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魔術師の婚約者  作者: 鬼頭鬼灯
3章
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眠らない神官府

 月が地平線から昇り始めると、周囲は次第に闇に包まれ始める。集落の灯火がわずかに軒下を照らした。灯火は影を作り出し、光の明るさが強ければ強いほど闇の色が深くなる。最も暗い闇が足元を覆う建物──この国の政を取り仕切る『神官府』は陽が落ちたところで我関せずといった風情を突き通していた。堅牢に築かれた外壁は三重。灰色の石を積み重ねた建造物は、鋭利に天を貫く三角錐の形状をしている。高さは遥か頂上が雲に隠れるほどあり、天上からの眺めは集落が地に張り付いているかのようだ。

 神官府は眠らない建物といわれている。陽が落ちると呪術で作り上げられた灯火が昼日中と変わらぬ明るさで屋内を照らし出し、神官たちは寝食を惜しんで働き続けている。もとより神官は寿命が長いだけ、時間の流れが人と違う。二日三日睡眠を忘れたところで、なんの支障もきたさない体になっていた。

 神官の制服は黒く、衣の丈は床を撫でるまである。黒い着物の上に、更に着物と同じ丈の黒の上着を身に着けることが規則だ。上着には黒地に銀の刺繍が入る。蒼藍の官服は水の化身として龍が刺繍されていた。

 官吏は今日も忙しく立ち働いている。

 官吏の一人がふと疲れを癒すために窓辺へ立った。眼下には無数の川が網の目を張るように広がっている。

 そうらんは水が豊かな国だ。周囲を山と海に囲まれ、治水では近隣随一の技術を持っている。水を治める国の能力が高ければ、民は農作業を円滑に進められる。水があれば作物は育ち、民の生活は潤う。そして海がある。海は豊富な魚介類をもたらし、他国との貿易も盛んだ。蒼藍は近隣諸国の中で最も豊かな国だった。

 自分の忙しさも、この国を支える一柱になっているだろうか。(けん)(しょう)は口の端を上げる。術師学校を卒業後、すぐに神官府の総督省へ配属された。働き始めてやっと十五年たった頃だ。目の下には無残に隈が浮き出し、手肌も書類や文献を扱う性質上、油分を失い荒れている。今日で五日寝ていなかった。

 総督省は国の警備、民の保護、犯罪取締り等を担う警邏隊をまとめる警視総庁の更に上に位置する統括本部だ。忙しく働くことが幸せと思えなければ勤まらない職場だった。

(けんけん)々。おーい。」

 神官府の広さは尋常ではない。廊下一つをとっても先が見えなくなるほど長い。その廊下の先から手を振りながら近づいてくる人影がある。賢彰は声でそれが誰だかわかった。同期で入った(ろう)という男だ。本名は知らない。賢彰よりも三つばかり歳上だが、年齢は神官府では意味のないものだ。どの人も見た目と年齢が比例していないからだ。現に、十代に見えて実は八十という先輩がいる。

 官吏は名を奪われないように、己の名を隠さなければならない。だから賢彰は己を賢と名乗っているが、朗は勝手に賢々と呼んでいる。

「どうかしたのか?」

 朗は脇に分厚い書物を四つ抱えていた。今にも手から落ちそうだ。賢彰が手伝おうとすると首を振った。

「や、大丈夫だ。それより、お前にお客が来ているとか。」

「客?こんな時分に。」

 朗は肩をすくめた。

「さあね。俺はさっきしょう(きゃく)殿(でん)の奴に伝えろと言われただけだ。人を伝書鳩かなんかだと思ってやがる。」

 招客殿は主に来賓を迎える仕事をしている。政治とほとんど関わりを持たないせいか、官吏の中でも優雅な生活をしていた。朝から夜まで待機しているが、概ね他部省の官吏に対して横柄で毛嫌いされている。来賓を扱う招客殿は王に最も近いため、王の寵愛も受けやすい。自分たちは王の近くにあるという自負心が余計に横柄な態度を取らせているようだ。

 仕事の途中で伝書鳩になれと言われたのか、朗は苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。賢彰は困った顔をする。

「わざわざ痛み入るよ、朗。」

「どういたしまして。」

 片手で上着の端を持ち上げ、片足を下げて見せた。女性の挨拶の一つだが、冗談が好きな朗はよくその格好をして笑わせる。ひとしきり笑いあった後、朗は片手を上げた。

「じゃあな。なんかお偉いさんでもなさそうだったぜ、招客殿の奴らの態度からすると。そんなに緊張するなよ。」

「はは。気づいていた?」

 入省して十五年、一度も呼ばれた覚えがない場所だ。一体誰が呼びつけているのかと、実は緊張した。悪いことに、今日は五日も寝ていない。風呂には入っているが、客の前に出られる面でないことは自覚していた。

 朗はわざと自分の目の下を撫でる。

「俺も似たようなものだろ。こんな時間に来る客だ。大事件か、お前に着替えを持ってきた母親くらいのもんだろうよ。」

 朗の目の下には、もう染み付いて取れないほどの隈が残っていた。賢彰は笑って手を振る。

「大事件じゃないことを祈ろう。」

「違いない。」

 もう小さくなった朗を見送り、賢彰は溜息を吐く。月はすっかり昇り、世界は寝静まっている。こんな時にやってくるのは、面倒ごと以外ないような気がした。


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