親切
ダンジョンで暴れ回った次の日のこと。
ギルスはユリカに呼び出されて、カフェでお話をすることになった。
早朝なので誰もが慌ただしく、そんな日常にどこか懐かしさを覚える。きっと自分も同じだった筈だと、彼はぼんやり思っていた。
「どうですかー、お久しぶりの日本は?」
「色々と変わって驚きました。少しだけ、思い出したんです」
断片的な記憶のいくつかをユリカに話してみる。すると彼女は、どこか楽しげに耳を傾けてくれた。
「じゃあやっぱりギルスさんは、ダンジョンが生まれて間もない頃に転移された、初期帰還者に該当しているんだと思います」
「初期帰還者……」
「はい。帰還者は失踪した時期からグループ分けがされているんですけど、初期はダンジョンが生まれた四十年前から、ざっと五年くらいに該当する人を指します。もうほとんど現れないらしくって」
地球にダンジョンが現れるようになって、約四十年が経過している。
その頃に転移させられた人々は、大抵の場合は老齢に達しているか、亡くなっている。
「でも、ギルスさんは見たところ、全然お若いですよね」
ここで当然の疑問を、ユリカが口にする。魔人になった事実がバレそうになり、内心落ち着かない気持ちになった。
「でも、転移した世界によっては、時の流れが変わってしまうらしいんです。だから、若いままでいられたのかもしれませんね」
「確かに、あの世界は普通じゃありませんでした」
どうやら、異世界という神秘のせいで済んだらしい。ギルスはホッとしていた。
「ではギルスさん。まずは帰還者用の臨時マイナンバーカードを作りに行きましょう……あら? どうしました?」
カフェを出ようとしたところで、運転係の男——彼の名は春巻と言った——と同僚の女がやってきて、彼女にスマホを見せている。
すると、おっとりした顔が徐々に、焦りと戸惑いに変化していった。
「え、ちょ、ちょっと。これって、もしかして。ギルスさん?」
ユリカはスマホをギルスに向ける。
(これは、昨日の俺か。まさか、あの状況でカメラを回せるとは……)
ダンジョン庁の上司から送られてきた動画は衝撃的であり、目前にいる青年に疑問を抱くに十分であった。
訝しげな視線を送る二人の黒服は、すでに昨日からこの事実を掴んでいる。
どこかのんびりとしている新卒二年目の仲間が、知らないことを察知して伝えに来たようだ。
ユリカは今になってようやくこの騒ぎを知り、分かりやすく狼狽えていた。
よく分からないが、何度かはっきり顔が映ってしまっている。ここでしらばっくれたところで意味はないだろう。
「はい。実は昨日、いろいろありまして」
そう考えた彼はあっさりと認め、昨日あったことを正直に語った。
「まあ! なんて凄い。ギルスさんは、その……あんまり戦いとかは得意じゃないのかなって思っていました。でも、ここにいる魔物はみんな、危険度Aに該当する者ばかりです」
「危険度?」
ギルスにはピンと来ない表現である。
魔物の脅威について、近年では危険度という表現が使われる場合がある。
危険度Aは一般人では到底歯が立たない、地球に存在するどの生物より危険とされる化物達だ。
そんな説明を聞かされても、やはり彼は首を傾げていた。
「俺にはそこまで危険な相手には見えませんでしたが」
「え……でも、あんなにおっきな魔物じゃないですか」
「デカいだけでしょう」
ダンジョン庁の面々は、彼の返答に呆気に取られている。
「と、とにかく! ギルスさん、しばらくはダンジョンに行っちゃいけません。というよりも、一人で行くのはこれから先も絶対にダメです」
「なぜです?」
「ソロで探索なんて、危ないからです! あ、そうでした。もう時間ですね。さあ、そろそろ参りましょう」
ダンジョン庁の他二名は、明らかにこの帰還者を警戒している。
だが、昨日から彼の世話をしているユリカは、あまり疑っていない様子である。
(この人、どこか変わっているのかもしれないな。俺も人のことは言えないが)
そんな呑気なことを考えながら、ギルスは役所に連れられて行った。
自身のことが分からない、役所の行方不明リストにもない、謎だけの日本人。
そんな素性不明の場合でも、個人情報の登録はしなくてはいけない。
臨時マイナンバーカードなるものを彼は知らなかったので、色々と戸惑う場面があった。
役所の人々が親切だったので、問題なく登録することができたことに、彼は素直に感謝していた。
カードの手続きを終えると、今度は病院に向かうことになる。帰還者の健康状態について、諸々の検査をしなくてはならないらしい。
(病院の検査は、あまり変わってない気がする。そういえば、こんな検査をしたことがあったような……)
白い壁と白衣。点滴をしながら歩いている患者。誰かを呼ぶ声。身体測定から血圧、採血など。
どれもかすかに覚えがある。こうして彼は、何かをする度に少しずつ、過去の自分を見つけていくことになる。
全ての検査が終わった後、正面玄関を出ると黒塗りの車が停めてあった。ここまで送迎してくれたダンジョン庁のものだ。
ガラスの向こうで、ユリカと黒服の男が何か話をしている。
彼女はなにか慌てている様子だったが、ある時から空気が変わった。
明らかに、彼らに対して怒り出していたのだ。黒服の二人は困惑した様子で、ギルスは車に乗っていいものか悩んでしまう。
そうこうしているうちに、後部座席のドアが空き、ご機嫌斜めになったユリカがこちらに向かってきた。
「早かったですね。では、お家までお送りします。電車で行きましょう」
「でも。あちらの車は」
「電車のほうが楽ですよ。乗り方も覚えたほうが良いですから」
「はあ……」
どうやら喧嘩をしたらしい。一体何があったのか。
他人事ながら、彼は先ほどのやり取りが気になっていた。言われるがまま電車に乗り、見た覚えがないビルばかりの景色を眺める。
電車に乗っている間も、ユリカは熱心にこれからの生活や保証、社会復帰についてギルスに教えてくれた。
ただ、修羅のような世界から戻ってきた男にとって、この親切さには違和感がある。
事実、ユリカはダンジョン庁の保護課職員の中で、誰よりも帰還者に対して親身に接している。
電車の広告を眺めながら、彼は少しばかり知りたくなった。
「どうしてユリカさんは、そんなに親切にしてくれるんですか」
「え? みんな親切ですよ。うちのメンバーは」
「でも、あの二人の目と、あなたの目は違う」
「あー、そうですね。警戒しちゃってるんだと思います。ギルスさんが、あんなに強いなんて知らなかったので。でも、きっと今だけです。みんな分かってくれると思います」
楽観的なのか、天然なのか。興味が増してしまう。
「やっぱり、ユリカさんは変わっている。普通はここまで熱心に助けてくれはしないでしょう」
「え、そんなことないです。でも……ちょっとだけ、感情移入しちゃうところは、あるのかもしれないです」
感情移入という単語に、何か予感を覚える。彼女はきっと、自分のことを打ち明けてくれるつもりだ。
「私がまだ子供の頃に、父がダンジョンで行方不明になったんです」
「……お父さんが」
「はい。魔物に食べられちゃった、とかそういうのではなくて。みんなで潜っていたら、光に飲まれていつの間にか消えてしまった……そう言われたんです。後で見せてもらったのですけど、映像も残ってて」
ユリカの父はダンジョンで行方不明になった。まだ八歳だった彼女は、大好きだった父が帰ってこない事実を知ると、長い間悲しみにくれたという。
「学生の頃は、これでもダンジョンに潜ったりしました。父がいなくなったあのダンジョンに行けば、もっと潜れば……いつか会えるんじゃないか。そんなことも思っていましたね。でも、結局会えませんでしたけど」
時折元気な笑顔を見せたりするが、彼女は今でも思い出す度に悲しんでいる。
失踪から十六年が経とうとしている今もなお、心のどこかにいつも父の影があった。
悲しみが痛いほど伝わってきて、ギルスはやるせない気分になった。
その姿を目にして、心配させてしまったと思ったのだろう。ハッとしたユリカが頭を下げてきた。
「ごめんなさい! 嫌な話をしちゃいましたね」
「いえ、とんでもない。ただ、なんて言ったらいいか」
「いいんです。だから私、この仕事を始めたんです。いつかお父さんに会えるって、まだ諦めてませんから! あ、なんかすみません。自分語りばかりで」
「とんでもない。話してもらえて嬉しかったです」
この人は信頼できる。そう思った時、ギルスは自然と微笑んでいた。
ユリカは彼の笑顔を見て、少しばかり照れていた。
「……なんだか、ギルスさんって不思議ですね。私、お会いしたばかりの方に、こんなお話するなんて初めてです。あ! ここですよ」
帰り際にもしっかり今後のスケジュールを伝えられ、ギルスは電車を降りた。
アパートに戻ってみると、異世界になかった一人だけの世界がある。
これが彼にとっては癒しであり、幸せであった。
ただ、一つ妙なことが起きた。
カーテンを開けてベランダに出た時だ。遠い空の向こうに何かが浮かんでいる。
それは白い風船を持った熊のようだった。
(あれは……)
嫌な予感半分、どうでもいいも半分。
あくびをしながら、彼はカーテンを閉めて家の中に戻って行った。




