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魔術師の婚約者  作者: 鬼頭鬼灯
3章
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若き官吏

 しょうきゃく殿でんは神官府の中層に位置している。外から飛来して尋ねてくる客がほとんどで、出入り口は露台だ。神官府の足元から尋ねようものなら、尋常でない数の階段を上ることになる。露台の出入り口から門を二つくぐり、門一つ一つに常駐している門番の質問に紳士に答え、更に重い扉を開けさせる。この扉は男が四人がかりでやっと開けられる重さだ。外と中から許可を確認して内側から開けられるようになっている。

 中から尋ねる入り口はいたって簡素だ。内側から客が来るはずがないと言わんばかりの形式をしている。警備兵がたった二人ついている扉は、片手で開けられた。

 警備兵は賢彰が尋ねてくることを聞いていたのだろう、何もいわず扉を開けてくれた。扉の中には来賓を向かえる部屋らしく、煌びやかな装飾品がまぶしい。高価そうな椅子や調度品が整然と並んでいる。

 ここが働く場所だろうか。

 賢彰があまりに優雅そうな様子に首を傾げていると、部屋の端のほうで机に向かっていた女が席を立った。視線を足元から頭の先まで感じる。赤い唇に巨大な耳飾り。手首の飾りは髪を耳にかけるだけでうるさい音を立てた。

 化粧で素顔がどんなものか分らなくなっている女は、据わった目で賢彰の顔を睨んだ。

「ひどい顔ねえ……。きちんと睡眠はとっていらっしゃいますか?制服も、洗ってらっしゃいます?いくらお忙しいことで有名な総督省の御人でも、神官府では名に恥じない装いというものがございますよ。」

「はあ、無作法で申し訳ありません。」

 突然呼び出されて、装いも何もあるか。制服だって常識的に手入れしている。皺一つないここの人間の装いのほうが奇怪なのだと、心中で吐き捨てる。

 頭を下げている賢彰を見ることも恥だという様子で、女はくるりと背を向けた。

「こちらへ……。お客様をお待たせしております。」

「あの、そのお客様なのですが。一体どういった方でしょうか。」

 女は部屋の奥に無数に並んだ扉の一つに向かう。扉を開けながら、優雅に微笑んだ。

「あなたと同じ種類の方です。」

「は?」

 怪訝な顔をした賢彰の背を押し、女は扉を閉めた。比較的小さい部屋なのだろう。やわらかい椅子と漆の机があるだけの部屋だ。その中央に腰掛けていた人影が立ち上がった。

 賢彰は女が同じ種類といった理由がわかる。彼は高価な着物を身に着けていなかった。神官の制服は絹が通常だ。そういう世界で生きている者には、一般庶民の格好そのものが下品に映るのかもしれない。少なくとも、あの女はそういう偏った考えを持っているらしい。

 庶民には当然の麻の着物と、白髪交じりの髪にひげ。賢彰はその男を知っていた。

 彼は別れた時と変わらず、柔和な笑顔を浮かべる。

「やあ。うっかりこのまま尋ねてしまいました。すっかりあの女性に嫌われてしまったようだ。」

 賢彰は驚きを隠せず、しばらく男を見返すしかできなかった。変わり者で有名な─かつての師。賢彰は我に返ると、慌てて男のもとへ歩み寄った。

「師範!どうなされたのです!」

「驚かせたかな。」

 賢彰はこの男の本名を知っていた。術師学校へ入学した者ならば皆この男の本名だけは知っている。この男は術師学校へ入学した学生皆の前で、名を名乗ったのだ。信じられない愚行だと思った。だがこの教師は自信に満ちた顔で宣言する。

『いいかね。誰もが名を奪われまいと本名を隠すが、名を奪われるという本当の意味を理解しなさい。呪術でもって他人を縛る場合、術者は必ず縛ろうとする相手に名を名乗らせる必要がある。そしてこの魂縛りを行えるのは術者同士だけだ。だから普通の人は名を名乗り合える。─この理由を知っているかい?普通の人の名を術師が奪い、魂を縛ると人は呪術に耐えられず亡くなってしまうのだ。そして術者へ呪術をかけるとき、相手が決して口を開かなければこの術は成功しない。だから私は皆に名を名乗ろう。私は決して皆に縛られることはない。他人を恐れるなとは言わぬ。だが、恐れる根本を明確に理解しなさい。漠然とした知識が正しいと思い行動することほど、愚かで浅はかなことはないのだからね。』

 彼はどうという。術師学校で賢彰の師として常に時間を割いてくれた。笑顔の印象しか残っていなかったが、今もなおこの師は笑顔だ。

「いえ……。風の便りで、もう術師学校にはいらっしゃらないとお伺いしていたので、どちらへいらっしゃるのかと案じておりました。お元気でいらっしゃったのですね。」

 自分より後に卒業した者が、導諭師範は辞めたと言っていたが、どこへ行ったのかは誰も知らなかった。術師学校の師範は国の最高官吏だ。辞職は常識的にありえないことだった。その非常識をさらりとしてしまうところも、また変わり者といわれる導諭ならばあり得る気もした。

 賢彰が握手を求めると、枯れ枝のような手のひらが力強く握り返す。

「ああ、そうだったね。皆には何も言わず出てしまったものだから、仙人にでもなるのかと言われたよ。」

「あ、はい。私も……てっきり修行に出られたのかと。」

 最高官吏を辞めた後に求める道など、生と死の超越しかないと思った。仙人が真実いるはずもないのだが、導諭ならばなれる気もするのだ。

 導諭は鷹揚に笑う。

「修行かね……。今は田舎で暮らしておるよ。もう私も年だ。余生を田舎の小さな学校で過ごそうと思ってね……。秘密にするつもりはなかったが、話す必要もなかろうと思ったのだよ。」

「さようでしたか……。どちらの学び舎で?」

 導諭は背後の窓を振り返った。外は闇に包まれ灯火も見えない。

「今は江州の端の村で神学教師をしておるよ……。娘とともにね。」

「……ご結婚されたのですか?」

 本人が歳だというだけあり、子供を作れるようには見えなかったのだが。導諭は賢彰の心中を察したのか、首を振る。

「違うよ。私が神学で教え始めた頃に門の前に捨てられていた女の子を、そのままもらったのだ。」

「捨て子ですか……酷いものですね。……ですが、その娘さんは運が良い。」

 導諭がはて、と首を傾げる。賢彰は微笑んだ。

「師範に拾われたのですから、儲けものです。生まれた時から高等教育を受けているようなものですからね。いずれ術師学校へおいでになるのではありませんか?」

導諭はそれもそうだなと笑った。

「そうだね。術師学校へ行くと言っておるよ。わしは、今年入学して欲しいと思っておる。」

「ああ、もうそんなにお育ちですか。」

 もう二十歳そこそこかと思ったが、導諭は悪戯っぽく笑った。

「まだ十五だよ。」

「……ご冗談を。」

 十五で術師学校に入学できるはずがない。何かの冗談かと顔を引きつらせる。導諭は何のことはないと片手を振った。

「年齢など、気にする必要はない。あえて言うのであれば、今年私の学校から最年少で術師学校へ行こうという子が二人いる。一人は十九の男の子だ。そして彼は私の娘のいい友人になってくれた。彼はもう術師学校へ入学できる。彼の出来はすばらしく良い。だから私の娘も今年、術師学校へ入れる。これは私が決めた。」

 導諭の目はいたって真面目だ。娘を術師学校へ入れるとこの人が言うのであれば、それは必ず全うされるだろう。術師学校のかつての教師が親でも、入学試験での配慮や妥協は一切ない。試験は全てに公平で、本人の実力のみが試される。

 しかし、賢彰は首を傾げる。

「それは……とても楽しみですね。ですが、何故そのように?友人関係を保つためには確かに同年入学が良いでしょう。しかし、師範のおっしゃりようでは、どうも無理をさせても術師学校へ入れなければならないようです。……なにか、ございましたか?」

 そうだ。導諭がわざわざこんな時間に神官府へ訪れたこと自体、不自然だった。導諭は無理に学ばせようという方針を一切用いない。自分の娘に限っては別だというわけもないはずだ。

 導諭は優しい微笑を浮かべる。

「そう……君は本当に聡い子だね。」

 導諭にとって自分はいつまでも子供に見えるらしい。久しぶりに子どもの扱いを受けると、変にくすぐったかった。頬が赤くなってしまう。

 導諭は賢彰の様子に気づかず、己の顎をなでた。

「今日こんな時分に君を訪ねたのも、これと関係がある……。君は今、総督省の管轄だと聞いていたが……?」

「はい、そうですが……?」

 導諭は真剣な顔を少し歪めている。

「君の手を煩わせるのは、大変申し訳ないのだが。……最近妙な気配を感じるのだよ。」

「……師範の周囲ですか。」

 導諭がいうからには、余程危険が迫っているとしか考えられなかった。

「そう……私、ではないな。私の娘だ……。」

「娘さん……ですか。どのような気配ですか。」

 まだ術師でもない娘に危険が迫るとは、どういう事態なのか。導諭は重く溜息を吐き出し、顔を手でぬぐった。

「いや、すまない。私の娘はね……青の……。」

「……師範?」

導諭が言いよどむ。賢彰に言っていいものかどうか迷っていた。賢彰は十五年、総督省で働いてきた誇りを持って頷く。

「おっしゃってください。他言はいたしません。」

 導諭はそれでも言いよどむ。しばらく逡巡を繰り返し、大きく息を吐いて決心した。

「君に無理を強いることを許して欲しい……。」

 賢彰は真剣に頷く。

「お任せください。」

 導諭は悲しげに微笑んだ。

 自分が出来る限りの術をもって救いを求める手をつかむ。賢彰は己の師を救うために、密やかに動き始めた。

 総督省は民の生活の安寧を願い創設された国家機関なのだから。


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