歌
「ずいぶん頑張ったみたいだねー。せっかくの商品が傷だらけじゃ困るのねー。」
「じゃあ、もう売らなければいいじゃない。」
青ざめながらも青晶は反論する。コウは壁に背を預けて笑い声を上げた。
「売らないことにしたら、僕たち君を殺すしかないよー?君は僕たちの格好や顔を見てしまっているからー。」
青晶は訝る。
「格好?格好なんて何の情報にもならないでしょう?魔術師なのだから着物なんて山ほど持っているだろうし。顔だって半分しか見えてないのに。」
「まだ何も知らないのだねー?」
コウは細い目のまま青晶の側まで歩いてきた。青晶は眉をひそめる。何も知らないなんて、どういうことだろう。
座り込んで動けない青晶を立ったまま見下ろす。よく見ると靴は先がとがっていて初めて見る形をしていた。
「お嬢さん魔術師の服は、魔術師が自分の呪術で作るものなのだよー。国は魔術師の衣服の形状を登録しているのねー?」
青晶には理解できなかった。
「……なぜ?じゃあ、同じ服しか着られないということ?」
コウの細い目は何を考えているのか分らない。真っ直ぐに青晶を見下ろし頷くことも首を振ることもしなかった。
「服を変えるなら、申請する必要があるねー。勝手に違う服を着ると、僕たち魔術師は国の呪いを受けているから即座に神官が飛んでくるのさー。魔術師は申請した服以外を着てはいけないと定められているのだよー?制服だよー。神官が黒衣しか着られないように、僕たちは僕たちが決めた服を常に身に着けるというわけー。」
言葉が出なかった。
違う服を着るだけで犯罪だなんて。国が魔術師になると決めた人間に服を感知する術をかけているのだろう。魔術師にとっては呪い以外の何でもないはずだ。自由気ままに生きているとばかり思っていた魔術師すら、国の支配のもとで生きている。普段身に着ける服が制服と同じならば、官吏は衣服の形を調べるだけで誰が犯罪行為をしたのか分るようにしているということだ。おまけにこの狐目はかなりの特徴だ。即座に誰か分るというわけか。
青晶は一般的な法は知っていたが、魔術師に関する項目はほとんど知らない。自分には関係がないと後回しにしていた。
──本当に法を改正しないといけないわ。
「だから僕たちは君を売ってしまうしかないよー。」
「……結局そうなるのね。」
青晶は息を吐く。涙は乾いたが頭から粉を被っているし手は血だらけだ。頭も石が当たって怪我をしたのか鈍い痛みが続いている。
「逃げられないよー。僕たちは魔術師だから、君の半人前の術じゃ対抗できないしねー。それに両手がもう上がらないねー。」
両手はわずかな動きも取れないほど重くなっていた。うつむいた床に滴が落ちる。黒い滴かと目を疑ったが、赤い滴だった。
「……。」
額が痒い。どうやら頭から血が流れている。このまま売られてかごの鳥になるか、もう一度自分をやり直すかだ。青晶は呪文を口にした。コウが何故か一歩下がる。もう一歩下がった。
何故かは分らないが、都合がいい。青晶は天井を見上げた。両手が動かないなら仕方ない。手を使わずに呪術を構成してあの石を破壊してみせる。目の前に呪術が構成されていく。コウは耳を塞いだ。顔色がおかしくなっていくが、青晶は気づかない。
天井を貫く意思をもった声。その声は鈴の音を転がすような音ではなかった。歌うような高い音。誰も聞いたことのない音が部屋に木霊する。空気を通す隙間さえない空間に音が跳ね返り、部屋中を波紋するように広がった。全てを排除し破壊するためにつむがれた声が他者の意識を奪おうとも、術者は気づかない。
少女の横顔は悲しげで、艶やかだった。
「──!」
コウに呪文の音は聞こえない。音を音として認識できない。反響しすぎた音はそれ自身が凶器となっていた。意識が白濁していく。意識は間もなく途絶えた。
潤んだ瞳が青い水晶のように透き通っている。目が細められると金糸の群れが天井へ滝のように逆流して溢れかえった。爆音が閉じられた空間を破壊して、外の空気が髪の毛を撫でていく。
吹き上げられた石が上空で霧散していくのが見えた。
青い瞳に黒い影が映る。青い空に二点の染みが落ちていた。白い着物を着た影に目が吸い寄せられる。
──あの人。
心臓が一瞬止まった気がした。手のひらから血の気が失せる。白い着物の人間がこちらを見下ろした。目が合う。合ったはずだ。だが瞼を閉じてあげると、影は一つになっていた。
「……いた……のに……。」
目が合ったと思ったのに消えてしまった。瞬きを繰り返してもその姿はない。青晶は不思議だった。何故あの人が見えたのかも、何故自分の胸が失望に包まれているのかも。
目の端から涙が一つこぼれる。
残された影は勢い良くこちらへ向かっていた。その姿がはっきりするにつれ、青晶は愕然とする。
影は男だった。彼は滑空しているというよりは、落下しているように見える。顔が歪んでいる。大きく開いた口からは悲鳴のような声をあげているようだ。
青晶は自分の目を疑う。その姿は毎日よく見ていた。唖然としつつ彼の名を呼んだ。
「──清宗……?」
清宗と呼ばれた彼は涙を散らしながら手のひらを広げる。
「たすけてええええ!」
「……助けに来たのではなく?」
青晶は思わず聞き返していた。