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魔術師の婚約者  作者: 鬼頭鬼灯
2章
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解毒の呪文

 大人しい青晶が隠れるように住んでいるそこは、近づいてはいけない領域だと感じでいた。一度として向かったことのない領域に、清宗は生まれて初めて足を踏み入れた。

 扉を開けてまず目に入ったのは、穏やかな雰囲気の居間だ。中央に机があり、その脇に二つ座布団を置いている。机の上に茶器が並んでいる。その左手奥に流し場がある。流し場には足の長い机と椅子が二脚あった。余計なものは何一つない簡素な部屋だ。居間の奥に扉が一つある。そこが青晶の部屋だろうか。

 導諭は清宗を座らせ、流し場へ向かった。

 ほのかな香りが漂っている。茶の匂いだ。

「驚いたろう、清宗。」

 いきなり本題に入るのかと、清宗は眉を上げた。

 部屋の中央に灯火が浮かんでいる。それはこの周辺の集落には見当たらない、ともし火だ。村で使う灯火は主に油に芯を入れたものや、薪に火をくべたものだ。天井の中央から部屋中を照らす灯りはない。これは導諭が自ら術でもって作り上げたものだ。おかげで夜だというのに部屋は昼間のように明るい。ここで導諭は好きなだけ研究をするのだろう。うらやましいなと、思った。自分も思う存分勉強をしたい。油がなくなって月明かりで書物を読むのが日常だ。

 導諭が茶を机の上に置いた。頭を下げる。

「わざわざ、ありがとうございます。」

「うん。お飲み。気分が楽になる。」

 導諭は向かいに座った。香草が入っているようだ。ほんのり甘い茶を飲む様子を眺め、導諭は微笑んだ。

「お前は、いくつになるのだったかな。」

「十九です。」

 導諭は頷く。

「そうか。神学にはお前よりもずっと年長の者もいるな。術師学校へ行くために学ぶ者は腐るほどおる。十九で術師学校へ進める者は本当に稀だ。」

「……まだ、進めると決まったわけではありません。」

 導諭が清宗を術師学校へ推薦してくれるといって、それだけで入学できるわけではない。

「そうだな。術師学校へ入学するには神学からの推薦書と、試験に合格せねばならない。ここでの合格率はわずか1割あるかどうか。だが、合格率などというものはあって無きが如し。要は試験の問題に正確に解答できれば入学できる。」

 言うとおりだが、それが難しいからほとんど合格しないのだ。清宗は何気なく奥の扉に目を向けた。青晶は術師学校へ進学しないのだろうか。

「青晶はまだ術師学校へ行けないよ。知識は十分にあるが……。」

 清宗の考えを読んだように、導諭が口を開く。あの姿では表へ出られないというわけだ。

「あれはのう……魔術師の仕業なのじゃ。あの子の目が灰色だったのを見たことがあるかい?」

「あ、はい。垣間見る程度ですが……いつも、俯いているので。」

 正面から見た経験がないことを青晶の責任にしてしまった。あの目に正面から見られると呪われる。噂を信じていないと言いながら、彼女の姿を真っ直ぐに見た覚えはなかった。意地悪をしている気がするのだ。いつも人目を憚っているから。

 導諭は清宗の心根を聞いているようだ。仕方ない子だと笑っている気がした。

「そうだね。あの子の目は灰色でね、少し青味がかかっていたのだよ。」

「そうだったのですか。」

 導諭が言う。

「それがどこから流れ出たのか、青という言葉に魔術師が引き寄せられてきたのだろうね。あの子に近づいて、勝手にあの子の髪と目を青く変えてしまった。」

 清宗は眉根を寄せる。

「……それは、奇妙ですね。奪いに来るならまだしも、与えていくなんて。青くできるのであれば、それを貴族に与えて金を儲ければいい話だ。知り合いではないのですか?例えば、師範の。」

 人目を憚るような青晶に魔術師の知り合いがいるとは思えないが、神学教師の導諭にならばいそうなものだ。

 導諭は首を振った。

「わからぬ。長いこと生きておるが、見覚えが無いように思う。魔術師が青晶を青く染めていった理由も知らぬ。だが、もっとも分らないのは青晶にかけた術じゃ。青晶は何か呪文を聞いたと話しておるが、わしが見たところ何もかけられておらぬ。あの瞳も髪も同じだ。」

「では……?」

 導諭は頷く。

「何もかも自然だ。あの色であることが当然なのだよ。わしは……あの魔術師がほどこした魔術が解毒の術なのではないかと思うよ……。青晶は、何も言わないがね。」

「解毒の?しかし……解毒の術には物を染め上げる作用などないはずです。」

 解毒の術は主に動植物の毒に犯されたものから、毒素を洗い流す術だ。それ以外どんな作用もなかった。少なくとも自分が学んだ中には何も無い。

 導諭は穏やかに耳を傾けている。

「そうだなあ。染める作用は無い。すべての毒素を弾き飛ばす術だ。だから、青晶は毒素を払いのけられたのだろう。」

「どういう……?」

 清宗は導諭が言わんとするところを把握しかねた。

 導諭は人差し指を立てた。見ろ、という仕草だ。机の端に置いていた筆を取る。手紙を書くために用意したのだろう。硯にはまだ墨が入っている。筆に墨をつけ、おもむろに茶に墨を一滴たらした。

「師範?」

「見てごらん。」

 茶に墨が滲み広がっている。導諭はその茶に手をかざした。静かに呪文が聞こえる。解毒の呪文だ。茶に解毒作用の術をかけても何も変わらないだろう。訝って首をかしげた清宗に導諭は呪文をかけた茶を差し出した。

「ほれ。」

 差し出された茶を見て、目を見開いた。墨の色がなくなっている。

「これは……。」

 うん、と導諭が頷く。

「解毒の呪文は、どうやらもとあったものへ構成を戻すという作用があるらしい。毒素が入った体ならば、もとの毒素の無い体へ。異物が入ったものから異物を取り除く。そして、青晶の瞳と髪からもとあったものへ戻す為に、灰色と黒の色素が失われた。」

「しかし、それでは……誰もが術をかけられれば碧眼になることになりませんか?」

 愕然としながらも、頭は冷静に回転している。導諭は微笑んだ。

「残念ながら、そうはならぬ。試しにお前にかけたとしても変わらぬ。言っただろう?青晶の目は、元々青が入っていた。そして、恐らく髪の毛にも青が入っていたのだ。解毒の術は、それらの邪魔になる色を排除したに過ぎない。いつか、その内あの子は自然とああいう色になっていく運命だったのかも知れぬ。それが、魔術師によって突然元へ戻された。ただそれだけだと。」

「……。」

 清宗はしばらく黙り込んだ。考えようとしながら、何も考えられなかった。そんな現象が起きるのか信じられない。しかし現実に茶の中から墨が消えた。

 ならば青晶の色はもう元には戻らない。灰色で迫害されていた頃を思えば、きっと良いことだ。けれども、青い色は貴族のみ身につけられる色。これからどうするつもりなのか。色を差し出すのか、それともひっそりと生きていくのか。それしか彼女に残る道はないのだろうか。

「先生。」

 少女の声と同時に、奥の扉から青い髪の青晶が現れた。突然の出来事に思考がとまった。

 導諭が微笑む。

「なんだい?」

 家の中の青晶は、外と印象が少し違った。清宗と目が合っても逃げようとしない。

 真っ直ぐに立った姿は、いつも顔を伏せている様から想像できないほど、凛としている。俯いて顔を隠していないせいだ。

 部屋の戸口に立ったまま、少し会釈をした。

「先ほどは、逃げてしまってごめんなさい。」

「いや。」

 清宗に挨拶をすると、導諭に視線を転じた。

「私、廊下を片付けてくる。硝子を散らかしたままだったから。」

「ああ……だが、……そうだな。」

 導諭が言いよどむ。校舎の片付けはしなくてはならないが、もう夜中だ。青晶一人で行かすのは心配だと言いたいのだろう。

 清宗は仕方ないと、息をついた。

「僕が行こう。」

「え?」

 青晶が驚いた顔をする。慌てて両手を左右に振った。

「いいえ、そんな迷惑かけられないから。私一人で十分……。」

「清宗、すまないが頼んでも良いかな。」

 導諭が青晶の台詞を遮る。青晶が非難の声を上げたが、柔和に諭した。

「そうしてもらいなさい、青晶。今日はもう休むのがいい。」

「でも……。」

 更に食い下がろうとする。思いのほか意地がある。微かに笑みが浮かんだ。

「いいよ。君が一人であちらへ行くよりは、何十倍も安全だ。これでも僕は呪術を多少使えるし、男だ。僕一人で十分。……今の君は、誰かに見られないほうが良いだろう。」

「……そんなこと。」

 無いとは言い切れない。話の接ぎ穂を失い、青晶は諦めの表情をつくった。長い髪を耳にかける。流しの端から道具を持ち出して来た。ちらと清宗の目を見上げ、視線が合うと脅えて顔を伏せた。

「すみません。」

「どういたしまして。」

 道具を差し出す指先は白く、とても細い。爪に色をつければ映えるだろう。道具を受け取り、清宗は再び校舎へ戻った。灯火を一つもらい、回廊をたどる。回廊から空を見上げる。月が煌々と輝いていた。もう少しで満月になる。

「綺麗だな。」

 脳裏に青晶の姿が浮かんでいた。惚れたわけではない。だがあの整いすぎた容姿は綺麗以外の表現方法が無い。

 そういえば、彼女が黒髪だった時ですら綺麗だと思っていた。

 思い出すと、妙に胸がさざめく。悪い兆候だ。清宗は足早に廊下へ戻り、思考を断ち切った。

 


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