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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
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プロローグ



 宵闇の静寂が居座る清き真白の間。その中央部に居るのは無数の人影と、異形の主。ヒトと猫と蛙の三つの頭に巨大な牛の身体。


 白い床を這う尾は艶やかな鱗に覆われており、細やかな光を反射させている。加えて、夜の闇が臨席するその場においてもソレは彩を放っており、髪と思しき体毛は色とりどりに染め上げられていた。


 得体の知れぬ異形。その実態を知らぬものが見れば絶叫するであろうその異形。されど、ソレの目の前で頭を垂れる男は声を張り上げる。「嗚呼、我らが王よ!」と、大げさなまでに。


 ―――我らが唯一讃え、崇める偉大なる王! 嗚呼、嗚呼! 先祖代々言い伝えていたように、傍らに佇み笑みを零す梟の預言者が囁いたように、やはり私たちの王はこの世に存在しておられたのです! 私たちは、何一つ間違ってなどいなかったのです!


 恍惚の表情を浮かべながら「嗚呼、嗚呼」と声に成らぬ感嘆を漏らすその男の傍には一人の少女。そして男の後ろには、幾人もの人間が彼と同じように傅いていた。


「お帰りなさいませ、我らが王。此度のご帰還、我らが一同心待ちにしておりました」


 今一度頭を垂れ、目の前の異形にそう言い放った男。その声が堰を切り、後方の人間たちが嗚咽を漏らし、涙を零す。その涙は男の方にも伝播したようで、男の頬にもまた涙が滑り落ちている。勿論、口元には満面の笑みを称えて。甚だ異端。甚だ珍妙。そんな間で、一つの声が上がる。


「奇跡の御手よ、面を上げなさい」


 幼さをたっぷりと残した顔に、柔らかなはちみつ色の髪を揺蕩わせる少女。否、梟の預言者。凛とした彼女の声に促され、男は垂れていた頭を上げた。その様を見た彼女はぱたぱたと軽い足音を立てながら、そしてどこか韻を踏むように、そして薄桃色のワンピースを軽やかに翻して、異形の周りで踊り始める。


 くるりと彼女が動く度に揺れるはちみつ色の髪は、光源の限られるこの場においてもその眩さを失ってはいない。


「罪を抜きたる真白の乙女は、我らが王を産みたもうた。赤子を育む聖杯を壊し、波打ち刻む心臓を抉れ。たゆたう幻は踊り、嘘を真に孵しましょう」


 踊る梟の預言者が紡ぎだす言の葉の真意は、男の片膝を赤黒く染め上げ、彼女と異形の足元で転がる真白の少女だったモノ。背を割かれ、冷たい真白の床に転がる右目を失った白髪の少女を目にした男は、きつく自身の唇を噛む。


 嗚呼、なんて羨ましい! 私が彼女のように子を育む臓器を持ち得ていたのなら彼女の代わりに王を育み、産んで差し上げたというのに! 嗚呼、しかしそれでは腹を引き裂き産まれる王の誕生をこの目で見ることは叶いませんね。


 そう言いたさげな嫉妬と羨望と傲慢さが入り乱れた表情を浮かべた男は横たわる彼女から目を背け、眼前の異形を見つめ直した。だが、その男は不意に何を思ったのか、いきなり焦り出したようにしてきょろきょろとあたりを見渡し始めた。


「あら、どうしたの。奇跡の御手さん?」


 男の不躾な態度に梟の預言者も不思議に思ったのか、上機嫌に踊っていたその足を止めて男に視線を向ける。そしてゆっくりと一歩、二歩とその小さな足を男の方へ進めた。


「私の息子の姿が見当たらないのです……。王がご帰還なさるまで隣に居たはずなのですが」


 申し訳なさそうに眉を下げた男にそう伝えられた彼女は、彼に変わってぐるりと辺りを見渡す。


「嗚呼。居たわよ。貴方の後ろ側にあるあの柱の陰に隠れて震えているわ。きっと可愛らしくも白々しい彼女の背を割いて顕現した、我らが王の姿を見て吃驚してしまったのね」


 くすり、と小さな笑みを零した少女は軽やかな足取りで歩く。そして、異形の足元で横たわり、男の膝を赤黒い血で染め上げている真白の少女だったモノを爪先で転がした。


 ころん、ころん、と重みの抜けたその少女の背は、緑色の衣服もろとも大きく裂けており、亡骸と言うより抜け殻と言った方がよほどしっくりくるほど。


「好意を寄せんとしていた少女の身から異形の主が割って現れる様は、幼い彼には少々刺激が過ぎたかしらねぇ。でもいいのよ、このぐらいの適度な刺激があればとても素晴らしいパパに成れるから。早く大きくなると良いわ。嗚呼、今から既に待ち遠しい程ね」


 早く。早くその可能性を発芽させて、私を心の底から愉しませてちょうだい。


 そう一人で語った梟の預言者はクツクツと喉を鳴らし、細くしなやかに伸びる自身の両腕を大きく広げ、凛とした声を放つ。


「さあ、お前の世界を語りなさい。奇跡の御手よ!」


 高らかにそう宣言した彼女に促された男は大きく息を吸い込み、唇を開く。


「我らが主よ、貴方様がお眠りになられている間、偽りの神が人々を誑かし人間の性根を腐らせております。人民の貧富の差は日々増すばかりで、傲慢なものは弱者を虐げるのが常。加えて戦が多くの場で行われ、平穏が約束された場所は最早ありません。しかも世を統べる彼等は彼等の望む教え以外の異端すべてを排除する世界を作り上げてしまおうとさえしているのです! そんな腐臭に満ちてしまった世界を共に浄化し、王の世界へと導きましょう!」


 男は知り得ているであろう世界の暗闇の一端を語り、大きく両手を広げる。すると目の前の異形は蛙の口から蒼い炎を激しく吹き出し、床を統べる太い尾で力強く地面を叩いた。


 怒っているかのような様を見せられた男は狼狽え、異形の傍に居る梟の預言者の顔を見やる。


「大丈夫。これは喜びの行為だから、貴方は何一つ怖気づかなくてもいいの」


 少女特有とも呼べる愛らしい笑みを浮かべ、そっと男に耳打ちした言葉により胸を撫で下ろしたのだろう。男は今一度眼前の異形を見つめ直す。


 だがその異形は男の姿をその目に映してはおらず、その奥を凝視していた。それを不思議に思ったのか、男が異形の視線の先を追えば、男の息子が顔を青ざめさせていた。


 ソレを男が認識した刹那、野太い遠吠えが響くと同時に男の身体が蒼に包まれていた。自分の身に何が起きたのか理解できなかったであろう男は、一瞬驚きの表情を浮かべてはいたものの、徐々に自分の現状を理解し、その表情は驚きから悦楽へと変える。


 ―――嗚呼。どうやら私は本当に「類稀なる幸運」を持ち得ていたようです。そう、喜ばしいことに私を包んだのは蒼い幸福。王の吐息、王の生、王の愛、王の炎だったのです! 故に熱い、と感じることはありません。何しろ焼け焦げる痛みも、苦しみも、全て王が私に与えてくださった幸福であって「熱い」などと言えるような苦痛ではないのですから。嗚呼、嗚呼! こんな幸福に包まれて死ぬなど、本当に私は奇跡を持っていたのですね! それでも喉元に引っかかった小骨のような心残りがあるとするならば、それは燃えさかる私を滑稽な玩具を見つめ、無垢な子供のように笑う梟の預言者。彼女は我が王をこの地へ招くために必要な術を唯一知り得、王の傍に在ることを許され、王の代弁者たれるマレビト。嗚呼、そんな人間に私もなりたかった! 嗚呼! 嗚呼! どうして私は彼女として生まれることができなかったのでしょう!


 そんな声が聞こえてきそうな程の喜悦、欣幸、愉楽、歓喜を称えた男の顔は宵闇の中で徐々に融け、そして闇色と同じ黒へと変貌した。





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