異世界からの帰還
「なんだよ! ノーマルカードかよ!」
薄暗い室内で、男の叫びが虚しく響いた。
魔法陣の真ん中に突如として現れた女が、目前の男が叫んだことで怯えている。
周囲は異常なほど人で溢れていた。
ここはライブ配信者達が好んで使うスタジオであり、ある儀式を行うことを国から許可された場所でもある。
その儀式の名は、異世界召喚と呼ばれていた。
今より四十年ほど前、世界にダンジョンと呼ばれる魔物の巣窟が出現するようになった。
同時に、ごく一部の人々が異世界に転移させられてしまう、という前代未聞の事象が発生した。
この異世界召喚という儀式は、そうした転移者を地球に呼び戻すものである。
当初こそ行方不明者の救済という目的で行われていたが、ある時から人々の間で娯楽と考える者が現れる。
そして異世界転移者は、誰もが常識では考えられない力を有しており、それらをダンジョンの探索に活かす目的で召喚する者も増えていった。
今回、異世界召喚を行なっている当事者は、中心にいる男を含めて三人。
彼らは初めから、探索に役立つ人を呼び出すことを公言しており、本人の意思など二の次で事を進めるつもりであった。
リーダーたる男の名は海老沢タダオ。今日本で急激に知名度を高めつつある配信者だ。
「次でラストだ。十連いくぞ!」
この一言に、周囲がどよめいた。
異世界召喚を行うためには、地球と異世界の繋がりであるゲートを作るきっかけである、召喚の札が必要となる。
召喚の札はダンジョンの奥で、極めて低い確率で見つかるものとされており、タダオはこれまでに三十枚それを貯め込んでいた。
本来であれば到底集められる枚数ではなく、一気に使用するのは世界でも初の試みであった。
だからこそ、世界中でこの配信は注目されている。
札はすでに二十枚消費している。つまり二十名を地球に呼び戻したが、それらの面々に彼は満足できない。
理由は、彼らの持つカードが特別ではなかったからだ。
召喚された者はなぜか決まって、自身が描かれたカードと共に呼び出される。
そのカードにはN、S、SSといったアルファベットが右下に描かれていた。
いつしか視聴者や召喚実施者は、それらのアルファベットが入ったカードを、ソーシャルゲームのキャラクターに当てはめるようになる。
そして不謹慎にも、レアリティなどと称して当たり、ハズレと表現する者が増えていった。
「次こそ来いよSSレア! いくぜ!」
タダオは魔法陣の目前にある祭壇に立ち、浮かんでいる青い球に触れた。
青い球は光の結晶であり、儀式により祭壇の上にふわふわと浮かんでいる。これに触れることで召喚が始まる。
球は二つ左右に浮かんでおり、一人ずつ召喚する方法と、十人連続で呼び出す方法に分かれていた。
今回タダオが気合を入れて触れたのは、右側にある十人連続で呼び出す球だ。
これまで彼は地味に一人ずつ呼び出す事を繰り返していたが、満足のいかない結果に苛立ち、いよいよ一気に終わらせることにした。
この時、彼のライブ配信は同接が五百万を超え、タダオの配信では史上最大のバズりとなっている。
視聴者達は、ここから探索界の英雄が生まれるのではないかと期待を寄せ、誰もが画面に食い入っている。
スタジオ内に集まった人々の期待も一気に高まり、いよいよ儀式は佳境を迎えようとしていた。
ただ、期待とは違う感情を抱く者もいる。
現地に集まった人々の中には、政府関係者もいた。
異世界より帰還した人々を保護、救済しなくてはいけない役割があるため、召喚の度に肝を冷やしている。
人々の不安や期待に応えるかのように、とうとう十連召喚は始まった。
これまでにない演出を始まりとして。
「お? おお?」
はじめに異変に気がついたのは、誰よりも前にいたタダオである。
一人目の召喚が行われる直前、室内の灯りが明滅し、ついには消えてしまった。
直後、赤い光が眩く周囲を照らし、タダオは我が目を疑う光景を目の当たりにする。
黒く巨大な多角の怪物。シルエットのようなそれがほんの一瞬だが視界を埋め尽くしたのだ。
スタジオ内で悲鳴が轟く。しかしその後、灯りは元に戻り、召喚は先ほどと同じように一人ずつ行われていった。
(マジでなんだったんだよ。今のは……)
現在二四歳のタダオは、これまで怖いもの知らずで生きてきた。
親は大手IT企業の社長であり、学生時代から特別な環境を用意されてきた。
今はダンジョン探索メインの配信者だが、将来は社長の椅子が用意されている。
逆らう者など、ほぼ存在しない人生を過ごしていた。
そんな彼ですら、背筋に冷たいものが走ってしまうほど、冒頭の何かは悍ましかったのである。
一つ、また一つと魔法陣が輝き、異世界からの帰還者が現れる。
今回は十個の魔法陣が出現し、順番に召喚されていた。
五回ほど自動的に続いているが、今のところはNのカードばかりである。
「くそ! マジでハズレばっかりじゃねえか。お前らはさっさと出ていけや」
タダオは地球に戻ってこれたばかりの人々に、心無い言葉を吐きかける。
狼狽える者、訳がわからず固まる者、喜びに胸を熱くする者。反応はそれぞれであった。
祭壇には召喚されたカードが現れては、自然と横一列に並べられていく。
不思議なものだと、視聴者やスタジオにいる者達は関心していた。
しかし、召喚を行う当事者からすれば溜まったものではない。
彼はどうしても、自分たちのダンジョン探索において、戦力になる逸材が欲しかったのだ。
それがまだ一人も出てこない。
「雑魚ばっかりじゃねえか。もうこんなチャンスねえってのによ」
タダオは何の配慮も遠慮もなく、思ったことをすぐ口にしてしまう。そして彼の取り巻きは、その悪癖を放置していた。
彼の苛立ちなど知らぬとばかりに、召喚は続く。とうとう七人目に突入していた。
だが、ここで予期せぬ演出が起こる。突如魔法陣全体が虹色に輝いたのである。
「お、お、お、お! キタァ! SSだ!」
いよいよか。タダオの心に希望の光が差し込む。そして光の魔法陣がくるくると周りだし、やがて中心に一人の男を招き入れた。
同時に祭壇にカードが姿を現す。タダオはすぐにカードを目にしたが、ここで薄ら笑いが消えた。
「……は?」
虹の輝きに包まれながら現れたその男は、少し痩せている普通の青年といった風貌であった。
ショートカットの黒髪。高くも低くもない身長。
男にしてはやや細身で、上半身はTシャツのような布の服、下は黒いズボンにブーツという装いをしている。
つまり何処にでもいる青年にしか映らなかった。ただ、召喚された時の反応は他の人々とは違う。
召喚された者……帰還者と呼ばれる人々は、大なり小なり驚きが顔に出る。
しかしその青年は、召喚されてから少しの間、眠っているように瞳を閉じていた。
「何だよ。これ、すり抜けじゃねえか!」
今日一番の怒号が室内に響く。しかし、動じる気配のない青年に、誰しもが釘付けになっていた。
彼はようやく瞼を開け、周囲をのんびりと確認する。茶色い瞳をしており、やはり普通である。
「突然すみません。あの、まずはこちらへ来ていただけますか」
青年の元へ足早にやってきたのは、長い黒髪をした若い女であった。スーツ姿が似合っている。
「そうだ! このすり抜け野郎、とっとと消えろ」
タダオは苛立ちを露わに青年へ寄ると、強引にその肩を押して魔法陣からどかした。
「ちょっと、タダオさん! 乱暴はやめてください」
「いいんだよ。お前みたいなすり抜け野郎が、一番ムカつくんだ」
目前で怒鳴られても、青年は特に気にしている様子はない。
それよりも、彼は周りを観察することに意識を向けていた。
(戻ってこれたのか。ようやく……)
魔法陣から離れた時、タダオの嬉しそうな叫びが聞こえた。もう一度虹の輝きが現れ、中からいかにも強そうな女が現れたからだ。
「これだ! これこれ! アンタみたいな人を、俺は待ってたんだよー」
浮かれる男の姿を、青年はただ見つめていた。その姿に、先ほど庇ってくれた女は苦笑するばかりである。
「失礼なことばかりで、申し訳ございません。あの、あなたは地球に戻ってこれたんです。分かりますか」
「……はい」
「自己紹介が遅れましたね。私はダンジョン庁保護課の白石ユリカといいます。あなたのように、地球に戻ってこれた人の生活をサポートすることが仕事なのです」
「ダンジョン庁……」
聞いたことのない名前だ、と彼は思う。そんなお役所は、自分が地球にいた頃にはなかった。
「貴方はもしかして、ずっと以前に転移されたのではないですか。まずはお名前を教えていただけますか」
「……ギルス……。向こうでは、そう呼ばれていたのですが。本名は忘れました」
彼の言葉に偽りはない。
余りに長い時を経て、その青年は多くの記憶を失ってしまった。本来の名前でさえも。
だが、時期に思い出すはずだ。そう彼は思う。
彼の名はギルス。
ある世界で頂点を極め、魔王と呼ばれた男である。




