3-3
「アヴィーちゃん、行きますわよ?」
あの頃となんら変わらぬ、少女の容をしたマンモーネ・S・アンヴェリーが振り返り、ボクに声を掛けてきます。どうやらボク達は無事『彼』を部屋まで送り届けたようで、今からあの金庫へ戻るところだとか。
十五年前の出来事に思いを馳せ、微塵も彼らの会話に耳を傾けていなかったボクは「ああ、そうでしたか」と適当に相槌を打ちます。
ママちゃんとその背後に控えるティークとワーズと共に金庫への道筋を歩いていると、十五年前は居なかった男が、彼女が寄生虫と揶揄した『彼』の弟が、ボクと彼女の前に立ちはだかるようにして現れました。確かママちゃんは不本意ながらも彼を「叔父様」と呼んでいましたっけ。
「あら、如何なされましたの? 叔父様」
本来ならば声を掛けることは愚か気に掛けることも憚りたい寄生虫に、わざわざ声を掛けてあげているママちゃんの心遣いは、なんと優しいのでしょう。
けれどその優しい心遣いを微塵も汲み取ることの出来ない浅はかな目の前の寄生虫はヒトにも似ない豚の声で鳴きます。いえ、きっとヒトの言語を発しているのでしょう。ですがボクの耳にはどうしてもその音が言葉に聞こえないのです。
「ブヒィブィ、ブヒヒィ」
嗚呼、やはりこれは豚の鳴き声。此処は養豚場ではないのですけれど。
ただ、ボクとは違い、ママちゃん自身にはそれが人間の言葉としてきちんとソレが届いているらしく、彼女は「それが、どうかしましたの?」と高圧的なまでに言い放ちます。
凛とした眼差しと、是非を許さぬ物言い。確固たる信念のもと言い放たれたソレに恐れをなしたのか、寄生虫は一歩後ずさりました。しかし、へこたれない根気だけはどうにもあるようで、再び「ブヒィ」と豚の鳴き声で叫びます。
「ねぇ、叔父様? わたくし、貴方のおかげで大事なヒトをよみがえらせることが出来ましたの。だから貴方には感謝していますの。ええ、ほんとうに。だからこれ以上わたくしに貴方を幻滅させないで頂けるかしら」
貴方の存在自体がもとより疎ましいけれど、それには今回固く目を瞑りますわ。威風堂々たる発言の中に奇妙な単語を入れた彼女でしたが、周りの物がそれを尋ねることはしません。何故なら今彼女が寄生虫に向けているのは口出しすることを許さない挑戦的な、威圧の目だったからです。
ここ十五年ほどの生きる気力を失っていた彼女しか知らない彼等にとっては初めて見るものでしょうが、ボクにしてみればやっと、やっと彼女本来の姿に戻りつつあるのだ、と歓喜しうる代物なのです。
力強く光る彼女の金の双眸のなんと美しいことか。そして、それに合わせて彼女の纏う雰囲気もまた荘厳な、本来あるべきモノへと戻っていくのです。彼女が纏う衣服に着いた装飾の輝きは一段と増し、唯人では見ることの出来ない金銀砂子が彼女の周りで自ら光を放ち踊り狂う。彼女こそが煌めきと、粉飾に愛されたマンモーネ・S・アンヴェリー。
けれど、唯人どころかソレ以下の寄生虫にはその荘厳なる姿は見えないようで、「ブヒィ、ブヒブヒィイ」と下品極まりない声で鳴き続けます。目を汚しかねないソレの言葉に耳を傾けていたママちゃんですが、首を横に振り「はぁ」とため息を一つ吐きました。
「ねぇ叔父様。わたくしに同じことを二度も言わせないでくださる? わたくし、叔父様には感謝していますの。だから――わたくしを、これ以上怒らせないでくださるかしら?」
さもなくば、この家に居られなくなりますわよ? そう言って彼女は上品に嗤います。嗤われた寄生虫は顔を赤く染め上げ激昂と、唾を飛ばしますがその存在にも飽いたのでしょう。ママちゃんはそんな粗末な物はもとより無いのだと、その存在を悉く無慈悲に、黙殺し軽やかな足取りで先に進みます。
「ふふっ、矮小な虫けら。ざまあみろ、ですわ」
「ふふっ、そうですね」
ママちゃんと同じ音で笑い、ボクと彼女は肩を寄せ合います。
「あの寄生虫。どうやってわたくしの家から追い出そうかしら」
「追い出すのですか? いっそ殺してしまった方が早くはありません?」
「それじゃあ足がついてしまいますわ。それに流石のわたくしでも寄生虫の命まではむしり取りたくありませんの。むしろわたくしはね、ささやかな願いかもしれませんけれど、この屋敷から追い出されたヒト科の彼等に泥水を啜らせて、他人の足を舐めるような生活を強いらせたいだけなの」
「それは、人権だなんだとうるさいこのご時世とこの国の環境では難しいのではありませんか?」
「あら。この国の中でも、人間に対してそういう風なことをしたい異常性癖の持ち主は、多少居るでしょう?」
酸いも甘いも噛み分けた金持ち共なんかは特に、ね。
「彼らをそこに売り飛ばすのですか?」
「本当は自らの意思で堕ちてもらった方が面白いのだけれど、権力者が更に上の権力者に無理やり買われるのもそれはそれで一興ね」
ふふっ、ふふふっ。そうやって嗤う傍らの彼女は、これから来るであろう幸福な未来予想に胸を躍らせ、嬉しそうに鼻歌さえうたいはじめます。春の陽気に揺られ小鳥が囀るように、彼女はうたをうたいます。それに合わせてボクもまた、彼女の粉飾らしく笑みをうっすらと浮かべたのでした。
寄生虫とのささいな悶着もありましたが、無事金庫部屋へと戻ってきたボクたち二人は、そろって群青色の長椅子に腰掛けます。特に目立った発言も、所作もなく、従順に彼女の後ろをついてきた従者のティークとワーズでしたが、ボクは知っています。彼等がママちゃんの浮かべる笑みに、一挙一動していたことを。そしてこの部屋に入ったところでホッと胸を撫で下ろしていることも。
「ねぇ二人とも。何時までわたくしの部屋に居るつもりなんですの?」
ここにはアヴィーちゃんも居るから、はやく貴方達には出て行ってもらいたいのだけれど。わたくしとアヴィーちゃんの、ふたりきりの時間を貴方達如きが奪っていいわけがありませんのよ? トランプ兵を侍らせる赤の女王だって言っていましたでしょう? 「私の時間を殺したあの者の首を刎ねよ!」と。
酷薄の笑みを浮かべた金の眼で蔑まれた二人はびくり、とその華奢な肩を震わせます。
「ですが寝巻のお着替えが……」
「そんなこと、自分で出来ますわ」
「それにお薬も……」
「いつものように、処方されているものを飲めばいいのでしょう? 分かっていますわ、それぐらい」
そうやって、彼女が部屋から早く出て行ってほしいという態度をあからさまに見せているにもかからず、何かにつけてこの部屋から出ていこうとしない理由を言い出すワーズ。彼に対して、憤怒の感情を抱いたのでしょうママちゃんは、ボクの隣から立ち上がると、ワーズの前に立ち、彼の深い藍銅鉱の双眸を食い入るように見つめました。
「それ以上屁理屈を言うと、その細い首を刎ねてしまいますわよ?」
愛嬌たっぷりの笑みを見せつけながら彼の細い首に指を当てて、そっと首を刎ねる素振りをすれば、首を刎ねられた彼はひゅっ、と息を飲みます。
「だから、もう出て行ってくださる?」
些細な変色でした。彼女が彼に向けるその笑みに、その瞳に、色に。ボクは見つけたのです。いえ、むしろやっと気づいたと言っても過言ではないのですけれど、ボクは理解したのです。
彼女が彼等に向ける些細な行いの中に、愛嬌をふんだんに詰め込んだ笑みの中に、物欲しげな眼差しが含まれていることを。
ママちゃんは彼等がお気に入りではないのです。少なからず、心配するだけの秘めたる配慮こそありますが、その実は彼等の宝石じみた藍銅鉱の眼を濡らしたくて、欲しくて、奪いたくて、自分のものにしたくて仕方がないのです。
彼女が持つその事実を露ほどにも知らないワーズは苦々しそうに頭を垂れて、瞳に宿った宝石を揺らします。そうですね、君は宝石が嵌められた人形ではなく、金で買われた従者。そんな従者は従者らしく主やその娘たちに頭を垂れるべきなのです。
「それでは明日、朝食と共にお召し物も届けに参ります」
今まで沈黙を守っていたティークが頭を垂れ何も言えぬままのワーズに代わりそう言って、彼の肩を抱きながら部屋を出ていきます。そうすれば重厚な鍵の音と、電子音が鳴り、この金庫は完全な密室と相成りました。静謐に満ちた群青の金庫に取り残されたボクと彼女。相乗効果と言えば良いのでしょうか。二人きりになればなるほど彼女の眼に宿る強欲の色はその鮮やかさを増しているようにも見えます。
「ママちゃんは彼等の瞳が好きなのですね」
「ええ、大好きよ。ルビーもエメラルドも、トパーズも、どんな宝石も愛してやまないけれど。わたくしはあの生きたアズライトが一等好きなの」
決してくりぬいたり、何処かに仕舞ったり、あまつさえ食べたりしてはいけないの。だからアヴィーちゃん、いくら美味しそうなのが四粒もあるからって、つまみ食いなんてしないでね。おねがいよ? そう言って笑った彼女でしたが、その目には姉妹であろうとも決して自分の獲物をやりはしないという意思が込められていて、その意思に屈することの出来ないボクは「勿論。ボクはそこまで強欲ではありませんから」と答弁したのでした。




