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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
1 ジークフリート・クーベルタン
3/52

1-2



「カラン」


 扉を動かしたと同時に鳴った鈴の音。そして目の前に現れたそこは温かなオレンジを纏う居間だった。なんてことのないただの民家の居間。


 もしやこれは不法侵入とやらに当てはまる事案なのではないか? いやしかし札が確かに掛かっていたのだから、店だと勘違いされても仕方がないのではないだろうか。俺は自分の眼を疑い何度も瞼を擦る。だが擦ったところで現状が変わるわけもなく、そこには温かな居間が在った。


 オレンジ色を放ちながら煌々と燃える暖炉の火は、時々パチリと音を立てる。やわらかな生き物のようにゆらめく炎の灯りは、室内の明暗を静かに変えてゆく。そんな暖炉の前に、常盤色のネグリジェを着た少女の姿があった。


 介護の用のベッドと揶揄される代物だろう。彼女が座るベッドの上部は斜めに上がっており、その両脇には落下防止のためにと設置される柵がつけられていた。そして彼女のベッドの脇には大量の電子機器が侍らかされており、彼女が病人かその類であることを俺に強く印象付けさせる。


 ベッドに座る少女の豊かすぎる髪は艶やかで、傍らで灯る暖炉の炎をそのまま閉じ込めてさえいる程。そんな少女は不法侵入者紛いの俺に気付いていないのか、その瞼は閉じられたままだ。いいや、彼女は身体の一部は愚か表情筋の一つさえも動かしていない。


 得体のしれない少女。その正体を知りたいと思った俺は「ごくり」と咥内に溜まっていた唾を呑み、一歩、また一歩とその少女に近づいた。


 間近で見る彼女の薄いネグリジェの下の手足はいささか豪奢が過ぎるが、どう見ても拘束具にしか見えない代物で戒められているではないか。一体これはどういうプレイ……ではなく趣向、なのだろうか。そして一体どのようにして彼女はこうなるに至ったのだろうか。いいや。そもそも彼女は、この微動だにしない少女は、生きた人間なのだろうか。


 手入れの行き届いた艶やかな髪に、近くで見れば見るほどわかる白くきめ細かな肌。生気の抜けた薄い唇と、瞑った目元に揃う長い睫。まるで、人形の様。


「彼女は人形などではありませんよ」


 少女の正体に想像を廻らせていた俺に投げかけられた言葉は、俺の背後からのものだった。


 渋みを帯びた男の声。その主のあまりの存在感の無さ、否、きっと少女の存在感が強すぎたせいで俺の目にはその主の姿が家具と同化して見えてしまっていたのだろう。俺よりも二回り程年上に見える眼鏡をかけた男性が一人、硝子の少女からそう離れていない安楽椅子に座っていた。


「ようこそ我が家にお出で下さいました、ジークフリート・クーベルタン様」


 にこやかにほほ笑みながら俺の名前をフルネームで呼んでみせ「立っているのも難でしょうから、お座りください」と自身の手前にあった空席の安楽椅子を俺に勧める。


 どうして俺の名を知っている。それに此処は一体なんの店なのだ。


 そう思ってはいたが勝手に家の扉を開け、あまつさえずかずかと室内に立ち入ってしまったという引け目に俺は何も言えず、家主であろう男の勧めるままその空席に座る。それを見、一つ頷いた男は、「さて、急ではありますがジークフリート様。わたくし共が貴方の望みを叶えて差し上げましょう」と思いもよらない言葉を俺に投げかけてきた。


 まるで子供時代に読んだことのある、少年漫画や小説の主人公が力ある者に言われるような発言をした男を、小さく睨みながら「俺の望みを、叶える……?」と言葉の真意を尋ねる。


「ええ、貴方の望みを叶えます」


 そう改めて言った彼はさも当たり前のように笑うが、こちらはいきなり予想だにしていないことを言われたのだ。笑ったりしなくとも良いではないか。


 そのことに少しばかり腹を立てながらも、歳相応の分別と忍耐を兼ね備えている俺は文句を言わぬまま、彼の言葉の続きを待った。


「過去の不幸から始まった悲惨に隷属する日々には、もう飽き飽きしておられるでしょう? ならば貴方は望みを叶えて新たなる日々を紡ぐべきなのです。なにより貴方にはその権利がおありになる。悪い話ではない筈ですよ。そう、例えるなら―――」


 品定めをするかのように目を細めた男は「貴方様は、十五年前に貴方が住まう地域で起きた『イーエッグ木乃伊化殺人事件』の真相を知りたい。そう望んでおられるのではありませんか?」と、俺の過去の痛い箇所を突き刺し、抉った。


「っ!」


 俺はこの男には愚か、この都市に来てからずっと事件に関してのことを他言していないのに、どうしてこの男はそれを知っているのだ。もしや彼は、あの事件の関係者なのか?


 男に対しての恐怖と猜疑心から身体が強張った俺は、椅子から少しばかり腰を浮かせ、何時でもこの場所から逃げ出せるようにする。この部屋にいるのは目の前の男と、拘束具をたっぷりとつけた少女だけ。それならば、この俺でも大した苦労をせずに逃げ出せるはずだ。


「貴方は、何者なんだ」


 震える声を抑えながら喉から絞り出すようにして問うた俺に、彼は変わらない笑みを見せる。


「そういえば申し遅れていましたね。わたくしは人材派遣を行っているS氏と申します。以後お見知りおきを」


「人材派遣?」


 てっきり殺し屋だとか、情報屋だとか、探偵だとかいう裏稼業じみた職業名や宗教がらみの組織名が出てくると思っていたら、なんてことのない「人材派遣」。しかし、人材派遣を名乗るものが、どうやって俺の望みである「イーエッグ木乃伊化殺人事件」の解決を叶えるというのだ。


「かの事件の真相を知り得たいジークフリート様には、わたくしどもが誇る優秀な助手をお貸しいたしましょう」


 先程までとは違い彼の唇だけが弧を描き、嫌に光を帯びる眼鏡の奥では、ねっとりとした何かがゆらりと揺れる。


「アヴィー、こちらへ」


 パンパン、と彼が掌を二度叩けば、別の部屋に繋がっているだろう扉から、白髪の美少年が現れた。


 深緑のニット製らしきタートルネックにベージュのズボンを穿いた白髪の美少年は、しなやかな足取りでS氏の隣に立ち、優雅な一礼をする。


 その姿はまるで躾の行き届いた優美な白豹。けれどそんな彼には子供っぽさがいくらか残っており、顔には髭の一つはおろか吹き出物の一つも無く、白い肌は陶器の様に滑らだ。


 推測するに、彼の歳はおそらく十七か、十八程。だが彼はその年齢に見合わない、どこか憂いているような無表情を浮かべていた。しかしそれは決して悪い意味ではない。むしろそれは彼の優美さをより一層引き立てており、優美な姿と、憂い気な影を含む彼の表情に、俺は心惹かれずにはいられなかった。


 彼を見れば見る程年甲斐もなくドクドクと心臓が跳ねる。まるで俺が彼と出会うために生まれて来たのではないかと錯覚するほどに。俺は彼に見惚れ、間違いなく心奪われていた。嗚呼、早く彼をここから連れ出して自分だけにしか触れられないよう閉じ込めてしまいたい。


 そんな抱くべきではない欲求が自身の中をふらつき始めたが、俺はその気持ちをぐっと抑え込み自制する。


「この子がわたくしどもの誇る優秀な助手であるアヴィオールです」


「はじめまして、ジークフリート・クーベルタン様。ボクは、アヴィオール・S・グーラスウィードです」


 S氏に説明されると共に俺に礼をするアヴィオール少年。しかし一顔を上げた彼の表情は変わらず固く、物憂げな表情をしたままだ。


 こういう時ならば、少しでも自分の印象を良くしようと笑みを浮かべるのが対人的な相場で決まっているというのに。嗚呼、もしかしなくとも緊張しているのか?


 そう思案した俺だったが、どうやらそれは緊張からくるものではなく、素の表情らしい。何せ彼がS氏と言葉を交わす時さえ、その表情は崩れなかったのだから。


 一切の色を見せないただひたすらの無表情。それをやたらと強調しているのは、右目を覆い隠している白い医療用の眼帯のせいでもあるだろう。と言っても彼の右目の部分は違和感のない程度に髪が長いため、その眼帯は認知しにくく、近くでその顔を見るまで眼帯があることに俺は気が付けなかったのだが。


「アヴィー。あなたにはしばらくの間、ジークフリート様の助手をしてもらいます」


「はい。了解しました」


 安楽椅子に座るS氏から、詳しい事情の説明さえされていないのにも関わらず、アヴィオール少年は初対面である俺の助手となることをいとも容易く了承した。もしかすると彼らにとってこれが普通なのかもしれないが、俺には到底普通には見えないやり取りに静止の声を発する。


「待ってくれ、俺はまだ何の依頼もしていない! それに書類や規約、お金はどうなる?」


 急な出来事が続く故に俺自身の頭もあまり働いてはいないが、最低限の事柄は聞いておきたい。何しろ後で文句を言われて困るのは、この俺なのだから。けれどそんなことを言った俺に、S氏はまるで「そんな事、考えもつかなかった!」とでも言うように目をぱちくりと瞬かせて、隣に立つアヴィオール少年の顔を見上げ、戻した。


「……そうですね。ジークフリート様からは何の依頼もされてはおりませんが、それでも貴方は事件の真相を知る権利と義務があるのですよ。お支払金額や規約に関しては、すべてこの子達に一任させていますので、当人となりますアヴィーにお聞きくださいませ」


 「丸投げか!」と叫びたくなるほど一方的に、俺の依頼内容を決めつけたS氏は定例の如く笑う。まるで俺の事を全て知り尽くしているから、心配は無用だとでも言うように。


 イーエッグ木乃伊化殺人事件の真相を知りたいという望みは、まごうことなく事実。故に、勘繰ってしまうのだ。どうして赤の他人が俺の望み一つに世話を焼こうとするのか、と。


 明らかに妖しい親切心には何が隠されているのではないか、俺は何の目的でこの男に操られようとしているのか。忍びより、膨れ上がる疑心暗鬼を抱きながらも、事件の真相を知りたいと思っている俺の視線は自ずとアヴィオール少年へ移る。


 そんな俺の視線に気づいたのだろう。「規約を口頭します」と、変声前の柔らかな声で宣言した彼は、淡々と規約を述べ始めた。


「一つ、あくまでもボクに非人道的な扱いをしないこと。一つ、最低でも十分な量の三食と二度の間食を与えること。以上の二つです」


 たった二つだけの規約を述べた彼は「しばしの間、よろしくお願い致します」と再び俺に礼をする。が、大事なことが言われていないではないか。


「契約料などの金はどうなる?」


「金銭に関しましては、十分な量の三食と二度の間食を調達する際にお使いください。それ以外は必要ありません」


 彼を養う以外の金を払うことなく、彼を手籠めに出来るとは、何と幸運なことだろう! と安直にそう思ってしまったが、やはり理性ある人間としてその甘い囁きを二つ返事で了承してしまうべきではないだろう。例え彼を手籠めにしたいと少なからず思っていたとしても、そう生き急いでしまっては、あらぬことで足を取られてしまうかもしれないのだから。


 そう自分自身を制御しながら俺は「アヴィオール君。もし君が怪我をしたりしたらそれは俺の責任になるのか」と言い、彼の言葉を待ってみる。


「いいえ。それはボク自身の責任となり、ジークフリート様には一切の責任は生じません。ボクがした過ち、ボクに降りかかった災厄、事故はすべてボク自身の責任となりジークフリート様に一切の責任と負債はかけませんので御安心ください」


 予想していたよりもひどく淡々と答えたアヴィオール少年は、助手というよりかは執事やその手の秘書を思わせており、俺は「……そうか」とだけ呟くことしか出来ない。その代わり、彼の冷静さに同調するように、俺の中にあった独占欲や支配欲という浅ましい欲望が少しばかりその勢いを遅らせた。そしてその遅れた独占欲と支配欲の隙を突くようにして、狡猾な悪魔がちらりと脳裏に浮かび、「彼と契約し、手にさえ入れてしまえばいくらでも時間はあるのだから」と、半ば無理やり俺に踏ん切りを着けさせる。


「ある程度のことは分かった。それに正式に俺の方からも事件の真相を知りたい、という依頼もしよう。だから書類は作ってもらうぞ」


 その言葉を聞いたアヴィオール少年は、「お待ちください」と一つ言葉を残し奥の部屋へ消え、年季が入り酸化し黄ばんでいる紙と、いかにも古そうな万年筆を持って俺たちの元へ戻ってきた。そして彼は慣れているのか、サラサラと万年筆でその黄ばんだ紙に書類としての必要事項や名前を記入する欄を書いてゆく。


「これでよろしいでしょうか」


 彼が先ほど述べた人権に関してや怪我や損害、金銭に関しての規約は勿論だが、明確な契約期間がない事や休暇の日数等、先程俺たちが話したものの他にも多々追加されて書かれており、それが契約書類として成立していると判断した俺は「良いだろう」と言ってその紙にサインした。それを見届けたアヴィオール少年は再び部屋の奥へと行き、服を一張羅であろう燕尾服へ変え、小ぶりの旅行鞄を持って戻ってきた。


 そしてその後に続くようにしてレトロな色調の看護服を身に纏い、きついウェーブのかかった長い黒髪を一つにまとめた女性が現れた。


 アヴィーとは似て非なる目の鋭さが印象的な彼女の目元には泣き黒子があったものの、ちっとも泣いているような印象を抱かせはしない。むしろ不機機嫌なのか、彼女の眉間には深く皺が刻まれており、俺はくつろいでいたわけでもないにも関わらず姿勢を正してしまった。


 アヴィオール少年が作成した契約書を俺から受け取り、しげしげと眺めていたS氏は着替えて来た彼を見るや否や満足げに一度頷き「それでは契約成立ですね」とその契約書を後方に着いた黒衣の女性へと手渡す。


「サタナリアもそれで満足かい?」


 鋭い眼差しを契約書に向けた彼女は、S氏の言葉に「ええ。問題ないでしょう」と頷き、手元の契約書をアヴィオール少年へ回す。


 足元に旅行鞄を降ろし、手渡された契約書を受け取った彼は、S氏と黒い女性から離れると、微動だにしないベッドの上の少女の耳元に顔を近づけた。


「……起きて、いますか」


 少し躊躇うように発された囁く程度の声量。だが彼のはっきり発音されたその言葉はそれほど距離のない俺にも聞き取れた。加えて、俺が来訪した時にさえ微動だにしなかった拘束具まみれの少女が、ぴくりと動いたのも仔細に見て取れた。


「ベルフェリカちゃん、ボクは行きます」


 名であろうモノをアヴィオール少年に呼ばれ、端的に事を伝えられた少女は微動ながらも一つ頷き、その口元を緩く上げ人間らしい笑みを浮かべる。


 嗚呼、本当に彼女は人形などではなかったのか。


 燕尾服を着た美しい少年と、今にも手折れそうな儚げな少女。その二人の姿は、ロマンチストではない俺でさえも「おとぎ話」にでも出てくるような従者と姫を彷彿とさせる。少年は最後に少女の艶やかな髪を撫でつけた後、立ち上がり彼女に背を向ける。名残惜しげに彼が居た方向に顔を向けている少女ではあったが、閉ざされた彼女の視界ではその場を歩き去ってしまった少年の背を見つめることはできていない。そんな彼女に最後の一瞥を向けることもなく、アヴィオール少年は足元に置いていた旅行鞄を手に取ると俺の隣にその身を寄せた。


「ジークフリート様、契約は成されましたので早速参りましょう」


 白の手袋に覆われたその手を取れば、俺はその手に誘われるかの如く自然に椅子から立ち上がってい

た。手に入れたい。そう渇望していた少年の掌の熱は布越しにもかかわらず温かく、いくら憂いげな表情を浮かべていたとしても、生きているのだと実感することが出来た。


「それではお父様、サタナリアさん、ベルフェリカちゃん。行ってまいります」


 俺の手を握るアヴィオール少年が発した「お父様」という単語に一瞬気を取られたが、「それでは、ジークフリート様がよりよい結末を迎えられること、わたくしたち共々楽しみにしておりますね」とS氏から発せられたその言葉に背を押され、同時にアヴィオール少年に手を引かれた俺は、その単語の意味を追及することなく外へと繋がる扉をくぐった。



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