此処で何の儀式が行われていたのかをボクは察しました。


 ――『罪抜きの儀』。東にあるエデンの園に住まうアダムとイヴは、蛇にそそのかされ善悪の知能の実である赤い果実を食べた。何も知らなかった彼らは恥を知り、無垢を愛する神に見放された。


 そんな彼らが食べた赤い果実が知能の元祖であると同時に子孫につながる罪の結晶であるとするならば、それを抜かれたらどうなるのか。そんなもの、彼女の手にある赤い果実とその足元に転がる干からびた身体。それらが如実に表しているではあませんか。


 何も、知らない無知で、生きる活力さえ根こそぎ奪われた、神に愛でられるだけの時を刻めないかわいそうな人形(木乃伊)。これが楽園へと戻るための唯一の道なのでしょうか。


 ならばボクはそれを拒否します。いくら他人が“そう”なり、“そう”なることが正解だとされても、“そう”なってはいけない。“そう”なるべきではい。“そう”なるわけにはいかない。誰のために? それは勿論お父様のであるS氏の為に。ボクが帰る場所はボク等を創造したという神の元ではなく、S氏という彼の元なのですから。


 これが唯人の仕業であればすべてを食らい、ボクの腸にすべてを収めてやるものを、リリスが居るとそれさえも出来ません。否、むしろ手駒にされ良いように扱われ、捨てられるのがオチです。何しろ彼女にとってボクたち悪魔もお父様もただの石ころ。ボクたちが人間に対して行っていることよりも非道で外道なことを好むのです。しかし当の彼女にとって非道や外道は関係ありません。何故なら彼女はそういう価値観を理解できない存在(モノ)だから。


 ですが今はそんな過去の失態を悔やんでいる場合ではありません。ボクがまずしなければならないことはリリスがいるこの場からの脱出。事態が悪化することはあっても好転することのないこの場に居続ける必要はない、と即時判断したボクは此処から離脱するため闇に溶けようとしました。


 しかしカンの良いリリスの指示によって複数の人間がボクを抑え込み、逃げることは叶いませんでした。嗚呼! 悪魔を彩る器として選ばれたボクが、脆弱な人間風情に力で負けるはずがない。と、今まで粋がっていたボクでしたが器としては彼らと同じ人間でしかないボクはただただ組み敷かれるしかできません。


 しかも、あろうことかリリスはボクを組み敷く彼らにボクの目をえぐりだすように指示を出したのです。何のために? そう思ったのもつかの間、髪を掴まれ顔を固定され、右目に指が迫り、激痛が走りました。


「……あああっ!」


 身体を抑え込まれているため転がり痛がることはできません。ぶちぶちと嫌な音を立てて眼球と頭部とつなぐ血管や筋肉がちぎられてゆくのを、ただ味わうことしかボクには許されていません。暗くなった右側の視界。唯一外界を見据えられる左の眼は、ボクの眼球を取り出して喜び勇む男たちの姿を映します。


「それはボクの眼、それはお父様だけが愛でることを許された誉ある眼だ! 下賤な人間風情でしかないお前たちが触って良い代物ではないんだぞ!」


 そう激憤したボクの元へやってきたリリスは、楽しげに頬を緩ませ「貴女も行きましょう」と白い手を差し伸べてきました。そうすれば自ずとボクを抑え込んでいた人間共の重圧は去り、身体は自由となります。が、意志は自由になりません。


 それはどうしてでしょうか? それは彼女がボク等の祖であり、ボク等がその祖の意思に反することはできないのです。そんな喜ばしくない展開にせめて憎々しげな表情を浮かべてみますが彼女それをものともせず、地に伏せたままのボクの手を取り立たせ、ゆっくりと移動させます。そんな中、黒服の男がリリスに近寄り「二人も良いのか?」等と尋ねれば彼女は「この子で最期よ」と笑いボクを円の中心へ落ち着けました。


「さ、ベンジャミン。早く準備をしてちょうだい?」


 リリスの優しく甘美な声と笑みが僅かな毒気を孕み、どろりとこの建物の中にこぼれた気がします。嗚呼やはり、彼女は心底楽しんでいるのですね。石ころ同然の人間や悪魔を指で爪はじき、弄ぶことに、彼女は快感を得ているのですね。


 するりと冷たい手でボクの喉を愛猫にするように優しく撫ではじめる彼女。まるで、彼女の愛玩動物にでもなってしまったような気持ちになってしまうのは、きっと彼女にすべてを掌握されてしまっているからでしょう。


「さあ、罪を出しましょう」


 その言葉を発端に男が何かをブツブツと呟けば周りの空気が異なるものに変わっていきます。懐かしいような、おぞましいような、何とも言えない高揚感に恍惚となりますが、二度目のリリスの声と共にやってきた喉元の痛みで我に返るのです。


「育みなさい」


 その瞬間身体が震え、身体中の細胞たちが騒ぎ出す。


 ぎちぎち、みちみちと普通なら出しえないような音を立てて、身体中が悲鳴を上げる。声にならない声も上がる。獣の様な無様な声。胃液がせり上がり喉を焼き、咥内に酸っぱい酸の味が染み入ります。自分の身体の中で何が起き始めているのはわかりますが、明確に何が起きているのかは理解できません。


 ただ、漠然と、罪と共に育まれている肉体の無いこの身体は、罪を抜かれながらも震え、罅割れているのだということしか体感できません。嗚呼、ゆっくりと喉もとを過ぎる人間としての感情を、心を、大事な臓物を、お父様と共に在りたいが故の心が枯渇し始めます。


 いけない、止めなくては、とはするがそうさせているのはあのリリス。ボクはどうすることもできぬまま、心が枯れ果て堕ちていくのを感じていなくてはいけませんでした。




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