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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
2 A.あるいはマンモーネ・S・アンヴェリー
30/52

4-2




 事件の被害者とも呼べるその前菜は置き去りにされてからかなりの日数が経っているのでしょう。薄い皮からはすでに骨が顔を見せており、虫も遠慮なしに蠢いていました。それに木乃伊化としての脱水処理が甘いようで、その前菜からは激しい腐臭が放たれており、流石のボクも自身の鼻を押さえその遺物から目を背けてしまいます。


 すると「ピピピピ」とポケットの中にある電子端末が音をたてて震えました。こんな辺鄙な所でも電波は届くのですね。と妙に感心しながらボクがソレを取り出せば、画面上に「from:Belphelica.」とボクの姉妹が一人、ベルフェリカちゃんの名前が表示されていました。


 画面に触れてそのメールを開けてみれば「現在地点560,1236」とだけ書かれた文章が表示されます。一体これは何の地点を表しているのでしょうか。闇の中を渡りすぎたせいか、伊尼までの自分や、この自分がどんなことを考えて行動しているのかをいまひとつ把握しきれていないボクは、小首を傾げています。すると再び電子端末が鳴り、先ほどと同じように「from:Belphelica.」と画面上にベルフェリカちゃんの名前が表示されました。


 新しく着たそのメールを開けば「遺体安置地点記入用紙発送済ミ、宿泊施設「キラル・テオイ」ニテ受ケ取ラレタシ」と言う文面と、『キラル・テオイ』という宿泊施設があるらしい場所、ボクの現在地が記された地図も添付されていました。


 さすがにこれだけの文章では、記されている宿泊施設に泊まれば良いのかまではわかりません。ですが、遺体安置地点記入用紙がそこへ届けられるというのならばそこへ行かねばならないでしょう。


 幸いその宿泊施設まではボクの居るこの場所からそう遠くは離れていないようですから、歩いてでもさほどの時間はかからなさそうです。


 事件の前菜に過ぎない木乃伊化死体を最後にもう一度見たボクはその場から踵を返し、ベルフェリカちゃんが教えてくれた宿泊施設、およびそれがある町へと向かうため移動します。闇が統べる足元に気をやりながら、生える草木をかき分け電子端末の示すまましばらく歩けば開けた場所に出ました。


 どうやらボクが入っていた茂みは小さめの雑木林だったようで、目の前には人の手がきちんと入っている麦畑が広がっています。嗚呼、こんなにも近しい場所に人の手が加えられた畑があるというのにあの前菜は、あの少女は、きっと誰にも見つけてもらえない。人知れず朽ち果て土に埋まり、永遠の孤独に抱かれて眠り続けるのです。


 その事実に若干のやるせなさを感じながらも、どうにかしてやるべきではないボクは素知らぬふりをして、電子端末の画面上の地図と今のボクの現状を確認しながら歩き続けます。舗装はされていないもののそれなりに車が行きかうらしい農道は土が見えており、先ほど歩いていた雑木林の獣道とはまるで違う歩き心地です。


 両脇に広がる麦畑と手元の電子端末を交互に見比べながら農道を歩いていれば、おのずと町の明かりが見えてきました。ですがその距離はまだそれなりにあるようで、ボクはため息を吐いてしまいます。少なからず此処へ移動してきた先程のように闇に溶け移動することも可能ではありますが、深夜とはいえ人通りの量を把握していない町にいきなり飛ぶのは聊か躊躇われます。それに、そう度々人ならざる悪魔の力を使い続けていては、容姿もソレに近づきかねませんからね。


 出来るだけ人間らしく。そう自らに言い聞かせ、徒歩で町へと入ったボクの目にはすぐさま『キラル・テオイ』と書かれた宿泊施設が飛び込んできました。なにせ宿泊施設の建物自体は大きくないものの、辺鄙な街としては場違いなほどに豪華な造りとなっていましたし、ソレ自体が町の灯りと言えるほどふんだんにライトを灯していましたから、嫌でも目についてしまうのです。そんな施設の中に入りフロントへ行けば、俗にいうホテルマンがボクを目にするなり「お待ちしておりました、アヴィオール・S・グーラスウィード様。お荷物が届いております」と少し大きめのトランクを運んできました。


「ありがとうございます」


 あきらかに「遺体安置地点記入用紙」だけが入っているわけではなさそうなトランクを受け取れば、ホテルマンに「当ホテルの駐車場にバイクも届けられておりますので、その鍵もお部屋の鍵と合わせてお渡しいたします」と二つの鍵を渡されました。そして、彼はあまり多くの事をボクに発言させまいとするように「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」と頭を下げました。


 ……どうやらボクはここに泊まっても良いようです。だが、しかし。この泊施設は、宿泊料金の支払いを何時に設定しているのでしょうか。それに何日までのご宿泊、とも言われませんでしたね。嗚呼、どういったシステムで運営しているのか尋ねるべきでしょうか。


 そう逡巡しましたが頭を下げたままのホテルマンの姿に声をかけることを躊躇ってしまいボクは肩を下げます。うん。今日はもう夜も更けて、朝も近いから今は部屋へ行って休むことにしましょう。疲れていては、真っ当に脳も働きませんからね。それに、多額の料金を請求されても記憶等を食べてしまえば良いことですし。


 部屋の鍵と一緒に書かれたプレートナンバーの部屋までその彼に案内してもらいましたが、部屋はなんと最上階。ビップルームを宛がわれていました。これはもはやお父様であるS氏の財力と権力が大盤振る舞いされているに違いありません。というかそうでなくては一塊の少女でしかないボクにそんな部屋が宛がわれるはずないのです。


 部屋まで案内してくれた彼に下がるよう言い、部屋へ入ればそこは強欲の悪魔「マモン」を彩られたマンモーネが好きそうな豪華な造りになっていました。ただ、当のボクは明らかにこの部屋から浮いていますけれど。まあ、この部屋にはボクしか居ないのですからそんなことを気にする必要など毛ほどもありませんが。


「さて、と」


 広々とした部屋を一通り眺め、持っていたトランクをベッドの上に放ります。そして留め具に指を開け開けてみれば、中には数日分の衣類と大きめの茶封筒が入っていました。それなりの重みと偏った厚みのある茶封筒の中には、折りたたまれた白い紙とイーエッグ島の地図、数枚の書類。そして札束が三つ。


「ざ、雑ですねぇ……」


 重厚な札束を茶封筒に戻し、同封されていた書類に目を通します。

『我が愛しの娘、アヴィオール。イーエッグ島で起きている事件の調査及び、ベルフェリカの補佐をお願いします。調査期間は定めてはいませんから、もし急用などで本件に携われなくなった場合には連絡をくださいね。勿論、可能でありそうなら本件を食べてしまっても構いません。その際に必要である宿泊施設の部屋料金やその中での食事代はこちらで支払っていくので、貴女は気にしないように。同封した金銭が足りなくなりそうなら、早めにベルフェリカに連絡を入れなさい。私は貴女たちに不都合を強いたくなど、ありませんから。それにどうやら島内にはまともな公共の交通機関が設置されていないようなので、不便かと思いバイクも荷物と共に送りました。自由に使ってもらえると幸いです。』


 まるで手紙のように綴られているその書類には、同封されている「木乃伊化死体安置地点記入用紙」の描き方も添えられていました。


 どうやら折りたたまれていた白い紙がその用紙らしく、書類には地図に書いてある地点ないしはその付近に木乃伊化した遺体が置かれていた場合、その地点を用紙に点を書き加えてほしいらしいようです。


 白い紙だと思っていたソレは方眼紙だったようで、広げた一面にマス目がびっしりと印刷されています。そしてその上下左右にはメモリのような数値が均一に並び、点在して括弧とじの数値が書き加えられていました。しかもその点在する数値の下には小さく人物名らしきものも記されています。(875.1367)ベアトリス・イースト――ついぞ公になることのなかった、父親に自分の死を認めてもらえなかった、一番初めの前菜。そしてソレが発見された地点。


「ふむふむ、なるほど。そういう要領ですか」


 この点在して書かれているのは公表されているかは別として、ベルフェリカちゃんが現状で把握し切れている前菜の安置地点。そしてボクが行うべきことはベルフェリカちゃんが把握していながらも明確な確認が取れていない場所への視察。


 じっくりと地図と方眼紙を見比べていれば、先ほどボクが居た場所である(560,1236)地点が方眼紙に記されていないことに気が付きます。手順としてはおそらくこうであろう。方眼紙の該当の場所に点と数値を書き込み、ついでに普通の地図に書かれた(560,1236)の文字を丸で囲んでおきます。


 それに二つの紙を見比べてみて分かったのですが、どうやら地図の地点と方眼紙に記入する地点は重ならないようでした。一体どのような理屈でそうなっているのでしょうか。後でベルフェリカちゃんに訊いておくことにしましょう。


 トランクの中の物に目を通したボクは地図以外の物をトランクに戻し、空いたベッドの上へ仰向けに転がりました。……そういえば、ボクは、アヴィオール・S・グーラスウィードはどのようなことをしてきたのでしょうか。


 眠気よりも先にそんな疑問が浮かんだボクは電子端末を使い、ベルフェリカちゃんが情報統括をしているボクたちの記録がつづられたデータバンクをのぞいてみました。どうやらこの島にいたもう一人のボクは監禁生活の果てにマンモーネと変わり果ててしまったようですね。”暴食探偵”と名乗るには少し精神が脆弱だったのでしょうか? まあ、悪魔たらしめるボクにしてみれば関係のないことなのですけれど。


 それにきっと、ボクのほうが貴女よりもずっとS氏の、お父様の娘にふさわしいでしょうしね。


 ふふっ、と自分でも様になっていると思う笑みを漏らせば、身体がどっしりと重たくなりました。どうやら思っていたよりも身体の方が大分疲れているらしく、急激な眠気がボクを襲います。嗚呼、悪魔を彩られた身でありながらも、やはりこの肉体は人間そのもの。やるべきことをやれば疲れてしまう道理なのですね……。そんな脆弱な、人間としての意識は、すぐに夢の中へと吸い込まれてしまいました。


 その翌朝からボクはお父様から贈ってもらったバイクに跨り、ベルフェリカちゃんが地図に示してくれた地点を巡り始めました。風を切りながらバイクを走らせ、腐敗した前菜を確認していくボクですが、昨晩とは違い今は陽が高く昇っている時間帯。ゆえに、木乃伊化死体となってしまった女児たちの痛ましい姿が、ありありと目に映るのはどうにもいただけませんでした。


「なんて悪趣味なデコレーションでしょうか」


 煌々とした太陽の光を浴びる前菜、凄惨を眺めるしかできないボクの口から自然と漏れたその言葉を、改めて自分の中で反芻すればストンとソレは落ち着きます。そう、これは悪趣味なデコレーション。犯人たちの愉快な嗤い声と、腐った美的センスの盛り合わせ。


 純真無垢な女児という真っ白な皿に汚物を乗せるのは勿論、それをこれ見よがしに島中で振る舞うなんて正気の沙汰ではありません。犯人は、否。犯人たちは一体どのような理由でこんな所作をしているのでしょうか。


 理解する気は毛頭ありませんが、一応、この事件を食い荒らしたい悪魔として多少は知っておくべきでしょう。ボクは少なからず暴食の悪魔で胃袋も頑丈ではありますが、毒物や劇物を食べる際はそれに応じた適度な作法や治療薬ないしは中和剤ぐらい準備しておきたいのです。念のため事件が毒物か、劇物か。あるいはただの悪趣味な見た目をしている甘味なのか。その程度を判別するぐらいは捕食者として知っておかねばいけないでしょう。「ふぅ、」と一つ溜息を吐き、陽の下で腐敗を続ける遺体を改めて確認したボクはベルフェリカちゃんにあり、とだけ連絡をして再びバイクを走らせました。


 そうやって地点を回っていた二日目の夜、ホテルで身体を休めていたボク宛に、郵便物が一つ送られてきました。送り主はお父様であるS氏からでしたが中身はベルフェリカちゃんが作成したらしい遺体安置予測地図という物。加えて、それと同封されて送られてきた書類を読んだところ、この「遺体安置予測地図」に書かれた地点のほとんどが、これから遺体の安置されるであろう場所を予測したものだということでした。


 しかもよく地図を見てみればそこには日付も書かれています。今までの遺体安置地点及び、遺体発見日などからこの日付を割り出したのでしょうが、本当に、ベルフェリカちゃんの運算能力には脱帽することしかできません。


 一応、念のためにと今晩置かれるであろう地点を探してみれば、そこはボクが滞在している『キラル・テオイ』からそう遠くない町の中。


 みてみたい。例え、遺体安置の瞬間を拝めなくとも、今夜見に行く価値はあるはずです。


 自身の欲求に正直に従い、ボクは机の上に放り投げていたバイクの鍵を掴みとって部屋を後にしました。運が良ければ今夜、遺体を安置する何者かの姿を拝めるかもしれない。そんな淡い期待を持ってバイクを走らせたのですが、遺体安置予測地点である町へ着いたのは夜の二時半。もうすでに、安置されているのでしょうか。それとも未だ置かれていないのでしょうか。やきもきした気持ちを抱えながらもボクは律儀にバイクを駐車場に停め、徒歩で予測地点へと向かいます。


 時間帯のせいか、あるいは事件のせいか、行きかう人のいない夜の裏路地――今日の遺体探知予測地点をこっそりと覗き込んだボクが耳にしたのは、ガザリ、とした布袋の擦れる音でした。


 足音をたてないよう、影の内を滑るようにして物音の方へと静かに歩を進めれば、月明かり中で今まさに一人の男が遺体安置予測地点に木乃伊と化した遺体を置いているところでした。深夜のランニングを趣味とし、今まで街中を走っていたと思わせるような風体の男が子供の遺体を可燃ゴミでも捨てるかのように無造作にその地点に置きます。


 彼の手元には収穫した作物を入れるための麻袋が持たれていることから、その中に小さな遺体を入れて運んだのだろうと簡単に予想がつきました。黒山羊製薬という薬品会社の工場がまばらにあるものの、農業主体となっているこのイーエッグ島では多くの人間が見慣れているであろう麻袋。その中身が入っていようと、入っていなかろうと有り触れすぎたそれを怪しむ者はそうそう居ないでしょう。


 遺体を置いた彼がその場から走り去るまで息を殺し、じっと身を隠していたボクはこの後どうするべきか一瞬迷いはしたものの、走り去る彼の後ろを静かに追いかけることに決めました。ですが、男の足は思いのほか速く、着実にその距離を広げられてしまいます。


 しかし、幸運なことに大きく距離を取られる前に、この町の自警団らしき腕章をした男たちがランニング中の彼に話しかけはじめたのです。自警団の男たちにも気付かれないよう、隠れながら彼等との距離を詰め、聞き耳を立てたボクは彼らの会話の内容にひどく落胆しました。


 何故なら、こんな夜更けにランニングをする彼を不審に感じて自警団の男たちが話しかけたとだと思っていたのが、全くの逆だったにほかなりません。


 そう、自警団の彼等は「見回りご苦労さん」と犯人の一端である男を労い、犯人の男もまた「そっちの様子は如何だった?」などと悠長に情報交換をしているのです。


 嗚呼、平然とした面持ちで自警団の男たちに笑みを向けるその男こそが先ほど遺体を安置した犯人だというのに。何も知らない町の自警団たちは、彼を疑うこともせず、彼の言葉を信じてしまう。隠していた身を出して「その男こそが犯人の一端だ!」とボクは言い放ってやりたくなりましたが、ただの部外者でしかないボクがそう言ったところで逆に犯人扱いされて終わるだけだと思い直し、ぐっとこらえます。


 そして犯人の一端である彼と挨拶を交わした自警団の男たちは彼から遠ざかります。男はそんな間抜けな、自警団たちに善人らしからぬ笑みを向けると、中断していたランニングを再開し始めました。


 走り始めた男を追うことをボクはせず、その場で一人膝を抱えます。


 嗚呼、どうしてボクは彼らの前に姿を現せなかったのでしょうか。


 ボクは悪魔を彩られた身なのですから、悪魔の力をもって彼を喰らってやればよかったというのに。どうして、ボクはそうしなかったのでしょう。


 部外者でしかない、ボクがあの男を糾弾していたとしても犯人扱いされて終わり。ならば、記憶を喰ってやればよいではありませんか。いいえ、いけません。記憶を食らうときはボクは少なからず無防備になってしまいます、多勢に無勢になりかねないこの現状で無防備になるのは愚かとしか言いようがないでしょう。それとも怖気づきでもしてしまったのでしょうか。ボクは栄えある悪魔、ベルゼブブを彩られた身だというのに。どうして目の前で行われた犯行を、息を殺し見ることしかできなかったのでしょうか。


 嗚呼、ボクにもっと力があれば。


 ボクにもっと勇気があれば。


 ボクにもっと考える力があれば。


 無駄に死にゆく幼子たちを救えるかもしれないのに。


 他の姉妹が持つべき傲慢な気持ちを抱いてしまったボクは、頭を振ります。そんなことを後悔したところで、どうにかなるわけではない、と。ただ、時期尚早だった。それだけだ、と、諦めるのです。


 今一度辺りを見回し、誰も居ないことを確認したボクは隠れていたその場から離れ遺体が安置された場所へと戻りました。冷たい石畳と闇夜に抱かれる、出来たばかりであろう木乃伊。


 水分を抜かれ干からびた皮膚には皺が多重に入り、ひどく貧相でみすぼらしい。食べたとしても無味乾燥でちっとも美味しくなさそうな浅黒い前菜。ただひたすらの無残を据え置くソレは、今回もまた女児なのでしょう。


 干からびながらも二つに結われた白い髪。そしてその木乃伊には似つかわしくない歪なほど真新しいワンピース。小さく開かれている唇からは白い乳歯が見え、そこだけが月の光を反射していて、嫌に生々しい。


 そうやって女児の木乃伊死体をじっと眺め、観察しているとそれがかすかに息をしていることにボクは気が付きました。ただし、素人目ではありますが手遅れであることは一目瞭然です。微弱な鼓動を残してはいるものの死となんら変わりのない状態。されど、彼女は生きているのです。生きている―――ならば、ボクが、悪魔を彩られたボクが問えることは一つ。


「貴女はボクに何を願いますか」


 さあ、悪魔を彩ったこのボクに貴女の願いを教えて。そして、その無垢と化した御霊をボクの腸に納めさせてください。今の貴女の魂はみずみずしく、色鮮やかで喉を鳴らさずにはいられないほどそそられる代物なのですから。


 そんな飢えた獣の心を猜疑心で塗り固めて偽装し、ボクは声も発せぬ彼女のしわくちゃな頬に触れます。そしてその水気のない干からびた皮膚に悪魔の影を指し入れ、彼女の望みを読んだボクは落胆しました。


 何故なら彼女が伝えてきた望みは自分の為ではなく、他人のための望みだったからです。通常、危機的状況に陥れば自身の生存ないしは欲望を最優先させそうなものを、彼女はまるで無償の愛、アガペーのような望みをボクに託そうとしているのです。


 自分自身が助かる見込みがないのを知っているからこそ、の望み。はたまた、穢れを知らぬ無垢な魂が故の望みなのかもしれませんけれども。


(あの人たちからパパとママを守って)


 少女や女児を主立って殺す彼らの手が今後、成人であろう彼女の父母に及ぶことはそうないでしょう。けれど、幼い彼女はそれを知らない。知り得ることが出来ない。


「貴女が魂をかけてまでそう願うならば、このアヴィオール・S・グーラスウィードが。いいえ、暴食を冠するベルゼブブが貴女の魂を対価にしてその願いを叶えてあげましょう」


 幼子の無知さと浅はかさにほんの少し落胆しこそしましたが、その程度の願いをかなえる事で彼女の無垢な御魂が得られるのであれば十分でしょう。


「ふふっ、案ずることはありません。ボクは悪魔ですけれど、否、悪魔であるからこそ契約となる物事はしっかりと守りますよ。ええ、貴女の望みどおり、貴女の両親をあの人たちから守ってあげます。―――だから、おいで」


 まあ、その二人はきっと幸福にはならないでしょうけれど。とは言わずに、笑みを称えたボクが優しくそう言えば、彼女は嬉しそうに笑いました。干からびた彼女にはすでに笑える気力も体力も残ってはいませんから、笑うなんて芸当出来やしないのは分かっています。ですが、彼女が笑ったようにボクには見えたのです。


 ゆっくりと瞼を閉じ、胸の鼓動を更に弱めていく彼女を尻目に、ボクはその場から立ち去ります。一応、初めて生存していた前菜を見つけたことを含めてベルフェリカちゃんに連絡はしておきましょう。


 駐車場に停めていたバイクにまたがり、ボクは夜の道を走ります。どうしてボクはあの死にかけの、彼女の願いを叶えようと思ったのか? それは彼女の御霊がおいしそうであったから? それとも哀れに思ったから? いいえ、どれも違います。前者はただの後付にすぎず、後者はボクの中に思い浮かびすらしませんでしたから。


 それでは何故このボクがあんな稚拙な彼女の望みを叶えようと思ったのか。それは悪魔が魂を対価に三つの願いを叶える存在であるからに他なりません。無論、この場合他のボクにおける「ベルゼブブ」という暴食の悪魔の全容の齟齬に関しては右に置いて、ボクはボクなりの悪魔概念を提唱します。そう、余所は余所。うちはうち、という至極真っ当な概念を用いて。


 他人からは糾弾されるかもしれない理由ではありますが、ボクにとっては当然極まりない理由。そんな理由の元に得た……ではなく、近いうちにボクの元へやってくる彼女の無垢な魂、を後払いとし、ボクは三つの願いを叶えるのです。一つ目は彼女がボクに伝えた彼女の両親をあの人たちから守るという願い。そして未だ願われていない二つ目、三つ目はその両親の願いを叶えてやれば彼女もボクを恨みはしないでしょう。契約したのがボクでよかったですね。ボクは屁理屈を多少捏ねはしますが、他の姉妹とは違って食事のマナーはきちんと守る質ですから。


 何故ならそれは、ボクがベルゼブブという消費者であり調理者であり生産者であるからに他なりません。料理の糧となる人間を育む時には美味しくなる育て方が個々にありますし、調理方法も違います。出来上がった料理も食事のマナーによってより一層美味しくなるのです。だから、最低限のルールを守ることはそれすなわち、魂を美味しく頂くことにも繋がるのです。持論ではありますが、そういう概念の元ボクはこれまでそうしてきましたし、そうしていくつもりです。


 ホテルへと戻ったボクは、悪魔を彩られた身であるボクに願いごとをした彼女の名前と住所をベルフェリカちゃんに教えてもらいました。そして、数日後にボクは彼女の母に会いに行ったのです。娘をなくしてやつれきっている彼女に対して、ボクは占い師の装いで彼女に「そこのご婦人、なにか叶えてほしい願い事はありますか」と、今の望みを訪ねてみました。それこそ、いたずら好きな悪魔のごとく。


「娘を、返してほしい」


 かさついた唇で、小さく漏らした彼女の母親。


「返してほしいの、オデットを。ねぇ、あの子が何をしたっていうの? 何もしていないじゃない。何も、何もしてないのよ?」


「そう、あの娘は何もしていません。あの娘は何も悪くありません。本来ならば貴女に慈しまれているはずでした。けれどもうその子供は居ません。大きな力を持つボクにでさえも死者を蘇らせ生者のようにさせるような、まるで神かあの女のようなことをするのは不可能。されど、貴女の元にだけ貴女の娘を返すことは出来ます」


 これで二つ目です。と一人頷き、ボクは彼女の記憶をもとに姿形声性格などを割り出し、悪魔の力を使用して何もない場所にその娘を出現させます。


 なんてことない肉体のないただの幻影。


 けれどその幻影を目の前にした母親は泣きじゃくりながらも娘を抱き、娘もまた母をその小さな手で抱き返しました。


 ボクにしてみればそれはまやかしで、彼女にしてみればそれは間違うことなき自分の娘。けれどそれはボクと彼女にしか見えない娘だから、彼女が他人から気が狂ったと囁かれるようになるのは時間の問題でしょう。


 彼女の傍らに彼女の望んだ愛娘が居ることは確かなのに、人はそれが見えないと不審の目を向ける。まるで見えていないことが当たり前のような顔をして。彼女にしてみれば娘、この愛が見えていないことの方がよほど異常だというのに。


 ボクに御魂を差し出した彼女には母をあの人たちから守ってほしい、と言う願いしか聞いていませんから別の手で、彼女の両親がどんな壊れ方をしようとそれはボクが守るべき事柄ではないのです。そうボクはあの人たちから彼女を守れば良いだけなのですから。


 着実に精神崩壊への道のりを辿るだろう母の行く末を想像し、くつくつとボクは笑います。普通ならば壊れゆく母を目にした胃の中の彼女が悲鳴を上げるところなのですが、当の彼女の御魂は未だボクの元へとたどり着いてはいないため、そのスパイスを感じることが出来ません。嗚呼、オデットの魂は一体どこで迷子になっているのでしょうか。


 二つ目の願いを叶え、三つ目の願いを訊きに行こうとオデットの父親のもとへ行ったボクでしたが、彼の望みを訊くことはできませんでした。


 何故なら彼は望んでいなかったから。母親のように娘を返してほしいと思うことも、この事件をどうにかしてほしいと願うことも無い。ただ日々目まぐるしく変わっていく事件の状況と、いよいよおかしくなってきた妻におわれているだけの生活を悲惨だと思い込むことで精いっぱいだったのです。


 むしろ良い方向へと向かう変化を望むこと自体おこがましく、その一つの手段でもある現実逃避を嫌悪している程に。加えて彼は俗に言う現実主義者に近い者のようで、望みは自分の力で叶えるもの。死者は帰ってこない。事件も警察が解決するべき。さらに悪魔などという不可視の存在を心底信じていないようでした。


 だから、彼の目には人の領分では存在しえない悪魔は映りません。


 勿論、それを彩られたボクもまた然り。まあ、状況が彼のその現実主義に拍車をかけてもいるのでしょうから、時が来れば彼もまたボクを認識することができるでしょう。嗚呼、その時がとても楽しみでなりませんね。オデットの父親から望みを訊くことを早々に断念し、ボクはボクに課せられた仕事に取り掛かりなおすことにしました。




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