青晶の決意
翌日、清宗は寝不足のまま神学へ向かった。昨晩は寝られなかった。おかげで存分に勉強をできたが、寝不足の頭は反応が鈍くあまり役に立ちそうにない。
他言無用と言われたが、自分はどう行動するべきか。それが清宗の昨晩の課題だった。そして導き出した答えは──「長いものには巻かれよう」だった。
大魔術師を前にしてしまうと正義や倫理などという正論は些末なものだ。話を聞いた限りでは、大魔術師は青晶を痛めつけたいとか残酷非道な願望を持っているわけではないようだし、しばらく傍観していても問題はないだろう。
自分が世渡り上手といわれる所以は、こういう妥当な選択にあるのだとわかっている。だが今の自分には何もできない。自分の実力がどこまであるのか、清宗はよく把握していた。
白い建物の中に、今日も村から優秀な青年たちと無邪気な子供たちが集まって行く。その中にまぎれながら、清宗はあくびを繰り返した。ぞろぞろと流れる人波を眺めながら、何気なく思いついたことを呟く。
「……髪の毛を隠したら、大して目立たないじゃないか。」
村人ばかりだといっても、誰もが顔見知りではない。神学から術師学校へ進学しようという人間はそれぞれ年齢も違い、勉強ばかりしているので互いの顔すらあまり見ないのが常だ。隣に髪を布で巻いた女が勉強をしていたところで、見向きもしないだろう。
空を仰ぎながら、首を傾げる。
「うん。できそうだ。……だが、目を見られると問題だ。」
視線が決して合わないという保証はない。青い目が噂になると、もれなく貴族と魔術師が現れる。さて、どうしようか──。
清宗は腕を組んで考え込んだ。こうなると動かない。導諭が教室の中央に立ち、朝の講義を始める。 腕を組んだまま聞き、清宗は導諭の顔をまじまじと見上げた。
導諭がおかしそうに笑っている。
「清宗……お前は考え事をすると、本当に動かないねえ。」
「はい?」
眉を上げて周囲を見渡す。周囲の人間は誰も席にいなかった。刻限は昼を指している。昼休みになると、皆一度家へ帰るのだ。主に昼飯を食べるためだが、昼から農作業へ移る者もいる。
もうそんな時刻だったのかと、清宗は慌てた。導諭が笑って肩を叩く。
「まあ、いいじゃないか。昼なら私と食べよう。それとも……家に戻らなければ、ご両親が心配するかな?」
「は?いえ、両親は畑に出ているので、僕が帰ろうが帰るまいが気にしませんが……。」
だが導諭と一緒にどこで食べるのだろう。
疑問はすぐに打ち消された。導諭の家はすぐ隣だ。そこで食べるに決まっている。
導諭が手招きし、昨日と同じだなと思いつつ、清宗は再び導諭と青晶の家へ足を踏み込んだ。
導諭が扉を開けて入ると、青晶が笑顔で出迎えた。
「お帰りなさい、先生。」
「ただいま。」
清宗は眉を上げる。華やかな表情を初めて見た。清宗の姿に気づくと一瞬固まったが、導諭に促されて台所へ消えていく。
突然お邪魔して悪かったかな。
清宗は急に心配になった。当たり前に居間の座布団に胡坐をかいた導諭を伺う。
「本当に、良かったのですか?突然来たりして、準備などがあるでしょうし。」
導諭は先に青晶が用意していた茶を飲みながら、おおらかに笑った。
「わしが誘ったのじゃ。私が青晶を気遣うのは当然じゃが、お前が気にする必要はあるまい。」
「しかし。何か手伝ってきましょうか。」
導諭が片手を振った。
「やめておきなさい。青晶は一人でする方が気楽だろう。お前が隣に来ると、きっと手を滑らせてしまうよ。人に慣れておらんからな。」
「はあ……。」
確かに昨日の今日で親しくなるはずもないが、導諭も座ったまま青晶が料理を持ってくるのを待っているようでは、家政婦扱いだ。青晶は不満に思わないのだろうか。
導諭はふふ、と笑う。
「お前はいい子だねえ。」
「はい?」
言っている意味が分らず、聞き返す。導諭は目を細めていた。
「今、お前は青晶を家政婦のように扱って悪いなと思ったのだろう?」
表情に出ていただろうか。言い訳もできず、頷く。
「青晶はね、わしなどが手伝いに行くと機嫌が悪くなる。自分は先生を喜ばせようと思って料理を作っているのだから、過程を見られては困ると言うのだよ。」
「……なぜですか?」
手伝ってもらっても何も悪くないじゃないか。そう思うのは清宗だけなのか、導諭は台所へ視線を向ける。
「青晶はね、器に盛って初めて料理といえると言うのだな。過程を見られると、何ができるのかわかってしまう。何ができるのか、それを楽しみに待つのも料理の大事なところだと思っている。だから先生は台所に来ないでちょうだい。そう言ってね、台所から追い出されたよ。……もう何年前のことだったかな。覚えていないな。」
笑っている。変な考え方もあるものだ。
清宗は肩をすくめた。当の本人が手伝われるのを嫌っているのなら、行かないほうがいいだろう。
「では、僕も師範に習いましょう。」
「そうしなさい。青晶の料理はおいしいよ。親の欲目ではないからね。」
微笑んだ顔は珍しく茶目っ気を見せていた。つられて笑ったところを、導諭が促す。
「それで、お前は何をずっと考え込んでいたのだね?」
「は?……あ、はい。」
昼になるまで動かなかった清宗が悩みを抱えていると思ったのだろうか、導諭はこのために呼んだのだ。
このところ自分の考えがよく読まれるなと思いつつ、考えていたことを話した。青晶がこのまま家にこもって生活するのは不憫だ。髪の毛は布で隠してしまえば良いが、目はどうしたものかと考えていたのだと話すと、導諭はにっこりと笑った。
「お前は、いい神官になるだろう。」
「は……いえ、あの。」
そんな話をしていたのではないのだか。導諭は何度か頷く。
「それはわしも考えていたよ。そうだね。瞳の色は問題だ……。」
「瞳なら、まぶたを閉じていれば良いじゃない。」
横合いから少女の声が割って入った。冴え冴えとした青い瞳が清宗を映し、導諭を見つめた。その手元には、今出来上がったばかりの料理が大皿に盛られてある。五種類の野菜と豚肉を細く切り、とろりとした餡でとじた料理と、おひたしと豆腐が並べられていった。それを笑顔で眺めながら、導諭が話を続ける。
「しかし、まぶたを閉じて生活するのは大変だよ、青晶。おいしそうだねえ。」
料理に対しての感想に笑顔を浮かべ、青晶は事も無げに繰り返す。
「生活といっても、学校の中だけでしょう?勉強をする机に座って、廊下を通ってこちらへ移動することさえできれば問題はないわ。」
昨日の気弱な様子と一変して、青晶は凛と言葉をつむいだ。何かあったのだろうか。こんなに言葉を話す青晶を初めて見る。
導諭も同じように感じたのか、首を傾げる。
「青晶、何かあったかい?今日はとても……話してくれるね。そう……少し、怒っているのかな。」
これが怒っているといえるのだろうか。やっと普通に話ができるようになったと思う程度だ。清宗は訝しく二人の会話に耳を傾ける。
青晶は眉を吊り上げた。
「そうかもしれない。私、決めたの。昨日の夜よく考えたわ。このまま引きこもっていても、何の解決にもならないでしょう?だから人に脅えることを止めようって思ったの。そして、今まで以上に勉強をして、神官になってやるの。」
「ほお。」
導諭の頬が明らかに楽しそうに緩んでいる。
「魔術師と対峙できるくらいの術師になってみせるわ。そして私を変な呪文で変えたあの魔術師に文句を言ってやるのよ。迷惑だわって!」
声を張って、青晶はこぶしを握る。
一夜で変貌した娘の宣言を聞くと、導諭は声を上げて笑った。あんまり大きな声だったので、青晶がしおしおと肩の力を落としていってしまう。
「やっぱり……可笑しい?」
導諭はひとしきり笑い、目じりの涙をぬぐった。そこまで笑わなくても良いだろうに。
「いいや、青晶。誠わしの娘じゃ。そう思ってのう。」
「え?」
青晶が眉を上げる。清宗もつられて眉を上げた。導諭は大きく頷いた。
「いいだろう。そうしなさい。お前が決められたのならば、それこそがお前の進むべき道だ。協力は惜しまぬ。」
力強い賛同だ。青晶の顔が見る間に輝いていく。その顔を見ていると、思考より先に口が動いた。
「では僕も。できる協力ならしましょう。」
「おやおや。ありがとう、清宗。」
導諭が微笑み、青晶が驚く。視線が合うと昔の癖なのか、慌てて視線をそらした。だが大きく息を吸い込み、何か決意したのだろう。真っ直ぐに清宗を見つめた。
「では、お言葉に甘えさせてください。」
頭を下げる。清宗も頭を下げた。
「よろしく。友人として、あなたをお手伝いしますよ。」
青晶は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。」
では冷めないうちに食べてしまおうと、導諭は誰よりも先に愛娘の手料理に手をつけた。青晶の青い瞳が弧を描いている。
さて、これから大変だ。協力は惜しまないつもりだ。だが、この娘の背後には大魔術師が控えている。変に目をつけられると、命に関わる。
──まあ、なんとかなるかな。
世渡り上手は、常に楽天的に物事を考えた。