第48話 接触は慎重に
◇
「生ビール2つと枝豆、お待たせしました!」
「「ありがとうございまーすっ!!」」
私はスーツ姿の女性二人のテーブルへ、注文の品を運んでいった。お姉さんたちは、既に頬を赤らめ、二軒目のような陽気さだった。
お疲れかなと思いつつ、おぼんを脇に寄せて、背を向けた。今日はいつもに増して大盛況。忙しい時こそ、何も考えずに済むから楽だ。芹沢さんもだる絡みしてこないし——私は完全に油断していた。
「ねー。羽本ルカちゃんって、今ノリに乗ってるよねー」
「あーね。かわいいよねー!」
どきりとする会話が耳に入ってくる。思わず振り返ると、お姉さんたちは頬杖をつきながら和気藹々と話に夢中になっていた。私のことなんてもう誰も見ていなかった。
次の注文も入っていたので、急いでドリンクカウンターへと戻った。
——羽本ルカ。
あけぼのの恋のリメイク版に出演した女優の名前だ。壱子の友達の友達役として出演したところ、かわいさと演技力の高さから、主演女優よりも注目が集められていた。名前もつかない配役だったのにも関わらずだ。
そう。"羽本ルカ"とは、私があの時ホテルで一緒に過ごした女の子だった。今はメディアに引っ張りだこの新人女優という立ち位置になっている。
羽本ルカという名前は、きっと芸名だ。
私は、あなたが本名を使っていないことは、既にわかっている。
——何故、彼女は数ある名前の中で、羽本ルカという芸名を付けたのだろうか。
「織川さーん!!」
芹沢さんが来い来いポーズをする。いつもと呼び方が変わっていた。
「何ですか?」
「ただ呼んでみただけ!」
「……」
芹沢さんは軽くて、そして掴めない人だった。私はこの人のことが苦手だけど、他のバイトの子からは結構好かれているみたいだった。理解ができない。
「そんな睨まないでよ〜。ってか、その顔、少し羽本ルカに似てるね」
「えっ」
思わず固まってしまう。
「普通にしていたら、ぶっちゃけ似てないけど。節目がちなところは似てるかなぁ」
「……」
——こんなに、嬉しいとは思わなかった。
私はルカと過ごした日々を思い返していた。彼女が怒って、お風呂場で噛み付くようなキスをしたことも鮮明に思い出された。
「——芹沢さんは、羽本ルカのこと好きですか?」
「うん好きだよー。俺、結構、面食いだしね」
「そうなんですか」
「何々? ナギっぺ。今日コミュニケーションめっちゃ取ってくれるじゃん」
「……」
「まー。羽本ルカは、手に届かない存在だけどね。あー。彼氏とかいるんだろうなー」
「……そういうのって気になりますか?」
つい芹沢さんに聞いてしまっていた。
「えー? 俺はナギっ……織川ちゃんの方が彼氏いるか、気になるけどなー」
彼はキリッとした表情を向けてくる。
「……真面目に答えてください」
「しっかり答えたつもりだけどなー」
芹沢さんは苦笑する。
「……」
「えっと。なんだっけ。羽本ルカの恋愛事情だっけ? まぁ。あんだけかわいかったら彼氏の一人や二人絶対にいるでしょ! あー。学生の時に付き合えた人とか羨ましいわ」
芹沢さんがお客さんの出入りを細かく確認しながら、話を続けてくれた。
「——それって、羽本ルカとセックスした人が羨ましいってことですよね?」
「……ナギっぺ、そういうこと言うんだね」
時が止まったような気がした。
「……」
なんてことを言ってしまったんだろう。羞恥に悶えながら、一人反省して俯いた。
「——まぁ。うん。いやー。そういうことになるかな。……ナギっぺには隠しても見破られそうだから正直に言うわ。羨ましい、です」
芹沢さんが気まずそうにしている。だけど、変な空気にならないように、さり気なくフォローしてくれているから、やっぱり悪い人ではないとわかる。
芹沢さんは、羽本ルカとセックスした人が羨ましいと言った。
ふはっ。
私はお腹を抱えて笑ってしまった。
「あっ。え? な、なに?」
芹沢さんが呆気に取られる。
「はははっ。あはっ。ごめんなさい」
目の端に涙が浮かんだ。
痛快な気持ちだ。羽本ルカの初めての相手は私だ。
テレビ越しに見る彼女は、綺麗な衣装を着て、周囲へ笑顔を絶やさずにいた。
芹沢さんの言う通り、手に届かない存在と言っても過言ではない。
羽本ルカと関係を持ったという事実はきっと私しか知らない。
目の前にいる芹沢さんも、まさか夢にも思っていないことだろう。
「織川さーーーん! 4卓にカシスオレンジとマルゲリータ運んでーーー!」
店長が私を呼ぶ。少し話し過ぎたみたいだ。
「はい! すいませーん!」
私は元気よく返事をする。芹沢さんがまだ呆然としているのが視界の端に映っていた。
私とルカには秘密がある。もしかしたら、彼女はあの衝動的な行為を後悔しているかもしれない。だけど、私にとっては何よりも特別なものに感じていた。
ルカに会いにいくことができないのは、彼女のせいではない。私に自信がないからだった。とっくに気づいていた。
ルカと出会った瞬間から、私とは違う世界の人だと感じていた。演技が上手いお金持ちのお嬢様。かたや何の取り柄もない女子高生。きっと、普通に暮らしていたら、一生関わることがなかったはずだ。あの運命のいたずらが、私の人生を根こそぎ変えてしまった。
でも、ルカが有名になった今、のこのこ会いにいくのも違う気がした。何よりも、私のちっぽけなプライドが許さなかった。
彼女の隣に並びたければ、それなりの覚悟がいる。人よりも何倍も努力を重ねなければならない。
私にできるだろうか。——いや、やるしかないんだ。
決意を固めようとした途端、ふとある予感が胸をよぎった。
そもそもルカは私のことを覚えているのだろうか。忘れていなくても、他人のふりをしたいものなのではないか。
体に冷たいものが走る。
あのホテルでの出来事は、彼女にとっては致命的なスキャンダルになるだろう。男性に監禁されていたという事実だけで、人々の興味本位な視線を集めるには十分だった。
私たちはむやみやたらに会わない方が良いのかもしれない。
——ルカとの接触は慎重に進めよう。
そう気づくことができた夜だった。




