2.少年の始まり2
銀河が意識を取り戻した時、そこは見知った場所ではなかった。
家の三階にいたはずなのに、明らかに自分の家よりも広い面積を持った場所。
見知らぬ建物の、巨大なホールに自分が佇んでいたことに気付く。
そこは、全体的に黒で統一された空間だった。
高い、高い天井は、高すぎてシャンデリアの光を遠く感じる。
グラウンド並みに広いホールに、何の意味があるのだろう。
隅っこの暗い闇の中で、何かが蠢いている。
蝋燭の明かりがこれほど頼りないということを、銀河は初めて知った。
揺らめき、影の中の闇を強める脆弱な光。弱い光。
シャンデリアの無数の蝋燭が照らす灯りは、闇を強調して得体の知れなさを銀河に与える。
恐ろしさに怯え、正体の知れないものに怯え、銀河は震える。
窓の外に輝き、響くのは銀色の雷光。轟き渡る雷鳴。
緑の電流を帯びた摩訶不思議な生き物が、窓の外で舞っていた。
まるで舞い散る花弁か火の粉のように、頼りなく儚げに踊っていた。
空の中を揺らめき、震えて、落ちていく。
明らかにそこは、地球じゃなかった。
もしも地球に、鹿のような角と蝙蝠のような皮膜の翼、そしてサーベルタイガーのような牙を持った猿がいれば話は別なのだが。
空を飛んでいる奇怪な生物たちを、銀河は呆然と見ていた。
そこは誰がどう見ても、地球ではなかった。
少年は異世界へとやって来てしまったのだ。
呆然とへたり込んだまま、長い時間をぼんやり過ごす銀河。
現実逃避をしたい気分はきっと誰だって解るだろうが、いつまでもぼんやりとしている訳にはいかない。それを銀河に許すものは、この場に一人たりともいなかった。
一人・・・と言うよりは、一頭と言うべきだろうか。
その大きなホールの扉を開けて、大きな生物がやって来た。
それはゴリラと羊と兎を掛け合わせたような、摩訶不思議で謎の生物だった。
一目見たらきっとこんな言葉が浮かぶことだろう。
妖怪。もしくは魔物。
そしてその生物は、そのまま見たままの生物だった。
すなわち、魔物だったのだ。
魔物は銀河をその爛々と光る黄色い目で見つけると、ゆっくりした歩みで近づいてくる。
へたり込んでいた銀河が、ずり・・・ずり・・・と後退る。
足腰に力が入らないために、這い蹲るように退いていく。
しかし力強い歩みで近寄ってくる魔物には、意味のない行動であった。
魔物は、ずんずんと遠慮なく銀河に近寄ってくる。
だが、露骨に怯える銀河の表情に魔物が気付いた時、魔物に困惑の表情が生まれて、どこか躊躇いがちの仕草が現れた。
怯えを表す銀河に対し、逆に魔物が怯えているようだった。
躊躇いがちに、壊れ物でも触るように魔物が触手を伸ばしてくる。
そのつるつるした触手が、ぺたぺたと銀河の手に触れた。
魔物はおずおずと銀河の手を取ると、銀河の手に額を押しつけて頭を垂れた。
ゆっくりと跪き、じっと動かず銀河の反応を待つ。
魔物の行動に、銀河の疑問は更に大きなものとなった。
――もしかして、そんなに怖い生き物じゃないのかな・・・。
銀河の行動をただひたすらに待っている魔物のことが、大人しく優しい生き物のように感じた。
魔物よりもずっと躊躇いながら、銀河が手を伸ばす。
少年の手が魔物の触手に触れた瞬間、魔物はぴくりと震えた。
強い不安と、そして弱い期待を魔物が抱いていることに銀河は気付かない。
初めて魔物という生物に触れる銀河自身が、不安と恐れを抱いていたからだ。
どちらも怯え、恐れていた。
やがて銀河は、びくびくと怯えを抱いている魔物の様子に気がついた。
魔物が自分を恐れ、不安がっていることに気付いた。
それに気付くと、途端にグロテスクな異形であっても、何故だが愛らしい生き物に見えてくる。
そっと、銀河は注意深く魔物の頬に手を当てた。
ぴくりと震えながらも、恐々と触れてくる銀河の掌に、その暖かみに魔物は震えを抑えていく。
その長くて短い毛に覆われた耳が、徐々に寝ている状態から通常の状態へと戻っていく。
その魔物の仕草から、銀河は魔物への恐れを捨てた。
魔物が恐れるべき生物でないと、銀河は知ったのだ。