早朝の来訪者
太陽が地平線から昇る頃、青晶は眠い目を開いた。陽が沈んでからどれくらい勉強しているのか、本人もわからない。導諭が作り出してくれる灯火のおかげで、支障なく勉強できていた。灯火がある限り勉強し続けてしまうのだが、導諭が頃合を見計らって灯火を消してくれる。「もうおやすみ。」そう言われるまでは勉強し続けようと決めている。体が以前よりも重く、眠気が取れない日が続いていた。それでも月の光で勉強しているという清宗に比べると、恵まれすぎている。
「さて……起きよう。」
布団に腕を突くと青い髪が視界に入った。溜息を吐きそうになるが、ぐっとこらえる。意識して口の端を上げた。
「前よりずっと綺麗な色だわ。」
声に出して言うと、本当にそんな気がしてくる。青晶はまじないのように、嫌な気分になったらよい言葉を言うように心がけた。術師になるのだから人格だって作り上げなければならない。今年術師学校へ入学するのだ。自分を守るすべを手に入れるためにも。
夏に向かおうとしている空は青く、朝の風は涼しいを通り越して寒い。
「……どうして?」
青晶は眉根を寄せた。窓が開いている。昨晩は少し寒くて窓を閉めたはずだ。窓の外を恐る恐る確認するが、何もない。
「絶対気のせいじゃない……と思うのだけれど……。」
口元に手を置いて首を傾げた。見上げた空には雲が漂う。視界の端で背の高い木が揺れた。校舎とこちらの境に生えている大きな木だ。音が聞こえた気がする。
「鳥……?」
頭がくらくらした。
「青晶?」
導諭が呼んでいる。行かなくては。のろのろと着物を着替えるが、頭がうまく回らない。寝不足がここまで影響するだろうか。
「青晶、そろそろおいで……。」
「せ……」
──先生、なんだか頭が回らない。口もうまく動かないし……まるで、そう……まるで術中にいるような。
青晶は目を見開く。術に入ろうとしている。誰かに術をかけられている。今まで勉強した中にあった症状だ。青晶は着物入れの上に置いていた杖を瞬きで掴み、術中を抜ける呪文を声に出した。風と煙の爆音が窓を突き破る。杖から火花が散った。
「しまっ……たっ」
杖を横に持ち、爆風に耐える。相手は屋敷内にいないようだ。外からの呪縛を感じる。杖から火が迸った瞬間、わずかに怯んでしまった。杖がないと、未熟な青晶には呪術を扱いきれない。杖を失う恐怖で一瞬術が緩んだ。
「青晶!何事だ!」
導諭が扉を開けると同時に術を構成した。
「青晶、術を解け!」
術が重なると爆発する。たった今姿の見えない術と青晶の術が重なり爆発を起こしたところに、更に導諭の術までかかると想像できない大きさの爆発になるだろう。反射的に青晶は術を構えていた杖を下ろし、同時に導諭が呪文を口にした。青晶と比べ物にならない力を感じる。
「伏せなさい!」
頭を抱えて屈みこんだ。爆音が部屋に響き渡った。部屋中のものが散り散りに飛び散る。灯火の入れ物が割れた。導諭の足が見える。拮抗して、小刻みに震えていた。よく分らない光が発生している。
あの魔術師だろうか。もう来ないと言っていたのに、また現れたのだとしたら何が目的なのか。
ふと静けさが落ち、青晶は顔を上げた。導諭が青晶の前に立つ。窓の外に人がいた。二人もいる。
「何者じゃ!ここを神学と知っての行いか!」
青晶は床に座り込んだまま、愕然と目を見開いた。二人も魔術師がいる。神官でないことは見るからに明らかだ。奇妙な着物。一人は血で染め上げたかのように鮮やかな赤、もう一人は紫の着物を身に着けていた。共に口を布で隠している。男が身に着けるには鮮やか過ぎる色だ。
宙に浮いている二人は、底知れぬ笑みを浮かべていた。
「おや、これはずいぶん年寄りだ。年寄りだ。」
「手が震えているねー、おじいちゃん?」
皮肉な笑い声が上がる。くだらない言葉だと分っていても、腹が立った。自分の親を見下されて笑えるはずがない。
導諭はひたと魔術師たちを見据えた。
「神学を襲うことは死罪を賜る悪行だ。今なら許そう。去るが良い。」
魔術師たちは下品な声でそれぞれに笑い声を上げる。赤いのは笑ったときに口の中で唾が音を立てていた。
「去るが良いだってよ!どうする?どうする?そうしようか?今なら許してくれるって!ぎゃははははは!」
紫色も耳障りな声で笑い、歯を噛み合わせてかちかちと音を出す。
「おじいちゃんはモウロクしちゃっているんだよねー?モウロクって意味知らないけど!神学教師ごときに魔術師が二人いて負けるわけないだろー!ひゃはっははっははっ」
なんて品のない男達だろう。青晶は青ざめながらも杖を握り直した。もう一度術が構成されようとする気配を感じる。けれどもどちらが術を構成しているのか分らない。若い術師に良く見る、人差し指と中指を重ねて額に当てるという格好もしていない。術師になると杖を使わなくても呪術を構成できるが、今まで使っていた杖の代わりに手を宛がうことが多いというのに。
──どちらか分らない。
導諭も分らないのか、何か考えているのか二人を睨み据えていた。
「先生……。」
小声で呼びかけると我に返ったように素早く目だけで青晶を確認した。
「青晶……おいで、逃げたほうが良い。」
「え?」
言うが早いか、導諭はまだ屈んでいた青晶の手首を掴み信じられない速さで居間へ走る。
外で魔術師たちが笑っている。
「逃げても無駄だよー!」
「逃げても捕まえる!捕まえる!」
居間の窓が爆音と共に弾け飛ぶ。腕で顔を覆いながら導諭は走る。居間を通り抜け回廊へ走り出た。