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町の中でも往来の多い道に車をしばらく走らせていれば俺とアヴィーが次の目的地としていた場所、町の小さな警察署にたどり着いた。整備された駐車場に車を止め、二人で署内に入ったがあまり人の姿は見受けられない。
「年中無休ではありますが、やはり日曜日ではそう人は居ませんね」
それはそれで大いに構わないのですけれど。
冷たくそう零したアヴィーに「そうだな」と相槌を打ちつつ署内の受付へと向かい、受付に座っている
若い男の署員に声を掛ければ、「何か御用件ですか?」と素っ気ない声で返されてしまう。あまり偏見は抱きたくないのだが、数多の人間を相手取っているだけあって、かなり対応が冷淡である。まあ、下手に微笑んだりして舐めてかかられるのも警察署の沽券に関わるのだろうか。俺には知り得ない領分である。
怪訝そうな顔で俺とアヴィーを見比べる青年に、十五年前このイーエッグ島で起きた木乃伊化殺人事件の関係者であることを告げ、その事件についてまとめられている資料を見させてくれないかと尋ねてみると、彼は怪訝そうな顔を更に不快気に歪めて「それは出来ない」と返してきた。
所詮ただの一般庶民がいきなり十五年間の事件について調べたいから資料を見せてくれないか、と言ったところで快く見せてくれる警察なんてないだろう。勿論、その書類には個人情報がふんだんに含まれていることは分かっているから、ソレを省いてくれても俺は全く構わない。だが、ソレを言ったところで目の前の彼は首を縦には振るまい。
怪訝そうな顔から気だるそうな顔へ表情を変えながら彼は俺を見ているが、俺にはこれ以上何を言えば良いのか見当がつかなかった。探偵と言えば良いのか? それともここで引き下がらずぐいぐいとお願いします、後生ですからと続ければ良いのか? そんな俺を見かねたのか、アヴィーが気だるげな彼に封筒を差出し、中身を見るよう促せば、中身を見た彼はハッと目を見開き「し、しばしお待ちください!」と足早に奥の部屋へと向かって行ってしまった。そして三十秒も経っていない内にその奥の部屋から彼と年配の警察官が現れ、その年配の警察官が封筒をアヴィーに返した。
「アヴィオール・S・グーラスウィード様。十五年前の事件における書類の閲覧でよろしいですね?」
「はい」
「それでは、そちらの書類を出すのに一刻ほど時間をいただいてもよろしいですか?」
「構いません」
アヴィーと署長らしき男が端的に会話を進める中、半ば放心状態でその状況を見ているしかできない俺は思う。いきなり変わった署員の対応と、署長らしき男が彼女の事をアヴィオール様と呼んだのは一体どういうことなのだろうか。アヴィーは、否、アヴィーが務めているとされるS氏の人材派遣会社とはこんな辺鄙な町でさえも名の知れた会社なのだろうか、と。
連絡先も交わしたのだろう「準備が整いましたら端末の方に連絡させていただきます」と、受付を担当していた青年と共に頭を下げる署長。そんな彼等にアヴィーは「分かりました」とだけ返し、俺を連れて署の外へと出る。
「なあ、アヴィー」
目の前で起きた諸々の事を、具体的にいうなればあの封筒の中身についてを彼女に訊ねようとすれば、手袋越しの彼女の指が俺の唇をゆるく突いた。
「アレは我が社の機密ですから、ジークさんには何一つ教えることはできません。それより昼食を摂りに、署の向かいにあるあのカフェに行っても構いませんか?」
「あ……、嗚呼。構わないが……」
彼女は俺の唇から指を離すと、まるで俺をエスコートするかのように手を取って署の向かいにあるカフェへと入ってしまう。
店内に入るや否や鼻腔をかすめたのは甘い焼き菓子の匂い。このカフェではコーヒーなどの飲み物や軽食と合わせて甘い焼き菓子も販売しているのだろう。その香ばしい匂いの元となっている焼き菓子の姿を探そうと、俺は店内をぐるりと見渡してみる。どうやらこの店は入り口付近ではパンを販売し、レジカウンターを過ぎた奥からカフェになっているらしい。
俺が探していた焼き菓子はレジカウンターの傍で見受けられ、値段も割と手ごろな価格となっている。焼きドーナツ、マドレーヌ、フィナンシェ、パウンドケーキ。種類豊富なそれらを眺めていれば、横からアヴィーが「買うのですか?」と声をかけてきた。
「嗚呼、どれも美味しそうでな。アヴィーはもう―――」
もう何を食べるのか決めたのか? と言おうと彼女の方を見やればその手には既にトレーがあり、その上にはシナモンロールやフルーツサンド、クロワッサンなどの甘いパンが山のように乗せられていた。
嗚呼、これだけの量を食べるとなれば会計もそれなりの金額が必要になるだろう。我が家における今月のエンゲル係数は一体どれだけの数値を叩きだすのだろうか。朝方購入したアヴィーの為の間食代などでそれなりの出費をしてしまっている俺は一寸、財布に入っている残額も計算してしまう。
「ジークさんがボクを雇っている理由である事件の再捜査は現状進んでいませんからね、流石に此処はボクが払います。それでジークさんはどれが食べたいのですか」
昼の分は自分が払うと言ったアヴィーの言葉に俺はほっと胸と財布を撫で下ろし、レジカウンターの隣に並んでいた焼き菓子の一つを指さした。
「これ、だな」
「イチジクのパウンドケーキですか。とても美味しそうですね」
俺が指さしたそれの名前を確認し、トレーの上の山にソレを乗せたアヴィーは続けてその隣にあった他の焼き菓子たちもトレーの上に乗せてゆく。数種の焼きドーナツにマドレーヌ、フィナンシェ。昼食としては甘味の過ぎるトレーの上の物を一瞥し、一つ頷いた彼女は「それで、」と俺に目を向ける。
「一応レジで注文すれば中で飲み物やパスタなどの食事もとれるようですが、何にされます?」
アヴィーの選ぶ物がどれも昼食には聊か似つかわしくない物ばかりでうっかり失念していたが、昼食のためにこのカフェに入ったのだった。今更ながらにソレを思い出した俺は「飲み物はコーヒーで。あと、俺はサンドイッチで構わない」と言い、手近なところに並べられていたサンドイッチを彼女の持つトレーの上に乗せた。
「そうですか、分かりました。ボクは会計を済ませますから、ジークさんは席を取っていてください」
アヴィーの言葉に「嗚呼」と短く返事をし、俺は先に席を探しにレジカウンターの前を通りテーブル席がある方へと移動する。
休日の昼間であるせいか客は家族連れが多く目立ち、そのため大きめテーブル席は空いてはいない。アヴィーが持っていたパンの量を考えると、小さなテーブルでは納まりが付かないだろう。一体どうしようか、と思った矢先、タイミングよくテラス席の方で席が空いたため俺はそこに腰を落ち着けた。
テラス席とはいえ店内の方からもこちらはよく見えるはずだし、アヴィーも俺の姿を見つけるのにそれほど苦労はしないだろう。レジカウンターのある方を眺めていれば会計を終えたのだろう、トレーを持ったアヴィーと店員であろう女性の姿が見えた。こっちだ、と声をかけるか迷いつつ軽く手を上げれば、ソレに気づいたアヴィーが一直線に俺の方へとやって来る。
「テラス席でしたか」
「ここしか空いていなくてな」
パンの乗せられた一つ目のトレーをアヴィーが置き、彼女の後ろに着いて来ていた店員が飲み物と焼き菓子が乗せられた二つ目のトレーを置く。
「それでは後程ボンゴレパスタと、エビとトマトのパエリアをお持ちいたしますね」
「お願いします」
店員の言葉に頷いたアヴィーはパンと焼き菓子の山からサンドイッチとパウンドケーキを取り、俺の前に置く。そして「コーヒーです」と言葉も添えて飲み物も俺の前へと置いた。
「嗚呼、ありがとうアヴィー。……ところでさっき店員が行っていたパスタとパエリアは?」
「一応ボクの分です」
平然とそう言ってのけた彼女は椅子に座り、手袋外し濡れ布で手を拭く。そして「いただきます」と掌を合わせ、目の前にあるパンの山の消化に取り掛かりはじめた。外装として付けられて居るビニールを剥がし、サンドイッチを取り出して一口、二口、三口と齧る。
だがその口元を見ている限り味わうことは勿論十分な咀嚼もしていないだろう。ただ黙々と口の中に食べ物を入れ嚥下していくだけ。
そんな彼女は早々に一つ目のサンドイッチを消化し次のパンを口へ運びはじめた。まるで責務のようにして行われつつあるアヴィーの食事だが、その豪快な食べっぷりは清々しくこちらの食欲も少しばかり増させてくれたと思う。
だが、気にかかるのはそんな彼女を奇異の目で見る周りの人間の視線だった。
太さを感じさせない、否、むしろすらりとした細ささえ表しかねない体つきをした美少年が、積み上げられたパンの山を黙々と消化する姿はそれこそもの珍しいだろう。周囲の目を引き付けてしまうのは致し方あるまい。まあ、アヴィーは美少年ではなく少女であるし、ここへ来る前に間食としてそれなりの量の食べ物もたべていたのだが。と、彼女と共に居る俺しか知らない真実を一人思い、俺は自分の分のサンドイッチにがぶりと歯を立てる。
その味は、どこにでもあるカフェやパン屋のありきたりなもので、特に噛みしめる程のおいしさを見出すことが出来ないまま俺はサンドイッチを食べ終えてしまった。これならばアヴィーが手ずからサンドイッチを作ってくれた方がよほど美味しいかもしれない。
こんなものか、という落胆の気持ちを持ちながら、目の前に座るアヴィオールに再び目を向ければ彼女は相変わらず黙々と目の前のパンの山を消化していた。
奇異と好奇心が入り混じる複数の目の中に居る事すら自覚していないだろう彼女は、ある種別の世界を現在構築していると言っても過言ではあるまい。彼女の世界を崩してしまわないように、俺はコーヒーをすすりながら彼女の食べっぷりをただひたすら目に焼き付けた。
アヴィーの端末に警察署から着信が掛かってきたのは、彼女の元にパスタとパエリアの空皿と焼きドーナツが一つ残された時だった。
「署の方は準備ができたそうです。行きましょう」
「いや、そのドーナツを食べきってからで構わないぞ。俺も未だコーヒーが残っているからな」
既に二杯目となっているコーヒーのカップを揺らせば「そうですか……。なら、」と彼女は最後の一つである焼きドーナツをフォークで切り分け、その一欠けを俺の口元へと寄せた。
「どうぞ。オレンジを使用した焼きドーナツです」
先日のソフトクリームと同じ俗に言う「アーン」の状態に、俺は顎を引き、背筋を正してしまう。周りの目もさることながら、これもまた彼女との間接キスとやらになってしまうのではないだろうか、と考え至ってしまう。
彼女の触れた部分、それも咥内と接触した部分が俺の体内に入る。―――彼女の分子が俺の中に入る。そして次に彼女がこのフォークを使えば俺の分子もまた彼女の中へと入り込むのだ。その真実に気づけば、ぞわりと鳥肌が立つのがわかる。嗚呼、彼女に犯され犯しても、良いのだろうか。
「食べないのですか」
焼きドーナツを着き刺したフォークがぷらぷらと動かすアヴィー。彼女の金色の目はじっと俺を見つめており、やはりどこか見透かされている気さえする。否、きっと見透かしているのだろう。俺の疾しく歪んだこの思考を。
「頂こう」
そう短く返事をし、目の前で揺れるドーナツに齧りつけば、咥内に入っていたフォークがするりと引き抜かれる。咥内に居る間だけでも、と細やかではあったがそれなりに俺の唾液を絡ませられたそれは、迷いなくアヴィーの下にあるドーナツを突き刺し、見せしめの如く彼女の口元へ運ばれた。
「おいしいですね」
「……嗚呼、そうだな」
何が、とは言わず互いにそれだけを言い在った俺たちの姿は、傍から見ればドーナツを分け合い食べるほほえましい親子、ないしは歳の離れた友人のように見えているのだろう。その内に秘めたる歪んだ想いなど見抜かれることもなく。
「それでは、行きましょうか」
ドーナツもまたぺろりと食べ終え、立ち上がったアヴィーは机の上の食器をカフェの返却口へと戻し、店を出て警察署の方へと歩き出す。悠々自適に、軽やかな足取りで歩く彼女の腹は微塵も膨れていない。そう、本当にあのパンの山は在ったのだろうか、と逆に疑問を抱いてしまうほどに彼女の姿は変わっていないのだ。全ての事実は彼女の腹の中。俺にはもはや俺の見ていた光景が本当である自信は、無い。ただ、しっかりと覚えていればいいのは一つだけ。彼女の分子が俺の中に入り、俺の一部となったこと。それだけ覚えていれば、全ては丸く収まるのだ。




