大魔術師の師(せん)範(せい)
「しょう……。」
導諭の声だ。振り返ると、まだ目を閉ざしたまま苦しそうにしている。
尋が面倒そうに手のひらを振った。
「気にするなよ。俺が治したのだから放っておいても目覚める。ご老体だ。血を失っているからしばらく眠るだけだろう。」
「そうか……。よかった。」
肩の力が抜ける。突然頭に衝撃を感じた。
「いってー!」
尋が頭を殴ったのだ。不満な顔をしている。
「それよりお前、俺の青晶を盗まれやがったな。」
「俺の青晶って……まあそうだ。すまない。」
既に青晶を自分の所有物として扱っている言動には疑問を感じるが、守りきれなかったことは確かだ。清宗は素直に頭を下げる。尋は面倒臭いと呟きながら空中に浮き上がり、呪術を再び構成し始めた。
「まったく、どうするのだい。あれはこの世で最も美しい娘だ。一番身近にいるお前が守り役をしてくれないと、俺は先生やお前の前から青晶を奪ってしまわねばならないじゃないか。」
なるほど。青晶を外敵から守る人間がいないのなら、手っ取り早く自分の傍に置いてしまうしかないというわけだ。反対に周囲が守りさえすれば、青晶は思い通りに勉学や自由な生活を送れるだろう。
清宗は考え込む。
「しかし……僕はまだ半人前だ。青い色を奪おうという国の中枢にいる奴らに対抗できない……。」
「つまらないこと言うなよ。」
尋を見上げると、尋は勝手に教室の内装や硝子片まで元通りに直していた。
「つまらないって……。」
面白かったらいいのだろうか。清宗はまた額に汗をかき始める。
「それに守るというけれど、元々尋は青晶の目の色を灰色にしたのだろう?だったらまた髪の毛と目の色を黒く染め直せばいいのでは?」
尋が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「やだ。」
「は?」
呪術を外へ向けて投げる。おそらく隣の教室の修繕をする術だ。尋は腰に手をついて首を振った。
「あんなに美しくしたのに、また元に戻すなんていやだ。それに青晶から抜いた色は全て弾き飛ばしてしまっているから戻せないさ。」
清宗は言葉を失う。わがままな男だ。尋はつまらない様子で清宗に指を向ける。呪術を浴びせかけられた。
「わっ」
熱を感じた次の時には衣はおろか皮膚の傷まで治っている。尋は清宗に興味を失ったのか窓辺へ向かった。
「待ちなさい。」
「ん?」
「せ、先生!大丈夫ですか?」
導諭がふらつきながら起き上がる。手を貸そうとするが、導諭はやんわりと断った。
「大丈夫だよ、清宗。」
「そうですか……?」
机に手をついて立ち上がる。尋が振り返って笑った。
「良かったな、起きて。」
「私を助けてくれたのは、そなただったか。」
導諭は震える足を動かし、尋の元へ歩いていく。導諭と尋は顔見知りらしいと、清宗は眉を上げる。尋は窓枠に腰掛けた。見ようによっては紳士的な笑顔を浮かべている。
「そう。流れた血までは戻せなかったから、無理しないほうがいいですよ。先生。」
「そうかね……ではまず、礼を言おう。ありがとう。」
「いいえ。」
まだ何か話があるのかと尋が尋ねると、導諭は頷いた。
「青晶のことだ。君は青晶の色を変えた。そうだね?」
「綺麗でしょう?」
妖しげな笑顔だ。導諭は尋の様子を見定めている。しばらく無言で眺め、一つ頷いた。
「いいかね。先ほど清宗と君が話していた内容は聞こえていた。」
「目は開かなかったけれど、意識は覚醒していましたもんね。」
導諭がこちらを振り返る。
「清宗にあの子を守れというのは彼に酷だろう。」
「そうかな?彼は必ず神官になる。それも、恐ろしく早く神官になるだろう。この私が助言をしているのだからね。」
導諭は頷く。
「確かに、君の助力があればあっという間に神官になれるだろう。だが、今の彼は神官ではない。未熟な学生だ。」
「ま、ね。」
導諭は懐から杖を出し、尋の胸に突きつけた。清宗は息を呑む。呪術を構成する基盤になる杖を胸に向けることは、刃を突きつけているも同然の行為だ。
「清宗が神官になり、彼が青晶を守ってもよいと思ったならばそうさせよう。この意味がわかるかね?」
杖を胸に突きつけられている状況をわかっているのかいないのか、尋は余裕の笑みを浮かべた。
「なるほど?清宗と青晶が結ばれるということですね?」
「は?」
何故自分と青晶が結ばれるのだ。素っ頓狂な声をあげたが、二人は当人を黙殺する。
「そうだ。守るということは、互いを必要とし失わないための行為だ。」
「それは面白くない。」
尋は首を傾げて導諭を見下ろす。口の端は上がっていても、目は笑っていなかった。
「先生は何をおっしゃりたいのか?」
導諭は穏やかな目で見返している。
「君が好んであの子の色を変えたのであれば、責任を取りなさい。あの子を守りたいのであれば、自身で行うのだ。君はあの子が欲しいのだろう?」
尋は素直に頷いた。父親を前に娘が欲しいと言うなんて、順番も何もない。青晶の気持ちはどうなるのか。
清宗が一人で青晶の気持ちを案じていると、導諭は笑った。
「そうかね。はっきりと物を言う。……よかろう。あの子が君を好いたなら、その時は共に生きればよい。だが、今は駄目だよ。あの子はまだ勉学をする時だ。」
「存じております。」
どうやら父親の了承を得てしまったようだ。青晶が聞いたら卒倒するか、激怒するかどちらかだろう。
「よろしい。では、いいかね。青晶が今日連れ去られた理由は、あの髪と目の色だ。責任は君にあるね。だから君が、助けに行っておくれ。」
「あ、僕も行きます。」
慌てて清宗は手を上げる。青晶を目の前で奪われた責任を感じていた。尋は清宗を見返し、珍しく眉を落とす。
「先生……俺は魔術師だ。清宗とは違う。」
「魔術師の相互不可侵かね?」
導諭は下らんと言わんばかりに、尋の頭を杖で殴った。
「いたっ」
「わ!」
大魔術師を殴るなんて。導諭が殺されないかと清宗は内心はらはらし通しだ。しかし、清宗の気持ちと裏腹に導諭は一喝する。
「それくらい凌駕しなさい!世に歌われる大魔術師の一人であろう、失望させるな!」
清宗は硬直し、尋はぽかんと導諭を見返した。大魔術師という話はしていない。尋もそう思ったのだろう、複雑な表情で眉根を寄せる。
「なぜ……俺を知っている?」
導諭は鼻を鳴らした。
「私は二百年生きておる。大魔術師と歌われたところで君たちは所詮、小童だ。君が術師学校で学んでいた頃から知っておったよ。私も年だ。顔を見ただけでは思い出せなかったが、話し方は覚えておる。君は私の授業をあまり受けなかったから、私を覚えていないだろうが。」
尋はしばらく導諭の顔を見下ろし、低く呟いた。
「……変わり者の導諭師範。こんな田舎に来るはずがないから、考えなかったな。」
つまらなそうに嘆息すると、窓から体を離す。
「先生は術師学校でも優しかったけれど、俺には物足りなかったのですよ。あそこは残虐性こそが求められる世界だ。」
だから自分は最速で卒業したのだ。尋が呟くと、導諭は優しく微笑んだ。
「いかにも。そのように思っても構わぬ。残虐性に疑問を抱く者も多く、魔術師のほとんどは国家への不信がゆえに神官への道を拒んだ者達だ。選択は自由だよ。青晶や清宗がどちらを選んでも、自身が選んだ道こそが正しいのだ。君も……決して誤っていない。」
「だから先生は優しすぎると言われるのですよ。」
尋は背を向けて窓に足をかけた。
「行くぞ、清宗。」
「あ、はい。」
清宗は導諭に頭を下げる。導諭は常と変わらない笑みを浮かべた。