第8話 バスタブの中にいる彼女
ルカは機敏に立ち上がると、クローゼットの側により、衣類を手に取った。何しているのと言わんばかりに、私を真っ直ぐに見つめる。
拒否することができなかった。
ルカを怒らせたという自負があるからこそ、拒むことができない。
現に彼女の言うことも一理あった。二人でさっさとお風呂に入ってしまった方が、怖くなくて、安全性が高いような気がした。
「——わかった」
私は覚悟を決めた。ジャージと下着を手に取ると、ビビってないことを示すように、先にお風呂場に向かった。
脱衣所に入ると、洗面台の前には、白いコップに水色の歯ブラシが刺さっているのが目に入った。先ほどは気付かなかったけど、きっとルカが使ったものだろう。
浴槽には、お湯が張っていなかった。勢いのまま来ちゃったけど、お風呂に入るには、いろいろ準備が必要だった。
ルカが遅れて、脱衣所に入ってくる。
「何、ぼーっとしているの?」
微動だにしない私を肘で押してくる。陣地を確保したルカは、躊躇うことなくTシャツと下着を脱ぎ捨てた。
「わっ」
思わず目を逸らしてしまう。彼女には恥じらいというものがないのだろうか。
女同士と言えども、何も考えずに裸になるのは抵抗がある。
ルカは身につけているものをすべて取っ払うと、長い髪をゴムでひとつ結びにしてまとめた。棚からタオルを取った後、浴室に足を踏み入れた。
彼女の肌は透き通るように白くて、蛍光灯の光を優しく受け止めている。
ばたりとドアを閉めると、ジョボジョボジョボと豪快な音が聞こえてきた。きっと、お湯を浴槽に溜めてくれているのだろう。
もしかして私、ここで待っていた方が良いんじゃない?
そのままお風呂場に突撃しても狭いだろうし、第一、ルカはシャワーを浴びるはずだ。
「何してるの。早く来なよ」
中から響くような声がする。ルカが私を呼んでいる。
——一体どういうつもりなんだろう。
「わかってるよ!」
脱衣所にそのままいるというのも、何だか負けたような気がする。
ええい。もうどうにでもなれ。
私は勢いで服を脱いだ。下着を取る時、もう戻れない場所にいるのではないかと見えない線を意識した。
棚からタオルを取り、前を隠しながら、浴室に入った。
ルカはバスタブの中にいた。それも体育座りをしながら。すっぽり収まっている。相変わらず規則正しく、お湯は出続けている。足首に浸るくらい溜まったそれは、小さく波打っていた。
ルカは私の心を揺さぶるような、一途な視線を向けてくる。
予想もしていなかった彼女の居所に不意をつかれた。体を隠すタオルが手から離れて、浴室の床の上に落ちた。咄嗟に腕で隠す素振りをするけど、ルカの視線は体には向けられずに、じっと私の瞳を向いていた。
「シャワー浴びないの?」
何故、彼女はバスタブの中で、じっとしているのだろう。お湯に浸ったままでいても、汚れは取れないのに。
それはとても寂しそうに見えた。
「先にいいよ」
ルカは言った。私に譲ってくれているのだ。
「ありがとう」
今の状況からみて、さっさとシャワーを浴びたほうが良さそうだ。わざわざルカをバスタブから引きずり出すのも可哀想に思えた。
私はバスチェアに座り、洗面器にお湯を張った。
……ホテルのお風呂って、どう使えばいいのか少し戸惑う。
現に、直感で押したボタンによって、お湯が出てきたことにホッとした。じゃあ、こっちがシャワーか。
「へぇ」
浴槽内に、ルカの声が響く。心から感心しているような、言葉尻が抜けた言い方だった。
そのままスルーしても良かったけど、変に引っかかった。
もしかして、この子、シャワーの使い方がわからなかったんじゃないの?
だから先にシャワーを譲った。そういうことじゃないか。
確かめようとしたけど、やめた。余計なことは言わない方が良い。受け流す力こそ、穏やかな人間関係を育むためには欠かせない。
バシャバシャと顔を洗った後、次は頭へ取り掛かる。中々、泡立たないシャンプーと格闘する。香りはローズだそう。
水音がするのは、ルカが浴槽で体を動かしているからだった。お腹あたりまでお湯が溜まってきている。
……。
人とお風呂に入って気づいたことがある。
人目を意識して、好き勝手、手を動かせない! もどかしい!
私はルカの視線を全身で感じていた。
「♪〜」
彼女は鼻歌をうたう。何の歌だろう。抑揚があって、心地よく耳に入ってくる。
シャワーの音を響かせるのがもったいなくて、いつも以上に時間をかけて頭、そして体を洗った。
「……次いいよ」
「うん」
ルカが蛇口をしめる。バスタブから立ち上がると、否応なく彼女の体が目に入った。
見ているだけで妙な気持ちにはならないけど、気まずさがある。小ぶりな胸と引き締まったウエストが印象的で、きれいだと思った。
「お湯、汚いかも」
私がシャワーを浴びる間、ルカはずっと浴槽に浸かっていた。体を洗わず、そのまま入っていたから、気にしているのだろう。
「まぁ。いいよ」
私はルカと入れ替わるようにして、バスタブの中に入った。気にならないと言えば嘘になる。だけど、そこまで潔癖症じゃない。それと、美少女が入った後だからこそ、気にならなかったのかもしれない。本人には絶対、言わないけど。
お湯加減はちょうど良かった。全身をほぐしてくれるような万能感で、嫌なことはすぐ何も考えられなくなる。
ルカが体を洗う間、私はぼーっとしていた。次第に、何でここにいるんだろうと根本的な考えが頭に浮かんだ。
お母さん、お父さん、雫、ゴロロ、心配しているかな。スマホがあれば連絡できたのに。
そもそも私って、何で連れ去られたりしたのだろう。何か悪いことしたかな。
北村さん? 五十嵐さん? いやいや。私に足が追いついていなかった。
まさか他の人……大地?
……もしかして、殺されたりしないよね。
身の危険を意識して、ゾッとした。鳥肌が立った場所に、ぷつぷつと泡が付着する。




