異世界の魔王
その世界には夜しかない。
太陽が昇るさまを、ギルスは一度も目にしたことはなかった。
これから少しのあいだ語られるのは、彼がいた異世界の話である。
月明かりに照らされた、何処までも広がる野原。血の匂いが漂う森林。地球よりもずっと多種多少な種族で溢れる町。そして世界中に点在する王の城。
どれもが地球とは違い、野蛮で狂った空気に溢れていた。
それもまた、この世界に生きる者達の荒々しさを思えば無理からぬことである。
世界中の国々が、すべてを手に入れるべく戦争に明け暮れていた時代だった。
さらには、世を埋め尽くさんばかりの魔物達が、それぞれの勢力に肩入れする形で殺し合っていた。
転移したばかりの青年は、日本で暮らしていた時とはまるで違う、人々や魔物のありとあらゆる拘りを知り、時に驚いた。
彼には理解できない考え方の相違で、殺し合いが始まることも多々ある。
侵略側にあった多くの国にとって、持ち合わせていたのは領土欲だけではない。世界はこうあるべきだ、という強い思想に縛られていたのである。
この領土欲と思想に共鳴した魔物達が集まることで、暴徒化した民衆の如く激しい戦闘欲をもつ国ばかりになっていた。
その世界に転移したばかりのギルスは、あまりに物騒な世界に恐怖した。
平和な国で生きていた彼にとって、泣きたくなるばかりの地獄である。
当初、彼は小さくか弱い種族がより集まる国に現れた。
四方を他国に挟まれ、まもなく滅びるか服従を強いられるかのどちらかという状況だ。
彼は初めこそ怖がっていたが、やがて戦うことを決意する。勇気を出して一歩を踏み出すことは、決して簡単ではなかった。
他国に蹂躙される定めであったその地は、当たり前のように激しい侵略を受け続けた。
その度、ギルスは侵略者との殺し合いに明け暮れる。
いつしか仲間と出会い、突然失うという繰り返しが始まった。
戦乱は一年、二年経過しても終わりが見えない。彼は並々ならぬ屍の山を作り上げ、戦うことしか考えなくなっていた。
狂気と興奮、そして恐怖の三年が経った頃、ある決定的な出来事が起こる。
ギルスの体に大きな変化が起こったのだ。
人に似ているが人ではない。強大な力を持った魔人へと変貌を遂げたのである。
彼が転移していた世界では、魔人と呼ばれる存在は珍しくはない。だが、選ばれた者のみがなれる特別な人間だと認識されていた。
魔人になった男は劇的に強くなった。
その身に誰もが恐れる黒い雷光を纏い、時には砲弾さならに雷を解き放ち、人も魔人も魔物も全て破壊していく。
強みは彼の代名詞となった黒い稲妻だけではない。
あらゆる魔法や術、常軌を逸した身体能力は、認めざるを得ない圧倒的な戦果を上げる。
やがて英雄の如く称賛され、戦いに勝利するほどにその地位を高めていった。
特に決定的な功績としては、幾つもの国を逆に攻略し、支配していったことである。
だが、ギルスは支配者になろうとは微塵も考えていなかった。
彼はただ、唯一の楽園と呼ばれた地を守りたいと考えていた。
しかし戦いが激化していくにつれ、思考を止めるようになっていく。
戦乱はなんと四十年以上も続き、彼はまるで機械のように淡々と敵を葬るようになっていった。
異常としかいえない長い戦いの日々で、彼の強さは停滞することなく高められてゆく。
そこに転移前のような軟弱さはなくなっている。
人より長生きな彼は、青年の見た目のままで、涼しい顔をして殺し合いに浸かっていく。
周辺の国を支配下に置き、さらに遠方の国と争うことになった時も、顔色ひとつ変えずに対処していった。
やがてギルスは、人間だった頃の記憶を少しずつ無くしていることに気づく。
そして徐々に忘却は深刻化し、自分が本来何者であったかさえ忘れていったのだ。
だが、元々は地球人であることは忘れたことがない。最後の砦であるかのように、ひたすらに覚えていようと必死だった。
(いつか地球に帰りたい。そして……そして……?)
何かをしなくてはいけない筈であった。そのことを思う度、忘れかけていた激情が顔を見せることもある。
しかし、その何かがどうしても思い出せない。記憶から抜け落ちている。
そしてとうとうギルスは、王と呼ばれるようになる。
黒き雷光の魔人、黒雷の王、王の中の王。あらゆる異名を持つ男に並び立つ者は、もう存在しなかったのである。
果てしない殺し合いの末に、ようやく待ち望んだ平和を手に入れたはずであった。
「聖王ギルス様……我ら十二柱。いつまでも貴方様のお側に」
立派な城の玉座が、彼の定位置となった。最も信頼できる部下からの言葉は、どうにも気恥ずかしい。
「俺には似合わない名だ。魔王のほうが適切だろう」
そう周囲に語ったこともあったが、なかなか聞き入れてもらえない。
魔人や魔王という呼ばれ方を、誇り高い意識を持った仲間達は嫌っていたからだ。
自分達は聖人であり、頂点にいるのは聖王であるという。
だが反対に、魔王という呼び方を好む仲間もおり、彼らは時として名称一つで争ってしまう。
彼自身は聖王などと呼ばれるよりは、魔王と呼ばれるほうが合っている気がした。
呼び方一つすらままならない暮らしは、やがてある意味で彼を苦しめることになる。
待ち望んだ戦いの日々が終わった時、心に訪れたのは幸せでもなく、達成感でもない。ひたすらに虚無感ばかりだった。
そして統治という仕事をすることになった時、彼は久しぶりに面倒だと感じるようになる。
戦いの日々が終わり、心が静かになっていくほど、もっと気ままに過ごしたいという気持ちが強くなった。
そんな矢先のこと。
いつもと変わらない、退屈な日々の始まり。欠伸ばかりが出てくる日々に、急に終わりが訪れた。
自らの体が眩く煌めいている。前兆など一切なく、あまりに突然のことだった。
(この感覚……前にもあった。ずっとずっと昔に、同じものを感じたことがある。まさか、地球に?)
その予感は当たった。やがて体は求めていた地へと移り始める。玉座に現れた白き輝きが、何にも増して眩い。
「ギ……ギルス様!?」
部下の一人が叫んだ。
王を慕う者からすれば、信じたくない事態が起こっていた。反対に、ギルスとしては望ましいことであったが。
甲冑を纏った部下が玉座に駆け寄ったところで、王の体は消え去ってしまう。
「ギルス様ぁああ!」
悲痛な叫びは、しばらくギルスの耳に残った。
まさかこのような別れとなるとは、想像もしていなかった。
(俺がいなくなっても、もう大丈夫だ。お前達なら上手くやれるだろう)
彼は部下達を信頼している。特に自身と長く戦場を駆け抜けた、十二名の猛者達なら。
だから特に心配していない。
問題があるとするなら、それは自分自身の今後であった。
こうした経緯を経て、人ではなくなった男はかの魔法陣から現れたのである。




