過ぎた力
「ありゃありゃ。運がいい。いい。」
清宗の体が緊張する。穴が開いた天井の上からラクが額に手を当てて中を確認した。
猿のように屈んで床へ降りる。清宗と青晶を見比べ笑い声をあげた。
「ぎゃはは!男が増えている。増えている。そのうえ娘の髪と目の色が変わっちゃった。変わっちゃった。」
「本当だねー。色が変わっちゃっているー?さっきまで青かったけどなー。」
相槌がその背後から聞こえる。気を失っていたコウが耳を指で掻きながら起き上がった。
清宗は青晶を背中へ庇うが、背中が緊張している。
コウは腕を組んで考え込んだ。
「どうして紫になったのかなー。」
「紫だと売っても安い。安い。」
二人は清宗を敵だと認識していないのか、話し合いを始めてしまった。
「元に戻らないかなー?」
「戻らない気がするな。するな。」
「そうかなー?あの男の子が何かした気がするのねー。」
「あの男殺したら戻るかも。かも。」
「でも殺しちゃったら戻す方法を聞けないー?」
「俺たち元に戻す方法知らないからな。困る。困る。」
「どうしようかなー?」
「殺そうか。殺そうか。もういらないよ。青じゃないから。青じゃないから。」
青晶は口元を押さえる。結局殺す方向で話がまとまったようだ。清宗の耳元に小声で話しかけた。
「どうする?」
清宗は目だけこちらへよこす。
「どうするって、勝つしかない。帰りたいだろ?」
「……帰るわ。」
青晶は考える。どうしたらあの二人の術を聞かずに可能な限り早く脱出できるか。二人に呪文を呟く間を与えないのが一番だが、間を与えないように攻撃するにはこちらも呪文を呟かねばならない。
コウとラクが二人で呪術を構成しようとした瞬間、清宗から術が放たれた。不意打ちを食らった二人はまともに壁に背を打ち付ける。
「がっ」
「ぐぅっ」
青晶は目を瞬かせた。
「……呪文、また言ってないわよ……清宗。」
「いや、言っている。言っている……聞こえないだけで。そのー……頭の中では言っていた。」
言い訳がましく聞こえるのは何故だろうか。それに呪術を頭の中で構成できるなんて聞いたことがない。
清宗はうんざりと首を振った。
「気にしないでくれ。今日の僕は、普通じゃない。」
「……大丈夫なの?血が止まっていないわ。」
術を放つ時の反動を受けているのだ。止まりかけていた血が、また滴り落ちている。動きの邪魔をする清宗の裂けた袖を引き裂き、右手の傷をきつく縛った。思ったより傷口が深い。
コウとラクが立ち上がった。
「強い。強い。」
「変だねー。あの子からはそんなに力を感じないのにねー。呪術だけがとても強い気がするなー?」
青晶はまだ術師の力まで感じ取れないが、変だとは思う。先ほどの呪術は神学で教えていない。少なくとも神学で使用している呪術書には記載されていなかった。
清宗自身も今日の自分は普通ではないと言っている。それはつまり、何らかの助力を得ているということだ。導諭の助力があるのだろうか。
青晶は清宗の体を眺めた。不安だ。たった一つの呪術を放っただけで随分消耗している。肩で大きく息をしていた。
「怖いなあー。」
「そう。そう。」
コウとラクは小声で話し合ったかと思うと、振り向きざま黒い粉をこちらへ撒き散らす。
黒い粉が青晶と清宗の上に広がった。
「なに?」
「毒だ!」
清宗は言うが早いか、結界を結ぶ。早い。二人を薄い霧のようなものが覆い、黒い粉が接触すると火花を散らして異様な臭いが漂った。
そして耳に覚えのある声が聞こえる。
「時間稼ぎか。」
「呪術を構成しているわ!」
清宗が吐き捨て、青晶は耳に指を入れた。あの声を聞くだけで気分が悪くなるのは学習済みだ。少しでも聞かないに越したことはない。
清宗は耳を塞がず、また呪術を構成してしまっていた。コウとラクの呪術がこちらへ向かう。清宗は真っ向からそれと術をぶつけた。爆音と煙で敵も何も見えなくなる。青晶は必死に清宗の体に抱きついた。清宗がどこかへ飛ばされないように。今の清宗の体力は恐らく自分の術の威力に耐えられるかどうかだ。
清宗は別の誰かの力で呪術を構成している。そうでなければこんなに強烈な術を学生の身分で使えるはずがない。どれもこれも出す術は全て高等だ。清宗の体がついていけないのも無理はない。残酷なまでに相手を破壊することだけを目的にした呪術ばかり使わされている。
「清宗!」
「……きつい。」
煙の中で体勢を崩し、床に座り込んだ清宗は嗄れた声を出した。青晶はあわてて傷口を確認する。おびただしい血が滴り落ちていた。傷口を開いているのは清宗自身が放つ呪術の反動だ。
「清宗……これ以上呪術を使ってはいけないわ。」
「そうも言っていられない。」
嗄れた声で立ち上がる。煙の向こう側に狐の目が四つ光を反射していた。
「血が止まらないのよ!」
「仕方ない。」
清宗は再び呪術を構成する。体が安定しないのか、初めて手を挙げる。右手を額にかざし、左手がそれを支えた。
「清宗!」
右手は鮮血に染まっている。左手が血に染まるまで数秒だ。向こうもまた呪術の構成を始めていた。青晶は苛立つ。自分は見ているだけしかできないようではないか。守ってもらうばかりでは駄目だ。
唐突に魔術師の姿が脳裏をよぎった。
頭を振る。
──何を考えているの。
けれど清宗の放つ呪術。導諭がここまでするはずがない。導諭は思慮深い。術者の肉体が壊れそうならば、相応の呪術で何とかしているはずだ。それなのにこれは何だ。
青晶の目の前で再び炎が上がった。爆発の震動に清宗は耐えられない。血しぶきが爆風と共に青晶に降りかかる。相手の血ではない。清宗の血だ。
「もうやめて!」
青晶は清宗ではない、遠い誰かへ叫んでいた。清宗の意識は朦朧としている。倒れそうになった体を受け止めようとしたが、重くて一緒に倒れてしまった。
「清宗!」
頭だけは何とか受け止める。横たわった清宗の着物はぼろ雑巾のように朽ち果てていた。露になった体に目が留まる。
「……胸に……?」
清宗の胸になにかがついていると思った。触れても取れない。煤で覆われている肌を拭うと、小さな陣が現れた。目を象徴にした陣だ。
「支配されているの……?」
清宗は何か言おうとしたが、血の気の失せた唇は空気を吸うしか出来なかった。
青晶は陣に触れて呟く。
「こんな小さい陣で、あれだけの呪術を放っているの?」
陣は熱い。手のひらで隠れてしまうほどの大きさだ。清宗が息を吸い込み、上半身を起こした。もう意識を失ってもおかしくないのにと青晶は呆れる。なんて精神力だ。
「青晶……これは、あいつらに絶対に気づかせてはいけない。」
血の気のない顔に冷や汗が浮き出した。
「……そう。わかった。」
青晶は頷く。魔術師は互いに干渉してはいけないからだ。導諭が話していた。魔術師として出てこられないから、誰かが隠れて手を貸してくれている。ありがたいが、少し強引な気質だ。清宗はもう立ち上がれない。
青晶は瞼を閉じて清宗に自分の上着を着せる。
「少し小さいかしら。我慢してね。」
胸を隠し、清宗の腕を縛りなおした。
「……青晶?」
青晶は口元に人差し指を立てて微笑んだ。不思議そうにしている清宗の胸に額を押し当てる。
「……もうやめて。清宗が死んでしまう。私のことは、私が何とかするから……あなたは見ていて。お願い。」
話しかける相手の姿は容易に想像できた。白い着物がよく似合う男だ。青晶は微笑んだまま振り返る。
コウとラクは清宗ほどではないが、結構な打撃を受けていた。互いに着物はぼろぼろだ。弱っているなら青晶にも分はある。
青晶は息を吸い込んだ。歌うような声が響き渡る。澄んだ声が辺りを支配した。コウとラクは耳を塞いでいる。
「やめろ。やめろ。」
「聞きたくないよー。」
「くらくらする。くらくらする。」
「やめろー。」
清宗はその声に驚いた。もともと青晶の声は綺麗だったが、呪文を呟く声は普段と全く違う。寒気がするほどの高音。他者の思考を奪う音色だ。
今まではこんな声を出していなかった。共に学んでいた清宗は知っている。普段の術を使う青晶はもっと穏やかな声で呪術を構成した。
何が違うかといえば、その呪術が相手を傷つけることを目的にしているという点だけだ。
──声そのものに呪力を感じる。
清宗の頭の中で、尋が呟いた。そうかも知れない。清宗は思ったが意識は混濁し、やがて青晶の声すら聞こえなくなった。
──やれやれ。やりすぎたか。
後悔しても遅い。尋の独白を聞く者はどこにもいなかった。




