一話 少女と竜の旅路
馬車の揺れに身を任せながら、小さな窓の外を眺める。
すでに王都の防壁を抜けてしばらくが経っていて、周囲は舗装された街道と草原ばかりが目に入る。
「こんな遠くまで来るの……いつぶりだろう」
小さく呟いて、側で丸くなるミトラの首を撫でた。
彼は気持ち良さそうに喉を鳴らしながら、私と同じように外に目を向ける。
『この感じ、この匂い……なんだか懐かしいな』
「そっか。ミトラは私と会う前は、ずっと外に居たんだもんね」
思えば、ミトラに出会って絆獣として迎えてからは、王都から一度も出ていないような気がする。
彼に乗せて空の散歩をする時も、こんなに遠くまでは来なかったのだ。
『でも、本当に良かったの? ルティシラ、もう王家の人間じゃないんでしょ?』
「まあ……そうなるわね、形式上は」
私はそっと窓に頬杖を付いて、ここを出た時のことを思い出していた。
“儂は、いつだってお前の帰りを、待っているぞ。それはおそらく、国民もそうであろう。くれぐれも無事に戻るのじゃぞ”
それは王宮を出発する直前、あの謁見室で国王様に言われたこと。
歴史上どこにも残らず、私と国王様しか知らない秘密の対話。それはあまりにも、国王という座に着く人間とは思えないものだった。
ほんとうに、彼は身内には甘いんだから。甘すぎる。
“分かりました。では……もし私が血統解放出来るようになれば……いや、誰よりも強くなれた時、私は戻ってきます。必ず絆獣とともに国に帰ってみせます”
そう言って私は、アルバート王国の王都を飛び出したのだ。
絆獣結晶の無い私たちに、強くなる術などほとんど無いのではないか……きっと彼はそう思っただろう。
「でも、実際に見てみなきゃ、分からないことだってあるはず」
私が自らの意思で飛び出した理由は、国交上の問題にもたくさんある。
その一つが、私の身に起こった“不可解な現象”の数々をこの目で確かめて、強くなる方法を模索すること。
王都にはアルバート王国全体の情報が集まり、計り知れない量の文献も存在する。
しかしそれでも、不足する情報というのはいつも存在していた。
「だから、この目で確かめに行くんだ。ミトラ、あなたも一緒に連れていくからね」
『もちろんそのつもりだよ! ボクは何処へだって一緒だから!』
「ふふ、ありがとう」
ミトラは嬉しそうに目を細めると、私の懐に頬ずりをしてくる。
それを優しく受け止め撫でてあげながら、馬車の前方にいる専属御者に声を掛けた。
「もう、このあたりでいいわよ。もう十分だわ」
「お嬢様……? し、しかし」
御者が止めようとするのを聞かずに、私はミトラと共に軽やかに馬車から降りた。
「私はもうお嬢様じゃないわ。いいの、ここからは私たちだけで行くわ。心配しなくたって、ミトラが居るんですもの。大丈夫よ」
「ルティシラ様……」
心配そうな表情をする御者に、ここから帰還するようになんとか説得を試みる。
そんな私の姿勢に、ついに彼も折れたようで、ゆっくりと馬車を旋回させ始めた。
「ここまでありがとう。帰りも、気をつけて」
『ありがとうございました』
「ルティシラ様……そして絆獣様、どうか、ご無事で……」
やがて元来た道を引き返して行き、しばらくもしないうちに馬車は小さくなっていった。
今思えば、これは追放なのだろうかと疑問に思ってしまう待遇である。ここまでは普通のお出掛けと変わらないのでは。
しかし、きっと王都では私の追放の事実が大スクープとして取り上げられ、周囲の街に知らせる早馬が走っているに違いないだろう。
「さてと……」
私は大きく伸びをして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
ミトラも、狭い馬車の中に詰め込まれていたからか、翼をピンと伸ばしていた。
ここからは、使い魔を持つ一人の旅人として進むことになる。
移動用の馬車も無ければ、金属の鎧に身を包んだ護衛も居ない。
その状況が、なんとも私をワクワクさせた。
「よし、じゃあミトラ、いくよ!」
『任せて〜』
私はミトラに一声掛けると、鞍の付けてあるその背中に飛び乗る。
それから軽く首を叩けば、彼は勢いよく走って助走を始めた。
やがてふわっとした感覚が感じられ、緑に覆われた地面がどんどんと遠ざかっていく。
「さてっ、とりあえずこのまま西に進もうかっ!」
ごうごうと風が叩きつける中、伸ばした銀髪がなびくのを押さえながら声を掛ける。
まず目指すのはアルバート王国の西端に位置する街、オーヴェスト。そこからさらに北西に進んで、狐の血統国“アルメン”を目指すのだ。
『よ〜し、久し振りに自由に飛べる……!』
「はしゃぐのは構わないけど、ちゃんと目的地には向かってよねっ!」
『もちろん!』
翼をはためかせてどんどんと高度と速度を上げていく彼に、私は注意しながらも少し嬉しく感じていた。
彼にとっても、やはり王宮での暮らしは窮屈だったのだろう。その分、多少は羽を伸ばさせてあげてもいいだろう。
そうやって自由に空を駆ける彼の背中に掴まって、私はこの旅のスタートを切ったのだった。