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魔術師の婚約者  作者: 鬼頭鬼灯
2章
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月明かりの幽鬼

 月が昇ると、不思議な光景が見えるそうだ。木々の間を、光を放つ幽鬼が彷徨っていると噂が静かに広まっていた。

「明日にすればよかったか……。」

 青年は神学教室の机に、高価な呪術書を忘れていた。最近妙な噂が広まっているのも知っていたが、もう少しで術師学校に推薦される予定だった彼は、自宅でも休みなく勉学をする必要がある。神学で学ぶために用意した書物はどれも高価で、誰かに盗まれてはたまらなかった。それに、彼は噂など信じていない。曲がりなりにも将来神官になろうと決めている青年だ。幽霊などという非現実的なものを信じたりしないし、さらにこの神学の教師の娘の哀れな外見すらどうでも良いことだった。娘は彼よりも年下だ。彼女が五つ六つの頃から彼は彼女の存在を知っていた。幼い頃はその灰色の瞳が不吉に見えていたが、いつからか普通の娘だと気づいた。

 もしかすると、あの()が泣いていたからだろうか。

 少女は人前に出るのを極端に嫌っていた。たまに親である教師に言われて校舎へ来ると、必ず心無い子供や少年たちに揶揄されるのだ。指を指されても、彼女は怒らない。ただ身動きできなくなって立ち尽くし、しばらくすると物陰に消えていく。何の拍子だったか覚えていないが、校舎の奥へ戻ろうとしていた彼女の横顔を垣間見たことがある。涙を流していた彼女の横顔は端正で、綺麗だなと思ったのを覚えていた。

 その頃から彼女を気味が悪いとは思わなくなっている。最近はちっとも神学校舎のほうへ現れなくなった。最も、現れたところで彼女に近づこうという気持ちはない。村中の大人たちすら彼女を迫害しているのだ。いらぬ火の粉を被らないに越したことはないだろう。

 村で随一聡明な彼は、世渡り上手でもあった。

 


 月明かりに照らされる白い神学校舎の門前で立ち止まる。神学校舎の奥では教師が生活しているから、鍵を開けてもらうには校舎の端を通って奥へ行かなければならない。

 もう明かりも消えているだろうと思っていた校舎の端に小さく光がともっている。そこは彼が書物を忘れた教室だった。

「……?誰かまだいるのか?」

 教師が何かしているのかもしれない。丁度いい。

 校舎の正面扉を押してみると、あっさり開いた。校舎の中は明かり一つなく、月明かりも建物の中までは差し込んでいない。通いなれた記憶を頼りに進んだ。校舎のつくりは単純で、玄関から左右に分かれて教室が二つあり、年長者が使う教室は左手にある。教室の向かい側にはそれぞれの手洗いがあり、二つの教室の間に奥へ導く回廊が一つある。回廊の先は教師とその家族が生活する家屋だ。

 教室の前に来ると、やはり灯りを手にした人影が見えた。暗くて誰だかわからない。どうやら教師ではない。教師にしては背筋がまっすぐ伸びて、髪の毛が長い。

 脳裏をうわさ話がよぎった。最近神学校舎の周りに幽鬼がでるという。

 それともこそ泥の類だろうか。

 それにしては女のような姿だ。彼はその可能性に思い至り、名前を呼んでみた。

「……青晶?」

 影は驚いて振り返り、灯りをかざした。髪の毛が弧を描く。こちらを確認しているのだとわかったが、気にせず教室の中へ踏み込んだ。

「なんだ、こそ泥か何かかと思った。僕は呪術書を忘れて。突然来てしまって、ごめん。」

「……清宗(せいしゅう)、さん……?」

 声で青晶だと確信し、彼女を見ないように教室の窓際にある机へ向かった。机の中を確認したが、入っていない。

「うわ、誰かにここに入れていたのに……。」

 もう盗まれてしまった後だったかと、額に汗が浮かぶ。教室の前のほうで、青晶が小さく声を出した。

「あ、大丈夫だと思う……。確か、先生が本を持って帰っていたから……。」

「本当?」

 清宗は破顔して青晶を仰ぎ、瞬きを繰り返した。暗闇でうまく見えなかった顔が、何故か見覚えがないと思った。

 青晶がその様子に身じろぎする。顔をうつむけると、肩から髪の毛が流れた。灯りで見えた色は、またしても見覚えがない。

「青晶?……青晶だよな?」

「あ……私、先生に聞いてくる。」

「ま……青晶!」

 清宗は自分の目が信じられず、教室から出て行こうとする青晶を追いかけた。男に追いかけられた経験がないのか、青晶は追いかけてくる清宗を見た途端、肩を大きく跳ね上げ、手から灯りを落としてしまった。

 硝子が割れる音が響く。青晶はあたふたと床の硝子片を拾おうとするが、油に芯を入れて灯りにする形の灯火は床の上で発火してしまった。

「あ!ど、どうしよう……何か…なにか消すもの……。えっと……水?」

鈍臭い動きだ。清宗は呆れながら自分の上着を脱ぎ、火に打ちつけた。すぐ火は消せたが、灯りがなくなってしまい、足元も良く見えない。

「ありがとう……。ごめんなさい、着物が汚れてしまった?」

「……別に大丈夫。」

 清宗は気弱そうな声の娘の腕を掴んだ。

「ひゃっ」

「何もしない。」

 襲うつもりなんてない。月明かりの中に移動したいだけだ。わずかに抵抗を見せる青晶を無理に引っ張り、窓際に立たせる。目の錯覚ではないと確信した。愕然とする。

「あの……。」

 青晶は相変わらず俯いて、目を泳がせている。月光を浴びると、その髪の毛は光を放っているように見えた。これが幽鬼だと噂されていた正体だ。伏せられたまつげすら淡く青い。清宗は感嘆の声を上げていた。

「すごい……こんなに綺麗なものを初めて見た……。」

 見つめられることに耐えかねて、青晶は顔を両手で覆った。

「お願い……誰にも言わないで。」

 清宗ははっとする。黒髪だったはずの青晶が、なぜこんな色の髪になっているのか。

 青晶は疑問を口にする間を与えず、身を翻した。青い髪が弧を描いてとても美しかった。

「青晶!」

 青晶は奥にある家屋のほうへ駆けて行ってしまった。清宗は嘆息する。栗色の髪の毛をかき上げた。

「……何が起こった?あんなの、貴族ですら持ってないぞ。青い髪に青い瞳。」

 呪われていると揶揄されていた灰色の瞳は、澄んだ水晶のように青く涼やかだった。一度見てしまったら、一生忘れられない気がする。元々端正な顔立ちだった彼女に、あんな色の髪と目が与えられたら、絶世の美少女になるしかないのだ。貴族の色とされた青い色だが、現実の貴族ですら青い髪と青い目の両方を持っている者はいない。そのため貴族は民の中に青い色がでると即座に魔術師を送り、奪い去ってしまう。美しくあるのは貴族でなければならないとでもいうかのように。

「清宗……。」

 回廊から老人がやってくるまで、ほんの一瞬だったのではないかと思った。実際には青晶が駆けて行き、しばらくしてからの出来事だったが、物事に集中すると彼は時の流れを忘れる性格だった。

「師範。」

 青晶が先生と呼び、年長者の学生達は師範と呼ぶ教師の、導諭が微笑んでやってくる。手には灯火と分厚い本を持っている。

「すまなかったね、着物を汚してしまったとか。」

「……着物?あ、いえ。とっさでしたので。」

 何のことだか分らなかった。次いで火を消したことだと思い出し、首を振る。導諭が分厚い本を差し出した。

「これかな、お前が忘れていたのは。」

「あ、はい!ありがとうございます。」

 擦り切れた呪術書は見覚えがあった。高価なだけに安堵の溜息が漏れる。

 導諭は清宗の様子を見守り、背中を向けた。

「おいで、清宗。お茶を入れよう。」

「はい?」

 導諭はもう回廊のほうへ進んでしまっている。振り返り、手招きした。

「おいで。お前も、聞きたいことがあるだろう?」

「──はい。」


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