黒衣の神官
「──捕らえよ!」
黒衣の集団の先頭に立っていた男が手を払う。青晶は息を呑んだ。
コウとラクが捕まる。目を転じた時、コウは笑いながら闇に溶けていくところだった。部屋の端にできた影の中に液体のように溶けて消えうせる。
微かな声が耳に残った。
「青くない君なんか……もうイラナい……。」
青晶は自分がほっとしたことを隠すため、口を真一文字に引き結ぶ。
──何故かしら。殺されそうになっていたのは、私たちのほうも同じだったのに。逃げてくれてよかったと思ってしまうわ。
神官たちは闇の中へ同じく溶け入り、彼らを追って行った。青晶は胸に手を置く。──捕まるかしら。闇の中なんて想像もつかないが、なんとなく捕らえられないだろうという気がした。
清宗を別の神官が抱えてくれる。青晶の隣にもう一人降り立った。指揮をとっていた男の人だ。彼は青晶の姿を見返すと優しい笑顔を浮かべた。どこか導諭を思い出させる笑顔だった。
「もう大丈夫ですよ。」
「……せ、清宗が、ひどい怪我で……。」
彼は微笑んだまま青晶に手を差し伸べる。
「傷は今、治しています。」
体をずらして清宗を見せてくれた。清宗の傍らに膝をつき、神官が傷口に手をかざしている。手のひらが発光していた。
「血が……とても流れていて。」
流れた血液はそのまま清宗の体の下で水溜りを作っている。ああ、と気遣わしい声が聞こえた。
「……血液までは戻せないのです。我々の呪術では、流れ出て変質した血を戻すことまではできない……。」
「とてもたくさん出ました……。大丈夫でしょうか。」
また視界が滲み始める。泣いたところで、それが清宗を助ける術ではない。自分が術師だったらよかった。術師なら魔術師と対等に戦えただろうし、もとよりさらわれたりしない。清宗が助けに来る必要も無かったし、彼が無理をして負担の大きい呪術を使う必要も無かったのだ。
青晶の様子を見ていた神官は、青晶の目線まで腰を屈める。その目は黒い。理由は分らなかったが、黒い目と視線が重なると涙が頬を伝っていた。
「君は……青晶さんかな?」
青晶は眉を上げる。
「は……はい。」
彼は微笑んだ。
「私は総督省に籍を置いている賢といいます。あなたのお父様に師事して頂いた。」
「先生……の?」
賢は少し不思議そうに眉を上げた。青晶は口を押さえる。
「あ……私、せん……いえ、父のことを普段は先生と呼んでいるので。」
「そうですか。」
賢は青晶の手のひらを握った。大きな手のひらがとても温かい。胸の中の凝ったものが安堵に変わった。
「安心して下さい。清宗さんは少し時間がかかるでしょうが、死にはしません。」
青晶は清宗の姿を見る。手当てをしていた神官が着物を開こうとしていた。─あの下には陣が。
「あ!それは……っ」
青晶が身を乗り出した時には、もう着物は開かれていた。青晶は目を見開く。清宗の胸に刻まれていた陣は、影も形も無かった。
「どうかしましたか?」
「いえ……、なんでも。勘違いです。」
賢はそれ以上聞かない。青晶は小さく息を吸った。力が入って賢の手のひらを握り締めていた。慌てて手のひらを離す。
「ごめんなさい……。」
男の人の手を握るなんてはしたない。賢は微笑んだままだ。
「師範が心配なさるのも無理はありませんね。」
「心配?」
首を傾げると、賢は青晶を抱え上げた。
「え?いえ!あの私、立てます!」
頬に朱が上る。他人に初めて抱えられた。しかし賢は青晶を見下ろして、困った顔をする。
「でも、空はまだ飛べないでしょう?」
「……はい。」
賢は部下なのか、他の神官に清宗も同じく運ぶよう指示すると滑るように上空へ舞い上がった。
青晶は自分の手を見る。血だらけの手。学生の身分である自分でさえ、ただ学んだことを実行するだけで人を殺せる。もしかすると、術師学校ではもっと恐ろしい経験をするかもしれない。
賢は前方へ視線を向けながら口を開いた。
「あなたのお父上……私の師範は今回、すぐに神官である私たちを呼ばなかった。」
「……そうなのですか。」
額を触る。指先にぬるりと血液が付いた。まだ血が固まっていない。
「師範はかつて……術師学校の教師だった頃から独自の思想をお持ちで、神官であろうと魔術師であろうと違いは無いとおっしゃっていました。」
「へえ……。」
青晶は導諭が術師学校の教師だったことを知らない。そんな話は少しもしなかった。導諭の年齢を考えると、過去に何があっても驚くことではない気がする。事実少しも驚かなかった。
賢はここで青晶を見下ろす。
「だから今回、神官である私たちを呼ばなかったのは……魔術師を先に行かせたからではないかと私は考えます。」
青晶はゆっくりとその目を見返した。この人は魔術師同士が戦ったのかどうかを聞きたいのだ。魔術師同士は互いの干渉を拒んでいる。その禁忌を犯してまで戦った魔術師がいるのではないか。法律では魔術師同士で戦ってはいけないという条文はない。だが青晶は賢に微笑んだ。
「私を助けに来てくれたのは、清宗一人でした。なぜそんなことを聞くのですか?」
賢は言葉に詰まった。
「いいえ。ならばいいのです。」
「……これからどこへ?」
青晶は眼下を見下ろす。何度か空を飛ばされたおかげで、以前よりは怖くなかった。
「本来は神官府へ行って調書をとるのですが……今回は内々に動いているので神官府へは行きません。直接あなたのお家へ。」
「……内々?」
賢が笑う。
「術師学校へ入学を考えているなら、もっと慎重になることをお勧めします。あそこは入学前に学生本人の人格はもちろん身辺調査まで行う。巻き込まれたにしても、事件に関わることはご法度です。今回私は師範から特別に相談を受けていました。他でもない師範の願いだったため、あなた方をお助けしたまでです。」
「……先生が相談を?」
術師学校の異色さに内心辟易したが、青晶は口にしなかった。今更そんな学校は嫌だとは言えない。
賢は青晶の目を見た後、髪の毛を見る。心臓が跳ねた。青く見えるのだろうか。
「私にはあなたの髪の毛も目も紫に見えます。」
青晶はほっと息を吐く。導諭にもらった石は懐に入っている。その様子を眺めて賢は耳打ちした。
「その石は、私が師範にお渡ししました。この世に十一しかない貴重な宝物です。」
「──宝物?」
青晶は目を見開く。
「そう。国庫に眠っているだけなので、どうせなら使ってもらうほうがその石も存在意義があるというものでしょう?」
「でも、そんな。国庫?」
頭が混乱する。国庫にあった宝物ならそれは国のもので、庶民である青晶に与えられるには高価すぎる。賢はふふ、と笑った。また導諭と似ていると思った。
「あなたが立派な術師になるまであなたにお貸しする、ということです。私たちにはあなたを守る術がない。この国には青い髪や碧眼の人を保護するような法が無い。だから私が稀石管理部に脅しをかけたのです。かつて無く有望な少女がいるのだが、その姿のせいで術師になることを断念しようとしている。このまま両目を失い、死を待つのみだと嘆いている。こんな哀れな娘を捨て置いていいのか?とね。」
「ええ?そんな……。」
有望だなんて言われても困る。国の宝物を無くしたりしたら一大事ではないか。賢は楽しそうに続ける。
「大丈夫。あなたには師範がついているではありませんか。それに貴重な友人と。……あなた方は恐ろしいほどに優秀なのでしょうね。その年で呪術の構成をできる人はほとんどいないのですよ。」
「……?でも、先生が授業で教えてくれました。」
授業で導諭が年長の学生たちに呪術の実技をさせ、それで覚えたに過ぎない。賢は声を上げて笑った。
「師範らしい。だが、普通神学では呪術の実技など行わない。そこまで出来ないのですよ。呪術を作り上げる力を呪力といいますが、これを持つにはかなりの修行が必要といわれています。皆術師学校へ入学してから学ぶことです。あなたたちは予習をしていたのです。師範の神学は今後も優秀な人材を輩出することでしょう。」
青晶は言葉を失う。懐の石を着物の上から握り締めた。
「術師学校の試験に合格するといいですね。」
その顔はとても心配そうだった。青晶は首を傾げる。
「術師学校の教師は千里眼を持っている。」
「うそ。」
即反論してしまった。賢が眉を下げる。
「そう思ってもいい、ということです。だからきっと、その石の効果も見破られるはずです。……入学試験では、面接がある。その時に本当の姿を見せろといわれるかもしれない。」
青晶は目を閉じた。千里眼はこの世には無い。それは学術書にも論理的に説明されていたし、導諭もないと断言した。全ては経験からくる推測と可能性によって見破られるのだと。
術師学校の入学試験は癖がありそうだ。巻き込まれたとしても事件に関われば入学できないほど狭い門ならば、この色を理由に拒まれる可能性も高い。賢の心配そうな顔はそれを示唆している。
「とりあえず、無事で何よりでしたね。」
眼下に見覚えのある神学の校舎が見えてきていた。肩の力が抜ける。
「ありがとうございました。」
「いいえ……その石のことは、できるだけ誰にも話してはいけませんよ。また誘拐されてしまうから。」
青晶は笑んだ。
「はい。」
賢は青晶の顔をまじまじと眺めて苦笑する。
「あなたの容姿は他人を惹きつけるから、用心したほうがいいですね。青くなくたって魔術師がきっとほしがるでしょう。」
「……魔術師。」
脳裏には白い着物がよく似合う男が浮かんでいた。
嫌そうな顔をした青晶に賢が首を傾げる。
「これは私の勝手な想像ですが……師範はあなたの運命を知っていたのではないかな。」
「運命?」
「あなたの名前は師範がつけたのでしょう?」
「え……はい。それが?」
何が言いたいのか分らない。賢は下降をはじめた。その目に導諭の姿が映っている。
「あなたを拾ったときにはきっと分っていたのですよ。でなければそんな名前をつけるはずが無い。──青い水晶などと。」
青晶は目を見開く。
「あの人ほど理解の範疇を超えた人はいません。老獪な爺だとみんな影で笑っている。」
彼は悪戯っぽく人差し指を口にあて、師範には内緒だと笑った。




