第49話 自分の足で立ち上がる
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人気女優の羽本ルカと接触を取るのは苦難の技だ。まず彼女のスケジュールを一般人の私が知るわけがない。
そして、ルカは今の時代にしては珍しく、SNSをやらない芸能人だった。おかげで、彼女が何を好きで何が嫌いなのかもわからない。
頭を抱えそうになる。思考をぐるぐるとひたすら巡らせていく。
——そういえば昔、同じクラスだった五十嵐さんが、アイドルのMIYAにファンレターを送ったら返ってきたと言っていた。あの時の彼女はとても嬉しそうだった。
ふと、私もルカに手紙を送ってみようと思うことができた。彼女は売れっ子だから、もしかしたら目を通す暇もないかもしれない。だけど、それでも良かった。
雑貨屋でシンプルな便箋を買って、机に向かって筆を走らせた。最初はぎこちなかったけど、後半はスラスラと思いの丈を綴ることができた。
文章にすると、気持ちの整理ができる。自分でも気づかなかったルカに対する想いを知ることができた。
切手を貼ってポストに投函してから一ヶ月。——ルカからの返事が届くことになる。
◇
大学からアパートに帰ってきて、ポストを覗いた時に息を呑んだ。
無機質な白い封筒の差出人には『羽本 ルカ』という名前が書かれていたからだ。
蛍光灯に透かしてみたけど、中身は見えない。覚悟を決めてから封を切った。
何が書かれているんだろうと、胸の鼓動が速くなる。
——それは、私が送ったファンレターに対する返信だった。最初から最後まで、形式的な文章が続いた。『応援してくれてありがとうございます。これからも精一杯頑張ります。』という文言で締めくくられていた。
拍子抜けをしてしまった。
もしかしたら、どこかで私を見つけてくれるだろうと期待していたことに気付く。恥ずかしい。情けない。
羽本ルカは、私のことが好きで、住所を書いた手紙を送ったら、居ても立っても居られず、すぐに会いに来るだろうと。
そうじゃなくても、手紙の返信は長文で、あの時を懐かしむようなことを書くと思っていた。
彼女の手紙には、前を向いている人そのものの力強い印象があった。
悔しい。どうしよう。悲しい。私は今頃、羽本ルカのことが本当に好きだったのだと気付いた。
フローリングに涙が溢れる。ティッシュで拭うこともせず、そのままでいた。
ふと思い立って、スマホに手を伸ばす。何も考えずに『羽本ルカ』と検索していた。彼女のかわいらしい画像がいくつも表示されていた。
検索結果の候補の中に、『羽本ルカ 許嫁』というサジェストがあった。そのままタップすると、『羽本ルカには許嫁がいる?相手の名前はカイエンって本当?』というタイトルが目を引く、個人ブログがヒットした。
カイエン……。
抗えずに、指がタップしていた。記事がすぐに表示される。
内容については、ルカがあの時ホテルで話していたことが書いてあった。財閥御曹司でルカとは2歳差。イケメンで女遊びが酷いとか。
かと言えば、まるっきり見当違いな内容も書いてあった。ルカが女優になったのも、彼が推薦したから——とか。ルカはそもそも芸能の道に進むつもりは一切なかった——とか。当てにならない。
結局、記事自体も、カイエンがルカの許嫁であるかは断定せずに、濁す形で締めくくられていた。アホらしい。
私は床に寝転がった。なんだか疲れてしまった。
目を閉じると、あのホテルで過ごした日々が浮かんでくる。ふと鬼ちゃんの顔が頭をよぎった。
——元気かな。しっかりご飯食べているかな。
鬼ちゃんが熱を上げていた大地は今も刑務所にいるはずだ。彼は監禁罪に加え、監禁による死亡事件も絡んだため、裁判の結果、無期懲役の判決が下されていた。これまでお金で事件を隠してきた味方の父親でさえ、どうやら大地に見切りをつけたようだ。
大地と鬼ちゃんは、監禁事件の犯人と被害者の関係になるので、面会はもちろん、一生会うことすら叶わない。私は正しいことをしたと思うけど、たまに夜一人で起きていると、これで良かったのかなとふと後悔の念にかられることがある。
もしも今、鬼ちゃんの隣にアイリスがいれば、私は心から安心することができる。そうなっていて欲しいな。
あの事件があってから、ホテルは解体された。だから鬼ちゃんも自由に羽ばたける。テレビという娯楽だけに囚われていることはないだろう。
そういえば、刑務所ってテレビを見ることができると聞いたことがある。大地はルカが出演するドラマを見ただろうか。立場が逆転した、囚われの身となった彼は何を思うのだろうか。
「あはは……」
みんなのことを考えている間は、自分と向き合うのを避けられる。
ルカは手紙を通して、私とのちょうどいい距離感を示してくれているのかもしれない。
——だけど、会いたい。
毎日メディアで彼女の姿を見るたび、切ない気持ちに締め付けられる。
二人森で別れた後、日常に戻っても、何事もなかったかのように過ごせていたのに。
ルカが私の心の扉を叩いたんだ。もう二度と鍵をかけることはできない。
「ルカ……」
「にゃあ」
「えっ!?」
その時、猫の鳴き声がした。
思わず飛び起きると、目の前にゴロロがいた。
「なんで!?」
「にゃあ」
部屋の中を見回ると、どうやらベランダから入ってきたようだった。窓と網戸が開いていた。ヤバい。鍵をかけるのを忘れていた。完全に不用心だった。
ゴロロは今も家族のもとで暮らしている。こんなに遠くはるばる、私のアパートまで会いにきてくれたということだろうか。
「にゃあ」
「ありがとうね」
ゴロロは行動力がある。そういえば、ホテルで閉じ込められている時も探しにきてくれたっけ。勇敢だった。
「——私も見習わないとね」
「にゃあ」
ゴロロの頭を優しく撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
「でも駄目だよ。内緒でここに来ちゃ! みんな心配しているよ」
お母さん、お父さん、雫の顔を順番に思い浮かべた。みんな元気だろうか。たまには連絡しよう。
その時、ゴロロがすくっと立ち上がった。とことこと、ベランダの方に向かって歩いて行く。まさか——。
「もう、帰っちゃうの?」
「にゃあ」
「もしかして、私が"ここに来ちゃ駄目"って言ったから?」
「にゃあ!」
ゴロロはまるで肯定と捉えられるような声で高らかに鳴いた。
そういうつもりで言ったわけじゃないのに!
——そっか。
ルカに会いに行って、万が一拒まれたら、その時は私も素直に帰ればいいんだ。
何も行動に移す前からウジウジ悩まなくても良いだろう。
現に、私はゴロロに本当に帰って欲しいとは思っていなかった。言葉のあやで言っただけだった。
——私はルカの本音を聞いていない。
彼女が嘘をついた理由すらまったく知らないのだ。
そうだ。私たちは一度素直に向き合って話さなければならないんだ。
「ごめん。帰らないで。もっと一緒にいようよ!」
ゴロロにならありのままの自分でいられるのにね。
「にゃあ」
仕方ないなぁというような顔をして私に近寄る。気ままでかわいい猫なのだ。
私は、鬼ちゃんとの約束も忘れてはいなかった。
『"四角い箱"の中にさ、ナギちゃんとルカちゃんが出てたら、すっっっごく面白いと思うなぁ。だから、それがウチの夢かなっ』
あの時、勇気をくれてありがとう。鬼ちゃんの言葉が希望になったよ。
——ねぇ。見ててよね。
「やってやる……!」
「にゃあ」
ありがとうゴロロ。今度こそ、私は自分の足で立ち上がることができそうだよ。




