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セルゲイ、ガーリーアップ!







 米国特殊特務事例対策司令基地──通称SDRT。

 その一室、救護室にて、野太い男たちの声が響いていた。


「隊長、隊長ーッ!」「あの血塗れ鬼ブラッディ・オーガが死ぬわけねえだろ!」「確かに隊長は厳しかった!」「ああ、ドSもドS、部下の悲鳴を聞くのが大好きな変態だ。間違いない!」「しかし、それでも! それでも隊長は、偉大な男だ!」「隊長は厳しくこそあれ、決して理不尽ではなかった! 正義を愛し悪を憎む、高潔な男だ!」「即ちッ! 最大にして最高のアメリカ野郎ヤンキー、セルゲイ・ブラッドベリーが死ぬワケがないッ!」「「「隊長! 隊長ーッ!」」」


 地面を踏み鳴らし、そのむくつけき平均体重百キロの肉体を哀しみによじり、涙を流しながら己の命を賭けてついて行くと決めた男の名を呼ぶ。

 この部屋の主、アリッサ主任医務官はその柳眉を下げ、ため息を吐いた。


「……ここは医務室よ。医務室って言葉の意味、わかるかしら?」

「無論!」


 代表して前に進み出たやたら暑苦しいブラッドベリー小隊副隊長・バッシュのその声に、アリッサは頭が痛いとでも言いたげにこめかみを抑える。


「承知しているなら出て行ってくれないかしら。ここは怪我人を治療する場所で、どこかに行ってしまったあなたたちの隊長の名を呼ぶ場所じゃないの。はっきり言うと迷惑。ここで大声を出して病人の邪魔をするくらいなら、研究所跡地にでも行って瓦礫の山を掘り返してきた方がマシじゃないかしら?」

「ぬ……!」


 その言葉の正当性にバッシュは歯噛みする。が、しかしここで引き下がるわけにもいかないのだ。研究所跡は散々に探し回った。

 二日前の任務では早々に戦闘能力を失って脱落し、生死を誓った隊長について行けなかった。彼らブラッドベリー小隊はそに己たちの無力さ、愚鈍さを嘆き呪いながら、筋肉が千切れ、爪が剥がれるまで跡地を掘った。

 だが、そこに隊長はいなかった。どんな爆発が起こればこうなるというのか、建物が完全に吹っ飛んでいたその敷地内に、敬愛する我らが隊長、セルゲイ・ブラッドベリーの姿はなかったのだ。そして彼らは結論せざるを得なかった。……隊長はもう、ここにいないと。


 だが、だからといってそこで終わりではない。そこに姿がなかったからといって、それでも死ぬようなセルゲイ・ブラッドベリーではない。

 誰に彼の死を告げられようと、仮に死神からそう告げられようと、しかしバッシュたちはセルゲイの死を否定する。たとえどれ程絶望的な、悪夢のような状況からであろうとも必ず生還する男、地獄天使と呼ばれた男の背中を誰よりも長く見続けてきたが故に。

 そしてセルゲイの行方を捜し続けるうち、バッシュたちは掴んだ。秘匿されていた情報、すなわち──


「Dr.アリッサ、ここには一人患者がいるのだろう!? あの夜に収容された患者が!」

「いたとして、何? それにあなたたちは何の関係が?」

「大有りだ! あの夜にここから出動し、またここに収容されるような人間は、隊長を含めた我らブラッドベリー小隊、十二名のほか存在しない! ならば! ならば必然的に、ここに収容されている人間は隊長ということに──!」

「……なんのことかしらね?」


 アリッサは柔らかな口調でそう言ったが、しかしそこに込められた確固たる意志を読み取れない隊員たちではない。これまでの訓練や任務を通して、Dr.アリッサの非情なまでの職業意識と大男にも一歩も退かない意志の強さを知っている。

 故に、バッシュたちブラッドベリー隊隊員はここで引き下がるべきであった。医務室内はアリッサの聖域、兵士に侵すが許された場所ではないのだ。

 が、それでも。それでも彼らは引きさがりなどしなかった。なぜなら──


「誤魔化しはやめていただきたい! ……我らが忠誠を誓うはただ一人、ブラッドベリー隊長のみ! 敢えて口にするが、我らの信ずるものはアメリカの正義でも軍の正義でもなく、隊長の正義だ! 隊長のことに関してだけは、退くことはできないッ……!」

「……面倒くさい連中ね」


 アリッサは悩む。この男たちの愚直さはよく知っていた。この男たちがセルゲイという一人の男に、どれほどの信頼と信望を捧げているのか、アリッサ自身もよく知っているのだ。

 だが、だからと言って面会など許せるはずもない。そう、絶対に。

 アリッサは慎重に慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。


「……わかったわ。ええ、あなたたちの彼への想いはよく理解しました」

「ならばッ!」

「落ち着きなさい。……私は今から、本当のことしか言わない。あなたたちが信じようと信じまいと、神に誓って本当のことを話すわ」

「……」


 それが真実であるか否かは己たちで判断すると言わんばかりの男たちの態度にアリッサは苦笑し、言葉を口に出した。


「『彼はここにはいない』。……確かに今、ここには収容されている患者が一人存在するわ。けれども、ここにいるのは『彼ではない』」

「……それは」

「ねえ、それでなくとも考えてもみて。もし仮にセルゲイがここにいるとして。彼は弱った傷だらけの体を、あなたたちに見せたいと思うかしら?」

「思わない、だろうが……!」


 その押し詰まった様子に、説得完了とばかりに背を向けたアリッサだったが、しかし彼女は結局、ブラッドベリー小隊という組織を芯から理解してはいなかった。


「だがっ……!」


 背後から上がる声に反応して振り返る間もなく。男たちは医務室の中にアリッサを追い抜いて踏み入り、奥のベッドのカーテンに手をかけていた。


「それでも! それでも……ッ! 隊長がここにいるやもしれぬなら、どんな姿であろうとも構わん、せめて一目だけでも……!」

「あっ、駄目っ!」


 アリッサが止める暇もなく。カーテンはバッシュの野太い手により引ききられ、その中に眠っている人影が露わになる。

 彼らは崇敬する隊長の巨体を探して目を彷徨わせ、しかし存在しない質量に困惑し、結果的にバッシュたちブラッドベリー小隊が目にしたその人影とは──

 少女、だった。




 バッシュたちは一瞬、息を呑む。その背後ではアリッサが何かを諦めた表情になっている。


 端的に表現しよう──そこに存在していたのは『天使』だった。


 身長は150cmに届くか届かないかといったところであろう。その細くしなやかで、どこか艶かしい肢体から鑑みて、体重などはおそらく、ここに集っているむくつけき男たちの半分、いや下手をすれば三分の一以下といったところだろう。

 身に纏っているのは丈の長くない簡素な、地味な病院着であったが、それだけでは少女が放つ光のような可憐さを押しとどめるには至らず、むしろ引き立てるかのようだった。粗末な病院着でこの可憐さならば、仮に着飾ればこの少女は、どこまでその魅力を増すのだろうか?


 肌はまるで陶磁器のような、それ自体が淡く発光しているかのような、触れることすらも躊躇われる白皙。しかし仮に触れてみたならばふるんと触れた指を押し返すことが当然のように想像でき、思わず手を伸ばしてみたくなるのも無理はない。

 髪は燐光を織ったように儚く輝くプラチナ・ブロンドで、艶々と、同じ体積の黄金と同じ価値があろうかというほどの、妖しいまでの美しさ。あたかもそれ自体が美術品であるかのように人間の原始へと訴えかける抗いがたい魅力は、見るものをどうしようもなく誘引する。


 顔だち、体つきの優美さは、もはや人間として造形されたもののように思えない。何か人ならざる、それこそ羽を持たぬ天使とでも呼ぶのがふさわしい黄金比であった。

 無垢に眠るその表情はそれの佇まいに侵しがたい神聖さとでも言うべきものを付け加え、この薄暗い病室がまるで、荘厳な宗教画の舞台に錯覚されるほど。

 誰しもがその柔らかに閉じた眼を開いてこちらを見つめて欲しいと、またそのやわらかくも瑞々しい唇で己の名を呼ばれることを願うことだろう。


 結論。つまりはとんでもない美少女であった。


 バッシュたちブラッドベリー小隊員は一様に言葉をなくし、沈黙が場を覆い尽くす。

 なぜだ? なぜこの軍用施設に、このような少女が収容されている。……それ以前に誰だ。隊長どこだ、隊長。俺たちが探してんの隊長だから。美少女じゃねーから。

 というかこれは、自分たちはただ美少女の寝込みを襲ってるだけでは……?


 その間約十秒。隊員たちがはっと己たちの陥っている状況に気づき、退避しようとした瞬間、少女が目を覚ます。


「……ん、ぁ」


 それはまるで、蕾が花開く様子を目の前で見ているかのよう。眠りから目覚めようとして微睡むその少女の無防備な姿は、見るものに恐ろしいほどの庇護欲を掻き立てる。

 そして少女は、自分を見つめる男たちに気づく。


「……? なんで」


 瞬間、男たちは規律正しく列を成し、ザッ! と軍靴を揃えてその場を退出した。

 そして部屋の外から叫び声が聞こえる。


「野郎どもーッ! 俺たちはなんだ!」

「「「栄光あるブラッドベリー隊、地獄を踏破するブラッドベリー隊です!」」」

「よしッ! では俺たちは今何をした!?」

「「「年端もいかぬレディの寝台に踏み込みましたッ!」」」

「よしッ! ……では我らのブラッドベリー隊隊規にもとる行動の罰としてトラック五十周! そしてそののち、ブラッドベリー隊長の捜索に戻る! 返事は!?」

「「「サーッ! イエッサーッ!」」」


 そのまま、ザッ、ザッと集団の遠ざかる音が聞こえてくる。

 室内には呆然とする少女と、頭を抱えるアリッサだけが残った。

 アリッサは大きくため息をつき、少女に声をかける。


「 まったく、傍迷惑な連中。……それともあるいは、彼らの熱気があなたを起こしたのかしら? ともかくご機嫌よう。お目覚めになったようね、セルゲイ=ブラッドベリー曹長」







◇◇◇







 その時・・・のことを夢に見ていた。

 Dr.ヘルフォッグ独立開発研究所──本来であればただの研究所であるはずのそこに、己を含めたブラッドベリー小隊は潜入していた。目的は『コア』の入手であり、ブラッドベリー小隊は見事に奮戦した。叶うはずのない圧倒的な戦力を誇る敵に立ち向かい、身を呈して隊長である己を先へと進ませ、その甲斐あって己はギリギリの隙を突いて目標物を奪取することに成功した。

 だが──目の前には異形の力をその身に宿した、競うのも馬鹿馬鹿しくなるほどに強大な『敵』の姿があった。見つかってはならなかったのに、見つかってしまった。敵のその華奢な外見に惑わされてはいけない、そのことは既に十分すぎるほどに理解していた。……否、理解させられていた。

 逃げることは叶うまい。部下たちはとっくの昔にこの場を離脱し、この場に味方は自分一人。けれどもその状況下で自分は、絶対に成し遂げねばならないことがある。偶然と幸運の隙を突き奪取した、上からは『コア』としか聞かされていない、この拳大の黒真珠のようなもの。自分には、それを持ち帰るという任務が課されているのだ。

 ……だが、今の己の戦力では目の前の敵に抗することなどできない。戦えば、十秒後には自分の肉体は挽肉にされているだろう。それでも、コアを奪われることだけは許されない。

 ならば。ならば己が、このセルゲイ=ブラッドベリーが果たすべき義務とは──






「……何が、どうなっている?」


 ──と。そこで目を覚ましたセルゲイは、心の底から途方に暮れていた。

 これまでの経歴で、思い返すも恐ろしい地獄のようなミッションをくぐり抜けたことは何度もあった。どれだけの無理難題も、どれだけの悪夢的状況も、鍛え上げた肉体、技量、精神力で耐え抜き、切り抜けてきた。

 しかしその百戦錬磨、アメリカの生んだ最強の兵士と呼び声高いセルゲイも、こんな事態に遭遇したことはなかった。否、こんな事態を想定したことすらもなかった。何しろ……


「なぜ! ──なぜっ、私は女になっている……!?」


 悪夢であった。

 あれほどに鍛え上げ、筋肉で膨れ上がり、大小百を超える名誉の戦傷が縦横無尽に走っていた強靭な己の肉体は、どこにも見当たらない。

 代わりに視界に映るのは、銃どころか豆鉄砲も握ったことがなさそうな白く生っちょろい、すべすべと柔らかな白魚の手。そしてぺたぺたと体を触ってみるとどこもかしこも柔らかい。柔軟な筋肉ではなく、筋肉がないために柔らかいのだ。

 それ以前に骨格からして、骨太マッチョイズムを体現した己の肉体とは程遠い、片腕で抱いただけで折れてしまいそうな華奢な体である。鏡を見た瞬間にセルゲイは思わず、肉喰え肉、とアドバイスしたくなった。


 視界の端に移ったゆらゆらと銀白色に揺れるものを手にとってみると、髪の毛。それも、自分の。……邪魔だ! セルゲイからしてみればそう痛罵したくなるような長さである。

 そしてあろうことか……長年を連れ添った己の分身が、存在しない。綺麗さっぱり消えてなくなり、代わりに己の胸元にはあるかないかのふくらみが出現している。喉元を触ってみるとごつごつとした喉仏の感触はなく、代わりに滑らかですべすべとした肌の感触が感じられるばかりだ。


「……あー」


 試しに声を出してみると、鈴の鳴るような、とはこういう声なのだろうか。以前のヒュー・ジャックマンのような低音ボイスはいずこかに消え去り、代わりに砂糖菓子のようにふわふわとした少女の声色が聞こえる。自分の中から。

 セルゲイは一度大きく深呼吸をし、何かを言おうとしてむせてもう一度大きく深呼吸をし、そして絞り出すように言い放った。


「どうして……ッ! こうなった……ッ!」


 夢だろう。夢だよな?

 そう思いたいセルゲイであったが、しかし現実は非情である。どう見てもここは何度もお世話になった経験のある医務室であるし、目の前でこちらの様子を観察する美貌の医務官はDr.アリッサだ。

 さっきの男たちも慣れ親しみ背中を預けた隊員どもであるし、壁にかかっているデジタル時計の日付を確認するとあの日から二日後、別に違う時代にタイムスリップしたわけでもない。──つまりいつもと違うのは、自分の方。

 さしもの精神力も役に立たず途方にくれるセルゲイに、アリッサが柔らかい口調で声をかける。


「落ち着いたようね」

「落ち着いたのではなく、どうしていいのかわからないのだが」

「叫び出さないだけマシよ」

「叫び出して欲しいのか?」

「その可愛らしい声ならそれも一興ね。……ごめんなさい。やめて、私が悪かったからそんなに可愛く睨まないで。私が悪いことをしたみたいじゃない」

「自覚があるのか……! 泣くぞ、泣きわめくぞ!」

「それもいいわね」

「……もういい。事情を知っているのか、アリッサ?」


 諦めたセルゲイがそう聞くと、アリッサは微笑んで言った。


「こっちよ。ついてきて」







「どこに向かっている?」

「着いてからのお楽しみ」

「……そうか」


 セルゲイはそう吐息を漏らし、己の声の慣れなさに首を傾げる。こんなに軽やかな声が自分の喉から出ているという事態が、こうなんというか、ものすごくしっくりとこないのだ。無論、それを言うならば全身がそうであったのだが。歩くという単純な動作にさえ、もとの体との重心の位置との違いに戸惑いを隠せない。

 結果的に小首を傾げ、それだけで妙に絵になっているセルゲイの様子に吹き出しそうになりながら、アリッサが説明する。


「ええと、そうね。とりあえず、いまのあなたの身に起こっていることについて説明しましょうか。……この部屋よ」


 促されて入ると、そこには様々な形態の資料が収められている。共通しているのはどの資料にも"Secret"と刻印されていることであり、一介の兵士に閲覧させるようなものではないことが容易に見て取れた。

 アリッサはセルゲイを椅子に座らせ、その対面に座る。


「まずはあなたの記憶がどの部分まで続いているか聞かせてもらってもいいかしら」

「……ドクター。この件についての開示許可は受けているのか?」

「この件に関しては私は一線級の研究者で、関係者よ」


 不審げなアリエルの問いに、研究所属証明を見せるアリッサ。

 そこに書かれていたのは……


「"ガーリーアップコア解析研究班第六研究員・アリッサ=フリーウェイ"……?」

「驚いたかしら」

「本業は研究員だったのか。道理でヤブ医者だと思っていた」

「あら、私は患者の自然治癒力を第一に考えた治療を行っているだけなのだけど」

「よく言う。……それにしても、『ガーリーアップ』とはティーン向け雑誌のキャッチフレーズみたいだな」


 ふと漏らしたその言葉に、アリッサはため息をつく。


「……どころか、そのものよ」

「どういうことだ?」

「それはおいおい説明するとして。結局、あなたはどこまで覚えているのかしら?」

「……敵に捕捉され、交戦していたところまでだ。私は完全に敗北する寸前でコアを奪われることだけは回避しようと、コアを破壊するための爆弾を起動し……駄目だな。そこで記憶が途切れている」

「……なるほどね」


 アリッサは頷き、ある資料を差し出した。


「コアとの同化の影響で記憶が途切れたと見るのが妥当かしら」

「どういうことだ?」

「とりあえずは、あの夜にあなたが手にしたものについて説明しましょうか。……Dr.ヘルフォッグについては、今さら説明する必要もないわね?」

「……陳腐な言い方だが、マッドサイエンティストだと聞いている。そして同時に、ステイツ、否、世界最高の頭脳だとな。そして現在はステイツから逃亡し、行方が分からない。こんなところか?」


 事情をはぐらかされていることに不満を覚えつつもセルゲイがそう言うと、アリッサは微笑んだ。


「正解。でもとりあえず、あなたは少し表情を取り繕う練習をした方がいいかもしれないわね。少し前までの鉄面皮と違って、今のあなたは随分と簡単に感情が表に出てるわ。それじゃバレバレよ」

「なっ……! ……気のせいだ。それより、そのDr.ヘルフォッグがどうした?」

「取り繕えてないわよ。……簡単に言うと、Dr.ヘルフォッグはこの国から逃亡した。けれども同時に、とんでもないものを残して行ったのよ」

「……とんでもないもの?」

「今回の任務の目的。私たちはそれを『コア』と……または、こう呼称しているわ」


 アリッサは資料の一部のあるページを開き、あの珠と似たものが写った写真を見せ、そしてそこに表示してある名称を読み上げる。


「超高度換装兵器……『ガーリーアップ』と。……その具体的な機能に関してはまだ解明されていない点が多すぎけれど、基本的には自己進化的な兵装拡大機能を備えた身体同化型の換装兵器、と考えればいいわ。そしてその種類は大まかに三種、すなわち擬獣系、無機系、幻想系に分類されて、このうちの擬獣系については」

「ま、待て待て……待て!」


 頭を抱えたセルゲイが、ずらずらと単語を並べ立てるアリッサを遮った。


「つまり、なにか? ……察するに私は、そのガーリーアップとやらいう兵器のせいでこんな姿になっていると!?」

「『こんな』だなんて言わなくてもいいのに。せっかく可愛くなったんだから。……でもその通り、あなたの肉体は、ガーリーアップコアの干渉により変質を遂げて今のその姿を取っているわ」

「いや……流石にそれは」

「ないって? だったら何か説明が他のつくのかしら?」


 セルゲイは黙り込むほかない。別に愚鈍であるつもりはないセルゲイであったが、しかし己の肉体が少女の肉体へと変貌するという異常事態をはっきりと説明できるような知識など、持ち合わせているはずもなかった。


「……信じられないのも無理はないわ。私たちですら、ガーリーアップコアの解析なんてロクにできていない。コアに適合した事例を集めて後追いのデータを作成しているだけだもの。悔しいけれどDr.ヘルフォッグの持つ科学技術は、私を含めた全科学者の数世代先を行っているのでしょうね」

「……怪しげな」


 なおも不審げな様子を見せるセルゲイにアリッサは小さなため息を漏らし、言った。


「……ガーリーアップコアの解析なんてほとんどできていないのだけれど。僅かに判明している部分について述べるのなら、恐らくガーリーアップに使用されているのは"ゼン"の概念を実用化した技術よ」

「! "ゼン"といえば……東洋のスピリチュアルなアレか!?」

「ええ。東洋のスピリチュアルなアレよ」

「……むぅ。ならば、そういうこともあるのかもしれない」


 アリエルは不承不承ながらも頷いた。ゼンといえばジャパニーズニンジャが体得しているという東洋のスピリチュアルなアレである。そしてニンジャといえば、掌から気功波を放ち空を飛び回り時には一人で城を陥したとかなんとかの東洋の神秘。現代科学で説明できないことが起こったとしても何一つ不思議ではない。



「……待て。百歩譲ってそれはいいとしよう。だがなぜ少女の姿になる!?」

「まあ、そうよね」


 その問いにアリッサは軽く肩をすくめてから、懐から取り出したリモコンのスイッチを押し、スクリーン上にあるものを映し出した。表示されるのは薄暗闇の中に幾人かがU字になって着席し、会議をするような映像。逆光によりスクリーンの向こうに座る人物たちの表情は伺えない。

 訝しむアリエルに、そのスクリーンの向こう側から一人の男が進み出て、声を上げる。


『その質問には我々が答えよう、ブラッドベリー曹長』

「……ッ! 失礼いたしました! 私は米国特務特殊事例対策実行部隊隊長を拝命しております、セルゲイ=ブラッドベリー曹長です!」


 進み出た男のつけた階級章に慌てて姿勢を正し、セルゲイはピシリと敬礼した。

 ……無論、少女姿ではどこか締まらなかったが。

 画面の向こうの男は鷹揚に答える。


『何、そう硬くなる必要はない。私は科学工廠にて主任研究技師を務める、メッケンバウアー中佐である。以後、見知りおきを。我々からいまの君の身に起こっていることを説明させてもらおう。……だがその前にいくつか尋ねたいことがあるのだが、いいかね?』

「はっ。……もちろんです」

『結構。では、始めようか諸君』


 スクリーンの向こうで、くぐもった賛成の声が上がる。恐らく彼らはメッケンバウアー中佐と同じく、研究畑の軍人たちなのだろう。

 しかし彼らのような技術屋が、現場一辺倒の己にいったい何を聞こうというのか。身を硬くして質問を待ち受けるセルゲイであったが、メッケンバウアー中佐の口にした質問は、セルゲイの予想を大きく裏切っていた。


『ではセルゲイ曹長。……恋人はいるかね?』

「……………………はっ?」


 セルゲイは硬直し、アリッサを見る。アリッサは目線で、答えろと言ってくる。

 仕方なしにアリエルは答えた。


「おりません」

『ふむ……では、過去に恋人がいたことは?』

「ありません。他のことに夢中になっておりましたので」


 なんとも奇妙な質問だったが、しかしセルゲイは正直にそう答えた。

 自分でも自覚はあることなのだが、セルゲイは学生時代も今も、恋愛沙汰よりは己の鍛錬に時間を費やすことに喜びを感じる人間だったのだ。良くも悪くもストイックであった、と言えよう。それなりに気を許した異性は何人かいたが、それ以上ではなかった。

 しかし……と訝しむ。これはいったい、何を調べようとしているのだろうか?


『ふむ。……では、性交渉の経験は?』

「はっ!?」


 セルゲイは惑った。いくら何でも変だろう、これは。

 迷いに迷ってアリッサに目をやると、なんとも言えない微妙な、笑いをこらえる表情をしていた。……急激に何もかもが面倒くさくなり、正直に答える。


「ありません」

『ほう……そうかね、ふむ』


 その答えを聞いた科学者たちは僅かにざわめき、聞き取れない音量にまでボリュームを下げて意見を交換しだした。がやがやとこちらから視線が離れているこの隙に、セルゲイは体をくの字に折り曲げて笑い転げるアリッサを問い詰める。


「笑うなアリッサ。……答えてもらうぞ。何だこれは? 私が童貞であるのかどうかと今回のことに、いったい何の関係がある?」

「ぶふっ! ……ご、ごめんなさい。後ろから見ていると、変態おじさんのセクハラ質問に怯える女の子にしか見えなくて……!」

「……その少女に思い切り殴られてみたいという願望はあるか?」

「お、怒らないで。……この質問は、あなたの考えている以上に重要なの。あなたのプライベートに踏み込むことになるし、あなたにとっていい気はしないと思うけれど、正直に答え続けてくれないかしら? もちろん私は、もう二度とこの会議中に笑わないと誓うわ」


 姿勢を正し、いつもの砕けた口調と違う真剣さの感じられるその様子に、セルゲイも矛を収めざるを得ない。仕方なしに了承すると、その間に話し合いが終了したのか、新たな質問が飛んできた。


『では、新たな質問だ。……もしや君は同性愛者ではあるまいね?』


 ぶふっ、とこらえきれずに吹き出す音が背後から聞こえる。

 この女は後でシメる。セルゲイはそれを己に誓い、はっきりと否定を口にした。




◇◇◇




 会議は数十分に及んだ。質問自体はだんだんとマイルドな方向にシフトしているものの、しかし質問ごとにスクリーンの向こうでは小会議が起こり、諮問が中断される。

 セルゲイはもともと現場主義であり、こういった空気にあまり慣れていない。だんだんと集中力が落ちてきているのが自分でも理解できていた。


『ふむ……ではブラッドベリー曹長。君は料理の腕に関しては自信があると?』

「……自信があるかと問われれば簡単に頷き難いですが、しかし人並みのものは作れると自負しています」

『例えば得意料理は?』

「郷土料理が主ですが、菓子づくりなども嫌いではありません」

『なるほど。……甘味が好きなのかね?』

「好みですね」


 がやがや。

 向こう側で小会議が始まる。

 耳をすませば、『スイーツは一種のメタファーとなりうるか……?』『いや、しかし少女が必ずしも甘味を好むかと言えば……』『いえ。甘いものの嫌いな女の子はいません』……などなどの言葉が漏れ聞こえてくる。

 本当にこれは軍事的な何かに関係した話題なのだろうか。

 ちょっとやさぐれ始めているセルゲイに、再び質問がかけられる。


『では、君は家事については一通りこなせるということで間違いないかね?』

「ええ。私は一人暮らしですから自然とそうなります。……ああいえ。正確には一つ、苦手なこともあるのですが」

『何かね?』

「買い物です。基本的に軍における集団での行動単位に慣れているためでしょうか、時たま食材を買い込み過ぎてしまうことなどが」


 がやがや。

 『女子力に関しては問題ないかと』『想定パターンP1・【作りすぎちゃったからお隣さんおすそわけ】につながる布石の可能性が』『考えても見ろよ。あの小さなすべすべの手で一生懸命に料理を作って、運んできてくれるんだぜ。……たまんねえな』などと漏れ聞こえ、またもや質問が投げかけられる。


『では、少々違う方向から質問しよう。……君は今、恋愛関係にある人物はいないと言ったが』

「はあ。そうですね」

『ここで仮定だ。仮に君が誰かと恋愛し、例えば結婚するとなった時、君は配偶者にどのような態度で接するつもりでいるかね?』

「……想像もつかないのですが」

『想像してみてくれ』


 その有無を言わせぬ口ぶりにセルゲイは渋々と考え、口にする。


「……家庭内の和を第一に考え、互いに尊重しあえるような関係を築くように努力するかと。軍務を退役することも考えるかもしれません。なんにせよ、私の存在が相手にとっての重りになるような事態だけは避けようとするでしょう」


 がやがや。

 『……ぬぅ、若妻か』『これがつまりコウ・オブ・ナイジョ』『夫を立てる妻、などというものが今の時代に存在したのか……』『ヤマト=ナデシコというやつか……?』『せっちゃんマジ天使』などなど。……だんだんと看過できなくなってきたような気がしたセルゲイは、声を張り上げる。


「……教えていただきたい。いったいこれは何の目的があって行われているのか!? 私とて軍人、命令には従いましょう。しかし」

「……セルゲイ」


 アリッサに諌められたセルゲイであったが、散々笑いころげていた女の言葉である。今さらシリアスぶられても、全くもって従う気になれなかった。そうして今にも噛みつきそうな態度をとるセルゲイであったが、メッケンバウアー中佐の言葉にその態度を収める。


『……いや申し訳ない、ブラッドベリー曹長。不躾な質問ではあったが、しかし必要なプロセスではあったのだ。理解してもらえるとありがたい』

「……失礼いたしました」

『だが、君の言葉ももっとも。先ほどの質問にて我々の諮問は終了とし、これより君への事態の説明に移ろう。……君は、ガーリーアップの存在を既に知っているね』

「名称だけではありますが」

『結構。……超高度換装兵器・ガーリーアップは一人の狂気的天才、Dr.ヘルフォッグによって創りだされ世界中にバラまかれたオーパーツだ。ではなぜ、Dr.ヘルフォッグはそんなものを作り上げたと考えるかね?』

「……想像が及ばないために狂気であるのでは?」

『全くもってその通りだ。が、今回の場合は回答が存在する。今からそれをご覧に入れよう。……この映像は極めて重要な資料だ。入手方法などの一切は開かせない。また、他言は禁ずる。それを踏まえてくれたまえ』


 セルゲイが頷くと、メッケンバウアー中佐たちの画面が切り替わる。

 ザーザーという砂嵐に次いで、荒い音声で哄笑が響き渡った。


『ふははっははははははははははっ! いいっ! いいぞ!』


 そんな高笑いとともに画面の向こうに現れた人影は、はっきりとしない画面の奥でシルエット程度にしか見えない。かろうじて判別できるのは痩身という程度のこと。

 だが、反してその声からは、恐るべき熱量が発せられていた。


『この世にこのようなものがあったのか! 知らない、知らなかったぞこの私は! 誰も私に教えなかったではないか! このような至高、このような特異極点が存在することなど! おかげで私は今の今まで、生きる意味を今の今まで間違えていた! ……兵器だの何だのを作っていったい何になる!? もともと死んでいるのと同じ程度の人間が本当に死体に変わる、ただそれだけの意味しかないではないか!』


 目の前に存在するは、世界に名だたる知能にして神の奇跡とも呼べる叡智を体現した唯一の存在、それが大声で喚く姿であった。

 セルゲイは瞠目する。これが、この姿がDr.ヘルフォッグの姿だというのか?

 伝え聞く話では全ての人間を塵とも思わぬ態度で見下し、一切の感情を有さぬが如き冷然とした態度をとる男と聞いていたのだが。全くもってその印象とは違いすぎる。

 ますます耳をそばだてて音声に聞き入る。


『実にっ! 実にいい! ああ、私は愚かだった。己を天才だなどと驕り高ぶっていた昨日までの私を抹殺してやりたい! しかし……私はついに目的を得た! 今、この時に至りて! この砂漠の如く不毛な世界に価値ある一を求めるという求道、その果てを見た! ……つまりィィィィ!』


 セルゲイは無意識のうちに息を飲んだ。

 おそらく、これから語られる何かこそがDr.ヘルフォッグを狂気へと走らせた原因なのだろう。世界最高の知能を虜にした何かとは──


『二次元、最ッ高ォォォォォオ!』

「ちょっと待て」


 思わずセルゲイはツッコんでいた。


「待て。これのどこが地上最高の頭脳だ」

『見ての通りだ』

「見てわからないから言っているのだが……!?」

『続きを見たまえ。君にも理解できよう』


 メッケンバウアー中佐はそう言い、一時停止していた映像が再び動き始める。エコー冷めやらぬ音声の中、Dr.ヘルフォッグ(?)は熱に浮かされた後の深夜みたいなテンションで叫び続けていた。


『何だあの生物は! 少女、少女だと!? 馬鹿な、私の知っている生き物とは生態からして根本的に異なる! あり得ぬほどに穢れなく清らか、純真かつ淑やかさを兼ね備えた存在! そして──そしてなんだアレは!? 耳と尻尾……ッ!? 本来は人間に存在するはずもない架空の部位、しかしなぜそれがこれほどまでに芳醇に私の胸を打つ……ッ!? 巫女、悪魔っ娘、ゾンビっ娘、幼馴染に転校生に姫騎士にのじゃロリにヤンデレツンデレクーデレそしてバブみィィィィッ! 知らなかった、私はこんなものを今まで知らなかったぞ……ッ!』


「やはり理解できないのだが」

「頑張って」


 そもそも意味すら取れない内容に挫折しかかったセルゲイだったが、アリッサの言葉にグッと踏みとどまって聞くのを続けた。


『ああ……! なぜっ、なぜッ! この私はアニメーションの中に生まれなかった……ッ!? おお神よ、なぜこんなにも不毛な三次元に私を遣わし賜うた!? 帰ってきたらご飯かお風呂か私か聞いてくれる裸エプロンの美少女も頭を撫でられて恥ずかしげに頬を染める妹系美少女も少年の頃に交わした約束をずっと覚えていて胸の中に抱くけなげな美少女もいないこんな世の中に……ッ! なぜ私を生み賜うた……!?』


「意味もわからないのに生理的な嫌悪感が」

「耐えて」


 画面に映る男のあまりにもイカれた様子に正常な判断力が剥がれ落ちそうになっていたセルゲイを、アリッサが支える。

 と、その時。Dr.ヘルフォッグの語調に変化が起きた。


『ああ……待て。待て待て待て待て待て! …………そうか、そういうことなのか? 故にこそ私はここに存在しているのか! ……なるほど、ならば筋は通る、私がこの世に存在する価値は確かに存在する! はははははははははははははは! ふははははははははははは! ……理解した、理解したぞ全知にして全能たる神よ! この私に課せられた御身の代行としての使命をッ!』


 Dr.ヘルフォッグは高笑いとともに一言叫ぶ。

 その叫びは内容はともかくとして、狂おしいまでの情熱を伴っていた。


『……私が創り出してやる。真の美少女を……!』


 美少女を……! 美少女を……! 美少女を……!

 エコーとともに高笑いが響き、そしてブツンと映像は途切れた。






「……ウッソだろマイゴッド」

「神にも間違いは存在するのでしょうね……」


 思わず漏れ出たセルゲイの言葉であったが、深刻ぶったアリッサの声も笑えない。アレが世界最高の頭脳の持ち主とか明らかに間違っている。そんなことを思うセルゲイに、スクリーン越しに声が投げかけられた。


『……理解したかね?』

「なにをだ!?」

『彼の恐ろしい企みをだ』

「さっぱりだ! そもそもこれのどこがアメリカ最大の知能なんだ……!? むしろアメリカ最大の恥脳じゃないか……!」


 再びスクリーン上に現れたメッケンバウアー中佐にセルゲイはツッコんだ。

 なんだこれ。ほんとになんだこれ。


『つまり、彼のこの決意の結果が今に繋がっている』

「……は?」

『鈍いな。……言うなればガーリーアップとは! Dr.ヘルフォッグの創り上げた、真の美少女を生み出すために開発された兵器なのだよ……ッ!』

「中佐、正気ですか?」


 いつの間に自分はこのクソッタレな現実に飲み込まれてしまったのだろうか、とセルゲイは心の中で嘆いた。というか、こんなわけわからないのが現実であって欲しくない。意味がわからない。


『もちろんのこと我々は正気だ。恐るべきはDr.ヘルフォッグの悪魔のような発想! 奴はこう考えたのだ……【現実に猫耳がないのなら】【創り出せばいいじゃない】とッ!』

「?」

『ガーリーアップコアは少女としての資格ある者の手に渡った時、その人間の身体と同化し、新たな機能を人体に付与する! ……擬獣系のモデルであれば獣耳と獣しっぽとモデルを基にした身体能力を! 無機系のモデルであれば人体以外の身体組成を持つタイプへと人体を変性し! 幻想系のモデルであれば悪魔、吸血鬼などの存在しないはずの特性を人体に付与する!』

「??」

『つまり! 現実には存在し得ない様々な【美少女】を実現することを目的とし、結果的に既存の兵器を完全に上回る性能を獲得してしまった超兵器……ッ! それこそが『ガーリーアップ』なのだ……! ……そしてDr.ヘルフォッグは創り上げたガーリーアップコアを世界中にバラまいた! 君が手にしたのはそのうちの一つ、【プロト】と呼ばれるコアに他ならない!』


 セルゲイは高笑いするメッケンバウアー中佐を無視し、アリッサに問いかける。


「おい、中佐殿はクスリでもキメているのか?」

「中佐は解析どころか複製すらも不可能なDr.ヘルフォッグの異次元の技術に自尊心を打ち砕かれてこんな感じになってしまったのよ……。でも、言っていること自体は本当だから」

「つまり私は、そのギャグのような経緯で少女の体に変身させられたと……!?」

「まあ、そういうことね」


 いろいろとふざけんな。

 セルゲイは吼えた。


「おかしいだろう! 仮にその馬鹿げた話が本当のことだとして、なぜ私がその対象となる!? その説明だと、ガーリーアップは少女にしか扱えないのではないのか!?」

『その通り! 本来、ガーリーアップに適合するのは適齢の少女に限られる! 故に君がガーリーアップの適合者となることなどあり得ない! ……我々は少なくとも、そう考えていたのだ! ……が!』


 スクリーンの向こう側から響く声に耳を傾ける。

 メッケンバウアー中佐は、当初の冷静さの欠片もない表情で嬉々として語っていた。


『君の記録は調べさせてもらった。肉体的には無論のこと、精神的にも君は間違いなく男性だ。一見するとガーリーアップの適合者には最も遠い場所に位置する。……だが! 問題となるのは女性性ではない、少女性なのだ!』

「……あの、意味が」

『鈍い! 鈍いな! すなわちこれまでの諮問において君の示した数々の特性! 潔癖であり家庭的、清く正しく悪を憎み正義を信ずる。人への思いやりに溢れ慈愛と滅私の心を持ち、そのためならば自己犠牲すらも辞さない! ……そう! Dr.ヘルフォッグの思い描いた理想の少女性とは必ずしも女性性ではなかったのだ!』

「……」

『誰が信じられようか! 我々ですらもその事実には思い至らなかった! この世で最も理想の少女に近い精神性を持つ者……それこそは、アメリカ特殊特務事例対策部隊隊長・セルゲイ=ブラッドベリーだったのだ……ッ!』

「……すまないアリッサ。今日の私は疲れているようだ。じっくりと一晩ほど寝ればこの幻影幻聴が消え去ると思うのだが、どうか?」

「どうか、じゃないから。現実を直視しなさい」

「できるか……!」


 さしものセルゲイもいっぱいいっぱいであった。

 つまり、正しくあろうと研鑽し続けた己の心根がDr.ヘルフォッグの求める少女像とぴったりであって。だから性別の壁すらも超越し、ガーリーアップが反応してしまった、と。……これはもう考えても無駄だ。切り替えていこう。

 セルゲイは諦めのため息をつき、問いかけた。


「もういい、私は一兵士だ。技術のことはよく理解していない。ならば聞きたいことは一つ。……どうやって元の姿に戻ればいい?」

『……あー。それなのだがな、うむ』


 メッケンバウアー中佐は急に冷静さを取り戻し、露骨に目を逸らした。セルゲイは不吉な予感で背に冷や汗が流れるのを感じ、バッと振り向いて強い語調で問う。


「アリッサ! 戻れるんだろうな……!?」

「その……わ、若返ったと考えれば」

「ああそうだな、確かに若返った。だが、それ以前に女性になっているぞ……!?」

「……ガ、ガーリーアップコアが女性ではなく男性に反応したのは、これが初の例なのよ。それでなくともガーリーアップの分離には成功例がなくて」

「……一言で答えろ。元に戻れるんだろうな!」


 鬼気迫るその眼光にアリッサもまた左右に目を泳がせ、小さな声で呟いた。


「現状は、その……戻れないわ」

「……──っ!」


 セルゲイはギリ、と砕けそうなほどに強く奥歯を噛みしめる。

 なぜ。なぜ、こうなった……!?

 動揺を隠せないセルゲイに、画面の向こうより声がかけられる。


『……ブラッドベリー曹長。今回の事態は誰にも予想もできないことだった。が、無論のこと我々には責任がある。あの研究所の攻略に君を送り出した、その責任が。よって君には、可能な限り最大限の補償・援助を行うことを約束しよう。戸籍などの社会的な面、また金銭的な面でこれから先を心配する必要はない』

「……中佐。そういう問題ではありません」

『理解している。……故にこそ我々は、ここでもう一つ君に問おう』


 その真摯な態度に、セルゲイもまた態度を改める。


「なんでしょうか」

『おそらくのこと君は、ステイツにおいて最も優秀な兵士であったと言えるのだろう。技能的な面は無論として、ガーリーアップに認められるほどのその精神性もまた。……では一つ疑問なのだが、君のその輝かしい魂は今回の出来事により変質したかね?』

「……愚問ですね」


 セルゲイはその天使のようなかんばせにはあまりにも不釣り合いな、唇の端を歪めた表情で嗤う。なぜなら問われたそこだけは、セルゲイにとって絶対に揺らぎようのない部分であるのだから。


「私が信仰し望むものは今も昔も変わらずに、人々の平穏であり、そして人々がより輝かしい明日を迎えることです。この身変わろうとも滅びようとも、この信念だけは決して失われることはないでしょう」

『……なれば我々は、もう一つの選択肢を提示する。この道に称賛はない。この道に栄光はない。この道に平穏はない。戦い続ける道だ』

「結構。拝命いたしましょう」

『では……セルゲイ=ブラッドベリー曹長。ガーリーアップの回収任務に就きたまえ。ガーリーアップの適合者に対して既存の兵器はほぼ無力。君もそれを実感しているずだ。……つまり。ガーリーアップの適合者を倒せるのは、ガーリーアップの適合者だけだ』


 セルゲイは理解した。Dr.ヘルフォッグ独立開発研究所に潜入した時に襲いかかってきた、尋常ならざる能力を宿した『敵』──少女たち。アレこそが、ガーリーアップコアの適合者だったのに違いない。

 ならば、野放しにはしておけない。あんな危険な力を野に放てば、ふとした拍子にとんでもない厄災が巻き起こる可能性がある。セルゲイには、それだけは許容できなかった。……故に、これからセルゲイが為すべきこととは──


『そのとおり。──ブラッドベリー曹長よ、日本に飛べ……! Dr.ヘルフォッグの理想を創り上げた、神秘の眠る極東の島国へ! ガーリーアップの適合者が最も多く確認されているのはかの国であり、Dr.ヘルフォッグもまたそこにいる可能性が高い。ヤツの野望を止められるのは、君だけなのだから……!』


 セルゲイは頷き、獰猛な笑みを浮かべた。

 新たな戦いが、今、始まる──!





























まあ、始まらないんですけどね!

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[気になる点] 日本はやはりヤベー国だった [一言] 戦い始まってくださいお願いします
[一言] これ、連載で見て見たいですねっ
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