7-3
生温かな風がそよぐ満月の夜。都市からの旅行者であるイザベル・オクトバーニは大きな旅行鞄を持って、荒れた一本道を歩いていた。
じゃり、じゃり。と鋭いピンヒールが鳴らしているとは思えない砂利音を響かせながら彼女は「苛立たしい」と言葉を零す。
愛しい彼の家を訪ねるためにこんな辺鄙な島の町までやって来てあげたというのに、町の人間共は祭りの熱気で私の姿に目もくれなかった。都市でも指折りの会社で働き、学生のころはミスコンで優勝も飾ったこの美しい私を、辺鄙な町の住民共は無視したのだ。
ああ、もう本当に。名も知れぬ町の人間なのだから、都市からの旅行者、否、移住者である私にもっと敬意を払うべきではなくって? なのに、どうして誰もこの私に宿を勧めたりしないのかしら。心象が悪いったらないわ。
そんな甚だしい自己愛と漫然とした憤りを抱きながら、イザベルは旅行鞄を持ち直し歩き続ける。
「はぁ、せっかく彼を追いかけてやって来たのに、彼にも会えなかったし……」
正しくは「会えなかった」、ではなく「会うことは愚か家さえ特定することはできなかった」のだが、自分の失敗を認めたくない彼女は頑なにソレを肯定しない。
気位の高く、都市屈指の会社で働いていた彼女がこの辺鄙な島へ来ている事の発端は、彼女が愛した男がこの島へと移り住んでしまったことが原因だった。
移動した部署に居た彼を一目見た時から彼を手に入れたいと思っていた彼女は、会社を辞め、島へと行ってしまった彼を手中に納めるべく彼の後を追い、この島へと来たのだ。それに彼女は一度その彼と結ばれ、幸運にもその子供を身籠ってさえいたから、追いかける事こそ運命なのだと頑なに信じているのだ。あわよくば彼と同じ屋根で生活し、彼と自分と子供とで仲睦まじく暮らすことさえ妄想して。
「っはぁ、」
都会にはない砂利道をピンヒールで歩いたせいか、ジンジンと刺す靴擦れの痛みにイザベルは息を吐く。一応、目下の目標地点であった教会までやって来ていた彼女は、目の前にある扉を叩く。そうすれば「はぁい」と、とろみのついた、甘い声。盛りのついた、雌猫の声。どちらにもとれる嫌悪の塊のような音が響き、中から一人の少女が姿を現した。
月光の下でもきらめきを失わない金の髪に、揺れる薄桃色のワンピース。その袖から延びる腕は白く、イザベルは無意識に唇を噛む。
「ねぇ貴女、一晩この私を此処に泊めてくれはしないかしら」
「あら、どうして? 宿なら傍の町にもあるじゃあないの」
訪れる者を拒まないのが教会だというのに、彼女はこの私を拒もうとしているみたい。いいえ、拒んでいるのだわ。唇の端から読み取れる嘲りの笑みが、ソレを表しているもの。ああ、憎たらしい。私だって貴女ぐらいの年頃の時は貴女よりもずっと可愛らしくて綺麗だったわよ!
内心でそう思いながらも流石にそれを口に出しはしないイザベルを逆なでるように少女は笑い、「それとも、相手にされなかったの?」と言う。
「ふふっ、かわいそうなひとね」
修道女にあるまじき物言いをする嫌な少女――、そこまで考えて、イザベルは我に返る。もとより彼女は修道女の服など着ていないではないか、と。
彼女はただ、教会の中から現れただけな普通の少女なのだ、と。だから修道女らしからぬ物言いでなくて当然なのだ、と。
「ええ。それで、一晩宿を借りたいのだけれど、構わないかしら? おなかに彼の――子供がいるのよ」
イザベルが自慢を含めて一人の男の名を出した途端、少女の蜜のように濡れたコバルトの瞳がゆっくりと弧を描く。
「子供がいるなら、構わないわ。どうぞ、ゆっくりしていって」
ギィ、と重たい扉が開かれ、外の生温かな風が中へと滑り入る。それに合わせてイザベルもまた、その宵闇が這う黒の中へと、吸い込まれた。
「――一晩と言わず、ずっと、ね」
1章はこれで終わりです。
次回より2章はじまります。




