プロローグ
「お父様……私に、無期限の国外追放を課してください」
ここは、王宮の最奥に用意された特別な謁見室。白を基調として金や赤といった細かな彫刻が、壁や天井のあちらこちらに施されてある。
そんな大きな部屋の中央で、私は静かに要求を伝えていた。
「もうこちらの準備はほとんど整いました。あとは、お父様のご命令があればすぐにでも」
「……。」
お父様は王座に深く腰掛けたまま、考え込むように額に手を当てていた。
それからしばらく、重苦しい静寂だけが謁見室を支配する。ごくりと私が息を呑む音さえ、周囲に響いてしまいそうなほどだ。
「ま、待ってくれ! ル、ルティシラ、追放って、一体どういうことだ!」
その時、隣に座っていたカーヴお兄様が声を荒げて立ち上がった。
短く切られた私と同じ銀髪を掻き乱しながら、状況を整理させろと言わんばかりに言葉を続ける。
「無期限の国外追放? なんだそれは、お前は何もしてないじゃないか! それより、そんなことお前から頼むことでもないだろ!」
「カーヴお兄様、落ち着いてください」
普段からあまり取り乱すことのない彼であるが、今回ばかりは流石に混乱しているのだろう。
それもそうだ。王家の人間の追放、ましてやそれが本人の意思によるものなど、前代未聞だ。
「カーヴァル、座ってくれ。ひとまず、ルティシラの言うことを聞いてみようではないか」
「……いかなる理由であっても、ルティシラの追放などあり得ません」
お父様の言葉に、カーヴお兄様はゆっくりとその場の椅子に腰を下ろす。しかし、彼は私の追放に関して断固反対の意思を見せているようだ。
仕方ない、ここは“彼”も呼んで説明する他無いようだ。
「ミトラ、おいで」
私がそっと“彼”の名を呼ぶと、謁見室の扉が静かに開いた。
そこから現れたのは、ライトブルーの鱗に覆われた竜。大きさは人ひとり乗せるのが限界くらいだが、鋭い牙や鉤爪に、逞しい翼、しなる尻尾。
この場所にはいささか不相応にも見える、正真正銘の魔獣の姿がそこにあった。
『国王様、失礼します』
「絆獣のミトラか……いつも、ルティシラが世話になっているな」
私の隣まで歩いてきたミトラは、傅くようにその場に身を伏せて頭を下げた。
そんな彼の頭をゆっくり撫でると、私は意を決して立ち上がった。
「幸運にも、私は絆獣としてミトラに出会うことができ、私は絆結者となりました。当時は苦労もありましたが、現在ではその名の通り私たちは強い絆で結ばれていると自負しております」
ゆっくりと口を開き、二人に聞こえるように話し始める。お父様は何かを察したような表情だが、お兄様はまだ何のことか分かっていない様子だ。
「しかしながら……。カーヴお兄様も、ご存知でしょう? 四年前の『血統解放の儀』の出来事を」
──
────
「ミトラ! がんばろうね!」
『うん!』
あれは、私が十の歳になった時だった。
絆獣を持つ血統者、絆結者は、この時に『血統解放の儀』を行わなければならないのだ。
血統解放の儀というのは、絆獣との絆をさらに深め『絆獣結晶』と呼ばれる絆の証明となる石を生み出す儀式のこと。
この儀式は特別な魔方陣が用意された部屋で行われるが、私たちがやることは至って簡単。
お互いのカラダを触れさせて、そこにふたりで血を一滴落とせばいい。たったそれだけだ。
周囲の傍観席には国の重鎮たち十数名の他にお父様……国王の姿も見え、緊張の中部屋の中央に立つ。
地面に描かれた魔法陣がほのかに光り、私たちはついにその時を迎えたのだ。
「ごめんね、いたいけど、少しがまんしてね?」
『ん……大丈夫!』
私は例に倣って儀式用の銀のナイフを手に持ち、彼の右の手のひら、ちょうど鱗のない柔らかい部分を小さく傷付けた。
それからナイフを置き、今度は私の右手をミトラにそっと咥えさせる。
『次は、ルティががまんだよ』
「……っ」
つぷり、という鋭い痛みと共に、右手にミトラの牙が少し沈む。
ミトラと同じく細い赤が私の手首を滴り落ちていき、儀式の準備が整ったことに当時の私の胸は踊った。
彼と一緒にこの時を過ごせることが嬉しくて、手の痛みなどどうでも良いものに感じていたのだ。
「ミトラ、い、いくよっ!」
『わかった! じゃあ……』
声を掛けた私は、ミトラとお互いで傷を付けた右の手を、左の手と同じように握り合った。滴る赤の筋が手の下で混じり合い、重力に従って雫を成す。
それから一瞬の静寂があったかと思うと、ついにその雫が解き放たれ、ミトラとしっかり握った左の手に──
ババチィィッ……!
突然、まるで爆発があったかのような閃光と音が広がり、私は思わず尻餅を付いた。
魔法陣を挟んだ向こうには、同じくミトラも吹っ飛ばされていて、何が起こったのか分からないといった様子。
周囲から、ざわめきが広がった。
「あれ……?」
私は慌てて起き上がると、魔法陣の中央に屈み込む。話では、ここにミトラとの絆の証明となる緑色の『絆獣結晶』が生まれるはずなの、だが……。
ない。
どこにもない。
部屋の中をくまなく見回しても、どこにも見当たらなかった。
「う、うそ……」
私はその場に崩れ落ちて、しゃくりあげるのを必死に我慢しながら袖を顔に押し当てた。
“失敗だ” “まさか、あり得るのか?” “出来損ないか……”
“あの竜が原因では?” “失敗したなど聞いたことがないぞ”
周囲の重鎮たちのささやきが、どんどん私の頭を呑み込んでいった。
まさか私が、ミトラとの『血統解放の儀』で上手くいかないとは、夢にも思っていなかった。
だって、ミトラとはいつも一緒で、誰よりもコンビネーションも上手く行っていて……。
大好きなミトラとの絆は、十分ではなかったのだ……。
私のせいだ、私がもっとミトラのことを分かっていれば……きっと私は、彼のことを何も──
『ふざけるなっ! 行くよルティシラ! ルティシラは何も悪くないっ! ボクは、君の、絆獣だ! 誰が何と言ってもね!』
ぐいっとお腹を咥えられたかと思うと、彼は私を連れてあっという間に部屋を飛び出していった。
ひどく滲む視界の中、私を何処かに連れていく見慣れたライトブルーの姿だけが見え。
私はその時になってついに我慢できなくなり、大声で泣き叫んだ。
────
──
「ああ、覚えているよ……」
「……。」
当時の出来事を少し話せば、二人は俯くようにして頷いた。
できればこの話は私もあまりしたくないのだが、もう逃げてばかりもいられない。
「結局、私たちの『絆獣結晶』は見つかりませんでした。しかし、私たちの左手には絆結者の紋章が浮かんでいます」
私が二人に見えるように左手の手のひらを掲げれば、ミトラもそれに続いて左手をあげる。
そこには私の左手にあるものと同じ、竜が丸まったような紋章が刻まれていた。
「つまり、ミトラと『血統解放の儀』は失敗しましたが、魂は絆で結ばれている状態。どちらか片方が倒れれば、もう片方も命を落とすでしょう」
話を進めるに連れて、お兄様も私の言わんとすることが理解できてきたようで、唇を噛み締めながら私を見上げている。
「絆結者はそのリスクを背負う代わりに、『絆獣結晶』の力で『血統解放』という強力な技を使います。……もちろん、絆獣結晶が無い私たちは、血統解放が出来ません。血統解放の出来ない絆結者とは、御者の居ない馬車と同じ。リスクだらけの割に、“他国の血統者”と比べて戦力面で大きく劣ります」
戦力とは、行使せずとも持っているだけで相手を牽制し、意のままに動かす力を持っている。
言い換えれば、戦力を持たない国は他国から容易に圧倒される。
「一対の絆結者だけで、国勢が傾くと言われています。その絆結者の私が機能していないと知れれば、この国は外交において大きな不利を被るでしょう」
「……そんなもの、僕はちゃんと分かっている。それに、父上も知っているはずだ」
私の言葉に、カーヴお兄様は静かに応える。しかしその表情は暗く、少し俯き気味だ。
わかっている。私もちゃんと、カーヴお兄様やお父様が、私のことが外部に流れないように努力していることはわかっている。
「私が血統解放できないことは国家機密となっており、一部の人間しか知っていません。ですが……私が十五の歳になった時の、他国の絆結者との模擬戦は、どうするおつもりでしょうか?」
二人の息を呑む声が、静かな謁見室に溶けていった。
そう……いくら隠したとしても、あの模擬戦に出ないわけにはいかない。そして出れば最期、絆結者であるにも関わらず血統解放できない事実は、ついに周知のものとなるのだ。
「もう、誤魔化すことは、出来ません、国王様」
しばらくの間を置いた後で、私は静かに言い放った。
「私が絆結者であると知られない内に、私との王家の縁を切り離してください」
私は知っているのだ。もう、彼らが私のことを隠すのは限界であると。
だから、これ以上彼らに迷惑を掛けるわけにはいかない。私を追放すれば、この国の『弱点』である私が無くなるのだ。
「追放、という形であれば、怪しまれることはないでしょう。そのための準備はほとんど整いました。あとは、国王様のご命令があればすぐにでも」
彼らだけでない。この国に住む国民全員に、私は迷惑を掛けるかもしれないのだ。
国民を守るべき国王が、ここでどう判断をするのが正しいのか、お父様もお兄様もちゃんと分かっているはず。
「国王様……私に、無期限の国外追放を課してください」
私はもう一度、お父様の目を見つめて言った。あんなに反対の意思を見せていたカーヴァル様も、今はうなだれたまま何も言わない。
再び訪れた静寂の中、私は永遠とも思える時間を待った。
「……わかった。……ルティシラ・アルバートに、無期限の国外追放を課す。原則として、以後アルバート家を名乗ることは、侮辱罪にあたるものとして心得よ」
「ありがとう、ございます」
長すぎる沈黙のあと、国王様は絞り出すような声でそう言った。