魔術師の約束
良い風だと導諭が呟いた。
傷ついた清宗を連れ帰ったその日、導諭は彼を実家へ帰さなかった。清宗の面倒は農作業で忙しい両親に代わり、導諭が見ることになっていた。ご丁寧に新しい布団を居間に用意して導諭は二人の帰りを待っていたのだ。清宗が意識を失って帰ってくることも、青晶が傷だらけで戻ることも知っていたようにしか見えない。
賢という神官は軽く状況を説明すると、すぐに戻ってしまった。内々の処理にするため急いで帰り、通常業務を補う必要があるという。
万全な出迎えの状態を見た青晶は、確かに老獪な爺だと胸のうちで呟いた。
汚れを落として着替えた青晶は、清宗の額に濡れた布を置き振り返る。導諭は縁側で穏やかに陽が沈む町を見下ろしていた。
「もうすぐ稲の穂が見られるだろうかね。」
「……まだ先だと思うけど……今年は豊作だろうって清宗が言っていたわ。」
清宗の顔は白い。血を失いすぎていた。呼吸も苦しそうだ。
「目を覚ますかしら。何か食べないと血を増やせない。……何が食べられる?」
血を作るには肉を食べるのが一番だが、そんな固形物が喉を通るかどうか。
導諭は青晶を振り返る。微笑が浮かんでいた。
「今日は目覚めないだろう……。青晶、お前も休みなさい。ここは私が見ていよう。」
「……。」
黙って清宗を見下ろし、青晶は立ち上がる。体に力が入らず頭の回転も遅かった。目元を拭った手の傷はそのままだ。導諭がやれやれと立ち上がり背中を押す。
「今日は眠りなさい。お前も血を失っている。」
「……でも、ちっとも眠くないの。まだ心臓がどきどきしているわ。少し……散歩をしていい?」
導諭は困った子だと笑った。
「学校から出てはいけないよ。」
青晶は頷くと部屋を出て回廊を渡った。傷口が風にさらされる度に鈍い痛みが走る。導諭が治してくれるといったが、呪術の練習に自分ですると断った。
青晶は眉根を寄せる。導諭は清宗に陣を施した魔術師の話をしない。戻ってきたばかりだからかとも思うが、どうしても自分からは聞けなかった。
──あの陣を結んだのは彼ではないの?先生は彼を知っているの?
疑問は胸の中で繰り返されるばかりだ。
青晶は校舎を通り抜け、校庭に出る。もうすぐ闇が降りる。校舎の端に生えている大きな木がざわめいた。その隣に校門がある。門の向こうに続く道に夕陽が差して明るかった。門の横には導諭が育てている薬草畑がある。誰もいなかった。聞こえるのは木々のざわめきと鳥の声だけだ。
青晶は目を閉じて空を仰ぐ。
妙に目だけ冴えていた。心臓がまだうるさい。温かな風が後ろから髪を撫でていった瞬間、青晶は目を開いた。
「──。」
自分の腰に大きな両腕が回った。悲鳴は上げられなかった。驚きすぎると声が出ない。風と一緒に腕が腰に巻きつく。背中に体温を感じた。同時に足元から地面が離れる。
「え?あ!や、やー!」
青晶はやっと悲鳴を上げた。もう誰かに連れ去られるなんて御免だ。逃れようと太い腕をつかみもがいてみたが、しっかり腰に巻きついたまま離れない。悲鳴は風にかき消された。首筋に誰かの顔が埋まる。誰かに抱きすくめられているようだった。
耳元に当たる髪は柔らかい。
「青晶……すまなかった。」
「なっ」
声は低く艶のある響きを持っている。
その声は聞き覚えがあった。
本日何度目になるのか、青晶は再び上空に連れ去られ大仰に溜息を吐く。 こうなってしまうと動揺もどこかに飛んで行ってしまい、恨み節が口をつく。
「もう現れないと思っていたわ。」
「何度だって現れるさ。」
以前自分でもう現れないようなことを言っていたのに、忘れたのだろうか。青晶はうんざりと空を仰ぐ。
「……謝るならもう少し、まともに現れてほしいわ。」
突然背後から捕まえて空へ舞い上がるなんて、常軌を逸した行為だ。文句を言うと背後で含み笑った。
「声で誰だかわかるのかい?」
「え?」
もしかして別人だろうか。青晶が恐る恐る首を回すと、蠱惑的なまなざしが間近で笑う。白い着物に派手な耳飾り。指には大量に指輪が輝いている。男の癖に女かと見紛うほどの美貌をもった魔術師が楽しそうな顔をしていた。
「やっぱり、あなたじゃない。」
「無事でよかった。」
あっさりと無事だとはよく言ったものだ。青晶は上半身をひねり、半眼で尋の胸倉をつかんだ。
「あれ、怒っている……?」
にこにこと笑う尋の頬が引きつる。青晶は眉を吊り上げた。
「怒っているわ!何が無事なの!清宗がどうなったと思っているの?あんなに高等な術ばかり使わせて、清宗が死んだらどうするつもりだったの!」
尋は青晶の勢いに押されて苦く笑う。
「あれでも加減したさ。相手がなかなか倒れなかっただろう?だから何度も放つはめになったというわけでね……?」
「傷を負っていたことくらい、わかったでしょう?もっと考えてくれても良かったじゃない!清宗はまだ意識が無いのよ!」
感情が高ぶりすぎて涙が滲んだ。尋は片眉を下げる。
「仕方ない。彼だって承知していたよ。君を助けるためには、無理だってする。それに俺は清宗と友人だ。友人をみすみす殺すつもりは毛頭なかった。」
青晶は眉を上げる。清宗とこの魔術師が友人だとはにわかに信じ難い。尋は畳み掛ける。
「それに彼は死んでいない。神官どもが来るまではきちんと様子を見ていた。本当に死ぬようなら俺が行くしかないとわかっていたさ。」
「……だって……いつそんな、友人になんて……?」
清宗はあんなに若くて、尋は本物の魔術師だ。友人になんてどうやったらなれる。尋は肩を竦めた。
「なんとなく気があったというだけだよ。」
「……。」
疑わしい笑顔だ。青晶は尋の顔を睨んだが、諦めた。この人は何を考えているのか皆目つかめない。視線をそらして礼を言った。
「助けてくれてありがとう。でも、本当にどうして私になんて構うの?勝手に人の髪の色を青くしたり目の色を変えたり。はっきり言って、とっても迷惑だわ。」
「ひどいな。その色が本当の君の色なのに。」
尋は青晶を横に抱き上げる。上空では抵抗するほうが危険だ。青晶は大人しく抱きかかえられた。黒い目は見ているだけで悪い呪術をかけられそうだ。心臓に悪い。頬が熱い気がする。
「本当の色って……。私の髪は黒かったのよ。目の色だって好きじゃなかったけど灰色だった。」
「いずれ青くなる目と髪だったというだけだ。俺は君よりも長く生きているし、知識もある。青くなると分ったからそのうち無くなる色を取っただけさ。」
「勝手にね。」
青晶の目は据わっている。疲労のせいだろうか、眠気が次第に襲ってきていた。無駄かとも思いつつ尋ねてみる。
「いずれってどういうこと?人の髪の毛が育つにつれて色を変えていくの?そんなことってある?」
「君の場合は特別だよ。君は元々目が青かった。青い色素が黒い髪の色素に最初は隠れていたが、次第に青の色素のほうが濃くなっていく。青い髪にはよくある現象だ。」
「……。」
頭がよく回らなかった。そしてどうでも良くなってくる。青晶はこの髪の毛と目のおかげで少し考え方を変えられるようになった。だからこの魔術師に感謝してもいいのかもしれない。
魔術師は何故か嬉しそうに青晶を見下ろしている。温かい手のひらが心地よかった。優しげな眼差しはあたかも心から青晶を愛おしく思っているようにさえ見える。青晶は胸の疼きに耐え兼ねて眉根を寄せた。
「どうして?」
「はい?」
青晶は顔を覆う。傷だらけの腕が露になった。
「どうして私に構うの?」
見つめられると胸が苦しくなる。顔を覆わなければきちんと聞けなかった。頻繁に同じ魔術師が接触してくるなんて、現実として有り得ない状況だ。
「どうしても答えないと駄目かな?」
尋は相変わらず艶っぽい声で妙にはっきりと聞き返す。青晶は頷いた。
「駄目。答えないなら、もう私の前に現れないで。」
「それは嫌だな。」
尋はしばらく黙り込んだ。何か考えているのか、ただ見下ろしているのかわからなかった。ただ気配が青晶を見ている気がして、心がざわめく。小さく息を吸う音が聞こえた。
「……君は俺の婚約者だから。」
「──。」
思考が一度とまった。しばらく言葉を反芻する。青晶は声にならない絶叫を上げた。両手で耳を塞ぎ、目を見開いて尋を見上げる。尋はこの上なく甘い顔をした。それだけで顔に血が上る。青晶は頭を振ってわめいた。
「うそっ嘘よ、なに?何を言っているの?」
尋は優美に笑みを深くする。
「本当だよ。俺は君の生みの親を知っている。君の親は僕と契約を交わしている。将来君を貰い受けることを条件に、俺は君の人生を保障している。俺が君を永遠に守る。」
青晶は頭を抱えた。顔が赤くなるのは何故だ。目に涙が溜まっていく。
「え…永遠……?」
──嘘でしょう?
嘘だと言ってくれ。青晶の願いを聞いたように、尋は意地悪く口の端を上げる。
「そう。永遠。」
「私は……知らなかったけど……?」
「契約は君が赤ちゃんだった時に結んだから、当然だね。」
──赤子と婚約をしたのか、この男。
青晶は自分の目を疑い、尋の頭を疑う。どう見ても尋の容姿は青年だ。それも飛びっきり美しい男。だがこの男は青晶が赤子の頃から魔術師だ。
尋は混乱も極まった青晶の表情を楽しそうに眺めると、不意に額に唇を寄せた。整った顔が焦点の合わせられない距離まで近づく。青晶は頭が爆発するかと思った。顔が尋常でなく赤面していることは言うまでもない。
しかし尋の声は青晶の動揺に反して酷く冷静なものだった。
「おやすみ。」
「え?」
尋が触れた額から温かい何かが体に染み渡っていく。とても心地よいゆりかごに入れられた気分だった。意識が薄れていく。
尋はとても優しい眼差しだった。その目をうっすらと青晶の瞳が見返す。 ──どうしてそんな目でみるの……?
言葉はだせなかった。口がもう重くて動かない。青晶はそのまま力を失った。
尋は少女の額に自分の額を重ねる。
「永遠に守るよ……。君が俺を嫌っても。」
独白は誰も聞いていなかった。




