第45話 演じる
◇
目を開けると、知らない天井だった。薬品の清潔な匂いがする。掛け布団が全身を包んでくれていて、あたたかい。
「——目が覚めたのか!」
お父さんが驚いた声を上げた。近寄ってきて、私の手を取ってくれる。目の下にはクマがあって、幾分歳を取ったように感じた。
「凪沙っ!!」
お母さんもベッドのふちに寄って、私の頬を触ってくれた。
「お姉ちゃん〜〜〜」
雫が掛け布団を掴んで顔をうずめた。目には涙を浮かべていた。
あれ。私って——。
起きあがろうとしたら、お父さんに止められた。
「まだ、安静にしておいた方が良い」
「私、先生を呼んでくるわ!」
「お姉ちゃん〜〜〜」
家族には、ホッとしたような笑みが浮かんでいた。
——良かった。
森の中を歩いていた、"私たち"は、無事に保護されたのだ。体の力が抜けた。
「ルカはどこ?」
「……ルカ?」
妹が素っ頓狂な声を上げた。
「誰それ?」
「えっ。私の他に……誰かいなかった?」
「お姉ちゃんとゴロロだけだったよ」
雫が眉をひそめて、首を傾げた。嘘をついているようには見えなかった。
そんな……。
「あっ。ゴロロはね、おばあちゃんが見ていてくれてるからね!」
彼女の明るい声が、遠くなった気がした。
「凪沙、本当に良かった……」
喜ぶ家族をよそに、私は一人取り残された気持ちになっていた。
◇
大人の話を聞くと、私はS市にある森の中に倒れていたようだ。登山を楽しむ同好会の人に発見されて、近くの病院に運ばれたというわけだ。
——私、織川凪沙は行方不明になっていた。期間は、およそ4ヶ月ほど。学校のみんなも心配していると言っていた。
犯人の身元もすぐに特定された。竜宮大地。32歳。無職。
私が行方不明になってから、すぐに見つからなかったのは、廃業したホテルが隠れ場所として使われていたからだった。いまだに暗くて長い廊下のことを思い出してしまう時がある。
——羽本ルカという子はどこにいますかという質問には、苦い顔をされるだけだった。「鬼原真里の間違いではないか?」と言われたことがあった。あのホテルを捜索したところ、鬼ちゃんも無事に保護されたということだった。
——ルカの嘘は、名前だった。
彼女は羽本ルカではない。別の誰かだ。
葵台高校に通っていると言っていたが、調べたら、それも真っ赤な嘘だった。
今思えば、知らないところに連れてこられた時に、目が覚めて見知らぬ子が隣で寝ていたら、警戒するのが普通だろうとわかる。身元を明かすのは、リスキーなことでしかない。
だから"ルカ"は、慎重な行動を取ったのだろう。ある意味、正しい選択をしたとも言える。
私は本音でルカとぶつかったのに——。
むしろ学校にいる時よりも、伸び伸びと過ごすことができたと言えるほどだ。
あけぼのの恋が好きと言ったことも嘘だったのかな。
あのドラマは、壱子と東雲丸の心中エンドで幕を閉じたということだ。雫が一生懸命に解説してくれた。そんな馬鹿な。ハッピーエンドじゃないなんて……そんなことある?
羽本ルカとは、キスもした。——それ以上のこともした。
私にとっては初めての相手だった。
それも、嘘だったということだろうか。だけど、シーツの赤いシミが真実であることを主張していた。
女優になりたいと夢を語った、ルカの気持ちは本当だと思いたかった。
あの時の彼女の瞳は、希望に満ちていて、天使のように眩しかった。
演技がすこぶる上手いルカのことだ。私との対峙も、難なく切り抜けてしまえただろうに。
そこまで考えると、私はいつも頭を抱えてしまう——。
何が本当で何が嘘なのか、今でもよくわからない。
だけど、目を閉じるとはにかむルカが、いつもそこにはいた。
「——お姉ちゃん泣いてるの?」
いつもの日常に戻った後、部屋で俯いていると、雫がやってきた。
前よりよく親しく声をかけてくるようになった。
雫の言う通り、私は泣きたい気持ちだった。だけど、涙は出てこない。
「……」
「お姉ちゃん?」
雫が不安そうに、顔を寄せた。私は身内に相当気を遣わせてしまっている。
「——あれ? 今何時?」
「えっ?」
雫が呆気に取られて、目を丸くしている。
「ふわぁ〜。なんか、眠っちゃってた〜。っていうか、雫、どうしたの? 何か用? 勉強、わからないところあるの?」
背伸びをして、あくびを噛み締めるようにして、口元に手を当てた。
「——ううん。なんでもない。お母さんが、ご飯だってさ」
「そっかぁ。今行く」
雫はホッとしたような顔をして、ひと足先に部屋を出ていった。
良かった。何もおかしいとは思っていないみたい。
——私は演技をした。
あのルカができていたんだから、一緒に日夜を過ごして、稽古の相手までした、私にもきっとできるはずだ。そう思ったからだ。
罪悪感はあったけど、違う自分になれたようで楽しかった。
——私は今、ルカの気持ちに心から共感できた気がする。
「演じる……か」
悪くないと思った。
ありのままの自分でいるのが難しい時がある。心が剥き出しのまま人と関わると、傷つくことがある。
人を見て細やかに対応を変えるということは、嘘ではなく、むしろ正しいことのような気さえした。
ルカは私に嘘をついた。——でも、すべてが嘘だったとは思えない。
彼女と過ごした時間の中で感じたことを、今後の人生に活かしていきたい。私は、心からそう思った。




