表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
2 A.あるいはマンモーネ・S・アンヴェリー
27/52

3-2



 ――この屋敷の主であり、このイーエッグ島の半分の土地を保有する『彼』とボクが出会ったのは、イーエッグ地方で一人の少女が死んだ折でした。


 その死んだ少女というのが『彼』の本来の娘であるベアトリスであり、公表されることはついぞありませんでしたがこのイーエッグ木乃伊化殺人事件における一人目の犠牲者でした。


 『彼』はすぐさまこの事件を解決するように警察へ働きかけました。ですが『彼女』の相方でもあるジークさんも零していたように、事件の犯人らしき人物を見つけるどころか証拠の一つさえ警察は見つけることが出来ませんでした。


 滞りしかない警察の捜査に痺れを切らした『彼』は、自身の持つツテの全てと財力を使い、いたる所から探偵やそれに類似した人々を集めました。そしてその内の一人が、当時難事件を次々と解決し「暴食探偵」の名を冠していたアヴィオール・S・グーラスウィードだったのです。


 『彼』から届いた手紙を読んだボクは、すぐさまイーエッグに赴くことに決めました。何せ当時のボクは三度の食事より、より濃密な難事件を咥内で咀嚼し嚥下することが何よりも好きだったものですから、紙に書かれながらも強く濃密で、芳醇な匂いを漂わせるこの事件には食指を動かされずにはいられなかったのです。


 間もなくイーエッグ島の地に降り立ち、『彼』の屋敷へとやって来たのですが、その時にはすでにもう幾人かの自称名探偵たちが到着していました。ですが先んじて来ていた彼らは気だるげに屋敷の中で過ごしているだけでした。誰一人捜査に繰り出そうという気は無く、そんな彼らを目の当たりにしてしまったボクは到着した早々小首を傾げるハメになったのです。


 そう、普通ならば、この事件を俺が解決してやる! という強い思いを胸に秘め、虎視眈々と事件を調査する者や、意気揚々と事件の捜査に乗り出す者も居るのがセオリーだと思うのですが、生憎此処にはそんな人物が誰一人として居なかったのです。


 その理由を探ろうとボクが自称名探偵の彼等に話を聞けば「この屋敷の主人は死んでしまった娘の無念を晴らすために躍起になり、事件の捜査が滞ると眼の色を変えて怒り、怒鳴り散らすので非常に疲れてしまっているのだ」と、答えになっていない答えを述べたのです。


 嫌なら、怒られないよう、この屋敷ではない場所を本拠地にして捜査するだとか、いっそのこと島の外へ出ていくだとかすればいいのに。どうして彼らはそうしないのでしょうか。


 そうボクは疑問に思いましたが、瞬時に一つの事象に思い当りました。きっと彼等はボクと同じように『有名な探偵』であるか、ないしは権力者伝手の依頼を受けて此処に居るものなのでしょう。ならば、彼らには彼らなりの矜持があり、尊厳があります。そして後者の場合は依頼の又依頼をした権力者の顔に泥を塗ることにもなりませんからそうやすやすと此処を離れるわけにはいかないのでしょう。難しい、話ですね。まあ、ボクには何一つ関係のない事柄なのですが。


 しかし彼らからそんな話を聞いた後、屋敷の主人である『彼』に出会ったボクは彼等の言った事とはまるで違う待遇を受けました。


 というのも『彼』がボクの事を一目で気に入ってしまったからに他なりません。


 その頃のボクは「暴食探偵」の少女に相応しく髪も長く、自称するには少々気が引けますが、感情も今とは比べ物にならないくらい豊かで表情にも多少の可愛げがあったのです。


 いいえ、違うかもしれません。あの頃の、愚かなボクの事ですから、きっと『彼』が気に入るようわざわざ取り繕っていたのかもしれません。何にせよ、事件によって愛娘のベアトリスを亡くした『彼』が寂しさを紛らわすため、彼女と大差ない歳のボクを傍に置きたがりました。それも四六時中、ずっと。


「料理はおいしいかい、ベアトリス」

「疲れてはいないかい、ベアトリス」

「今日も変わらず愛らしいなぁ、ベアトリス」


 ベアトリス、ベアトリス、ベアトリス。ボクはそんな名でないというのに。ボクはアヴィオール・S・グーラスウィードだというのに。『彼』はそれらを受け入れず、ひたすらボクを『彼』の娘である「ベアトリス」と呼び続けていました。そう、それもまた四六時中。自分の名ではない名を呼ばれる。たったそれだけの食い違いに多少、目を瞑り、見なかったことにしていたボクに漬け込む隙があると判断したのでしょうか。美味しい昼食を食べ終え『彼』と二人、長椅子に腰掛けていれば不意に節くれだった固い手に腕を掴まれました。


「――ベアトリス」


 『彼』の手は僅かに震えていて、恐れの匂いがジワリとボクの鼻腔を突きます。


「お主はもう、儂の傍から離れたりはしないな」


 娘の存在を手放さないよう、ボクの腕を強く握る『彼』。そんなに力を籠めなくとも、今の所ボクは逃げたりはしないというのに『彼』は絶対に手を緩めたりはしませんでした。


 嗚呼、なんと哀れな男でしょうか。


 嗚呼、なんと残酷な人でしょうか。


 そんな感情を彼に対して抱いたボクは、その「哀れ」と「残酷」とを舌先で絡め取り味を確かめるや否や、ボクもまた『彼』に付け入る隙を見つけてしまったのです。今ならこの哀れで、惨めで、愚かで、残酷な。この男の魂を、舌先に乗せた甘美な嘘で絡め取れるかもしれない。と。


「ねぇ旦那様。旦那様はそんなにボクと一緒に居たいのですか?」


 哀れで、惨めで、愚かで、残酷な『彼』は悪魔の悪徳をこの身に彩らせたボクの囁きに、容易く頷きました。そして年甲斐もなく涙を零しながら「居たい」と言い、握りしめていたボクの腕を手放して大きく両腕を広げます。


「そのためならば何をくれてやっても良い! 金も、名声もくれてやる! 勿論、お主が望むのなら、この命さえも惜しくはない!」


 『彼』の狂気じみた言葉を聞いて、ボクは笑い、答えるように頷きました。勿論、心の奥底で舌なめずりをし、ごくりと唾を飲みこみながら。


「ならばその願い、このアヴィオール・S・グーラスウィードが……。いいえ、暴食の悪魔であるベルゼブブを彩られたこのボクが、叶えましょう」


「嗚呼、構わない。お主が、ベアトリスが二度と儂の傍から離れないというのならば!」


 だが、決して儂はお前を手放さんぞ! お前が泣いて叫び屋敷から出たいと言ったとしても儂はソレを許しはせぬからな!


 執着の決意を放った彼。それはボクも構いません。むしろ望むところです。人間の、しかもそれなりの年月をすでに生きている男の一生程度の監禁生活等容易い事でしょうから。それに『彼』の身体が死んで、魂がボクの中に取り込まれてしまえばそれこそ、本当に二度と傍から離れなくなりますから、『彼』も本望でしょう。どちらにとっても良い案件です。


 そう、思っていました。そう、思っていたのです。こんなにも、監禁生活が苦しいものだとは、この時の愚かなボクは分かっていなかったのです。


 ですがそんな今更の後悔は遅く、あの頃のボクは「ならば契約は成立です。今からボクは、貴方の娘ベアトリス。貴方だけの、愛娘。そしてもう二度と貴方の傍から離れません」と契約を成立させたのでした。


 涙を伝わせる『彼』の両頬に手を添え、まっすぐ『彼』の瞳を覗き込めば、『彼』の黒曜石の瞳にボクの金色の眼が映りました。


 さあ、『彼』の記憶を艶やかに彩り、偽りましょう。『彼』を包む真綿のような苦しみの思い出を、少しばかり改変しましょう。


 悪魔と言う正体の知れない異形を彩られたボク達姉妹には、各々にほんの少しの不思議な力が備わっているのです。


 ちなみに今ボクが使おうとしているのは、その“ほんの少しの不思議な力”の一部。ちょっとした記憶改竄の力です。『彼』の記憶を改めるために、ボクは「すぅ、」と息を吸い込み、口を勢いよくガパリと大きく開けました。


 人間の頭が丸齧りできるほど大きく開いた刹那、ボクの口と比例するように目を見開く『彼』が視界に入ってきました。ですが、ボクは無視を決め込みます。


「いただきます」


 無視を決め込みはしましたが、礼儀としてそう言い、パックリと『彼』の頭をボクは食らいました。まあ、どうせボクが記憶改竄を行った次の瞬間には既に『彼』の目の前には生前と何ら変わりのない姿のベアトリスが映るのですから、礼儀なんて必要はないのですけれど。


 『彼』の記憶を舌先で探りながら、『彼』の記憶の中で間違いなく息づいていた彼女をボクは見つけ出しました。薄紅色の小さな唇で詩を諳んじ、愛らしく笑う幼気な少女。それが『彼』のベアトリス。思い出の国で生き生きとしていた少女。


 彼女はボクを見た瞬間、逃げ出しました。嗚呼、そんなにもボクは恐ろしい姿をしていたのでしょうか? それともおぞましい姿? その両方かもしれませんが、少なからず彼女の逃げるというその判断は間違ってはいないでしょう。何しろボクは彼女を食い殺すために、この思い出の国へ来たのですから。


 『彼』と同じ艶やかな黒曜石の双眸を濡らし、亜麻色の髪を振り乱しながら、彼女はボクの牙から逃げ出そうと躍起になります。が、逃げきることは叶いませんでした。何しろそこは思い出の国。限られたこの国の領土はあの金庫部屋と同じ密室で、逃げ出すこと自体が不可能なのですから。


 彼女を捕まえ、そのか細い首筋に齧り付けば、彼女は小さな悲鳴を薄紅色の小さな唇から上げました。ですが躊躇なく彼女を食いちぎっていけば次第にその声も聞こえなくなります。嗚呼、恨むならボクではなく君を殺すことをきめたあの残酷な『彼』を恨むと良いでしょう。


 幼気な少女を食い殺したボクは、腹の中で消化しながら新たな『彼』の娘をこの思い出の国の中に作り上げる作業に移行しました。


 『彼』の娘は彼に似つかぬ癖のある白髪を持ち、妖しげな金の双眸を携えています。緩やかに弧をえがく唇はおかしな詩を諳んじ、時折人を嘲る大人びた表情を浮かべるのです。


 そうやって元居た本当のベアトリスを殺して、偽りのベアトリスを思い出の国に創り上げたその日から、ボクはアヴィオール・S・グーラスウィードでありながら『彼』の最愛の娘であるベアトリスと成ったのです。


 ボクが『彼』の愛娘として此処に居座ることになれば必然的に『彼』が探偵たちを呼び集める理由がなくなり、何のために居るのかわからない無能な探偵たちを『彼』は全員屋敷の外へと追い出しました。


 そして『彼』とボクと数人の使用人だけが残ったこの屋敷の、一角にあるベアトリスの部屋でボクは一人過ごすことになりました。事件を解決に導くという責任がなくなり、食事の時間以外を部屋の中だけで過ごす責務が与えられたボク。


 本当の彼女を殺した島内の事件は未だに続いているようで、電子端末越しに伝えられるその情報に目を向けはしました。ですが、碌な話し相手も居ないこの部屋では何を考えようとも楽しくありませんし、喰い散らかすこともまたできません。暴食の悪魔を彩られたボクは食べるものにさえ困らなければ「ベアトリス」と別の名で呼ばれようとも、愛が目の前をすり抜けていこうとも、大した苦を感じはしません。


 ですが、このボクが今まで散々食い散らかすことのできていた知識的な食欲を満たせなくなってしまったことは、容認できる事柄ではありませんでした。そして喰い散らかすことのできないストレスの捌け口に、ボクは「あれがほしい」「これがほしい」と使用人伝手で『彼』に物を強請ったのです。そう、ボクは知識の暴食代わりに、即物的な物欲を満たしはじめてしまったのです。


 幸運なことに島の半分の土地を牛耳る『彼』にはそれなりの財力がありましたから、多少豪華な衣服や装飾品などを強請っても咎められることは一度たりともありませんでした。むしろ『彼』は「かわいい愛娘の為ならば」と、快くボクの物欲を叶えてくれました。


 だからそんな生活をし続けるボクが日を追うごとに暴食の罪をおざなりに、強欲の罪にまみれていくのは至極当然とも言えたでしょう。


 ですがアヴィオール・S・グーラスウィードとしての存在意義である暴食の罪をおざなりにするということは、大切なお父様、S氏の娘を手にかけているということに他なりません。


 けれど知識の暴食を存在意義として定義していたボクには現実世界において過食を実行することは身体的に苦しいですし、情報源が偏るこの密室では知識を食い散らかすことはそう叶いません。一体どうすれば、ボクはお父様の娘を手に掛けぬまま、在り続けられるのでしょうか。


 チクチクと胸に刺さるボクの悩みはすぐに解消されました。なにせそう悩んだ日の翌日には、群青色のドレスと煌びやかな金子を纏わせた少女、ボクの姉妹が一人、マンモーネ・S・アンヴェリーが隣に居たのですから。


 そしてボクはその日の晩のうちに彼女と入れ替わりました。


 彼女が居る以上、ボクが此処に居座る理由は何一ありませんし、加えて、ボクが此処に残ったとしてもボクが自分自身に手を掛けていることも変わりませんでしたから。それを決めたボクは迅速に二度目となる『彼』への記憶改竄を施し、強欲のママちゃんをこの金庫に置き据えて、ボクはボクたらしめてくれる何処かへ飛び去りました。


 実質ボクがこの屋敷に居たのはたったの一週間ほどではありましたけれど、それが十五年前にこの屋敷で起きた事のあらましです。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ