第4話 羽本ルカ
息を呑んだ。右側を見ると、目をぱちくり開けている女の子と視線が交差した。起こしてしまっただろうか。
「……わたしに何かした?」
「へっ?」
「その、隣で寝てたから!」
女の子は、むくりと起き上がり、体の前でバッテンを作るように自分の体を守った。思わず私も起き上がる。掛け布団が豪快に捲れ上がる。
「してないよ! するわけないじゃん!」
全力で否定した。
「えー。逆にあやしいかも……」
ジトっとした目つきで、私を上から下まで見た。
なんなのこの子!?
一瞬でも、かわいいなと思った自分がアホらしかった。
「まぁ。お互い服を着ているから、そういう間違いが起こったとかはなさそう!」
「……」
女の子は上はTシャツに、下はジャージ姿だった。肌が白く、二の腕がむき出しになっている。なんとなく目を逸らした。
私はというと、上はブラウスに下はスカートの制服姿。
そういえば、カバンってどこにあるんだろう。あれには、スマホが入っている。きっと、お母さんやお父さん、それに妹の雫が心配して、連絡をくれているはずだろう。
部屋の中をキョロキョロ見渡しても、カバンは見当たらなかった。
私たちがいる部屋は広い。ダブルベットも、ビジネスホテルにあるような無機質なものではなく、お姫様が眠るようなアンティーク調のデザインだった。近くには、白い丸い形をしたテーブルと、ガーリーな水色のソファーもある。
私はベッドから出て、入り口の前に立った。ドアノブをひねると、鍵がかかっていた。ガチャガチャと焦らすような音が耳に届く。次に、窓際に立ち、半分ほど開けられている白いカーテンに手をかけた。見渡す限りの木。ここは森の中だろうか。見下ろすと、3〜4階の高さがある。
鍵を外して、窓を開ける。しかし、一定のところから動かなかった。換気目的の窓であり、人が誤って落ちないための作りになっているのだろうか。
「寒い」
女の子が、冷たくそう言い放った。思わず振り返る。
「ドアと窓、開かないでしょ? 何回も試したけどダメ。わたし、昨日から、ここにいたからわかるの。あっ。やっぱり換気のために、そのまま窓は開けておいてよ」
ぶっきらぼうに言ったあと、ふぁぁと、あくびをする。
何気ないしぐさであるのに、彼女がしたら絵になった。
「——昨日からってどういうこと? あなたは誰?」
「そっちから自己紹介してくださいよ! わたしが先にこの部屋にいたので、聞く権利あると思いますけど!」
癪に障る言い方をする子だなぁ。
カチンときたけど、別に心を閉ざす理由にはならない。
私は水色のソファーに座った後、しぶしぶ口を開く。
「織川凪沙。えっと16歳。西野原高校に通っている高2。部活は、バドミントン部。好きなものは、動物になっちゃうけど……猫かな。……目が覚めたら見知らぬ部屋のベッドの上にいて、正直混乱してる」
「なぎさ? どう漢字で書くの?」
彼女が妙なところに食いついてきた。
「……凪いだ海の"凪"に、砂浜の"沙"。さんずいに少ないって字。それで、なぎさ」
「ふーん。きれい」
「えっ。そう?」
意外にも、素直に褒めてくれるものだから、動揺した。らしくない。気を取り直して、背筋を伸ばす。
「ありがと。そっちも自己紹介してよ」
「言われなくても今からするけど! わたしはね——羽本ルカ。羽に本で、はねもと。ルカはカタカナで書くの。16歳の高1。葵台高校に通っていて帰宅部。好きなものは別にないわ」
年下だったんだ。というか、好きなものがないって何!?
もしかして、私には言いたくないのかなぁ。
"ルカ"は続ける。
「……わたしも昨日、目が覚めたら、この部屋にいたの。ここは何もなくて退屈ね。あっ。喉乾いてない? そこに冷蔵庫あるから、ミネラルウォーターでも飲んだら?」
彼女の視線の先へと移動すると、ホテルで見かけるような、小さな冷蔵庫があった。中を開けると、ルカの言う通り、ミネラルウォーターのペットボトルが数本入っていた。
未開封のものを手に取り、キャップを開ける。そのまま口をつけたら、美味しくて、思わず一気飲みしてしまった。
「そっちのドアは開かないけどさ、こっちのドアは開くよ。トイレとお風呂場があるの」
さらにルカは、私に部屋の構造まで紹介してくれた。まるで、昨日からいたようには見えない落ち着きを払っていた。
彼女に言われるまま、奥にあるドアを開けると、短い廊下があった。手前はトイレ。
足元にはピンクのフリルスリッパが、きちんと揃えられて置いてあった。ラベンダーのような、ほのかな良い匂いもする。
左側は、お風呂場だ。脱衣所を超えると、白い猫足のバスタブがまず目に入った。オシャレでかわいい。丸い鏡の下には、シャンプーやトリートメントなどが置かれてあった。
なんとなく浴槽の蛇口を捻ってみた。規則正しく、水が出て、情けない音が周囲に響く。
良かった。なんでかわからないけど、水は出ないものと思っていた。
もしも、冷蔵庫にあるミネラルウォーターがなくなった時には、最悪この水を飲めば良い。
ふと手を見ると、汚れているのが、はっきりとわかった。
窓からは陽が差しており、ありのままの私を照らしていた。
「洗わなきゃ」
洗面台の水で洗い流す。隣にはハンドソープもあった。これまた、お姫様が使うような、かわいらしい西洋風の容器に入っていた。
目の前の鏡を見ると、私の顔があった。何度も見ているはずなのに、違う人みたい。まるで夢の中にいるような浮遊感があった。
ここどこ?
帰りたい。
不安の声が次々と頭をよぎるけど、どこかで冷静な自分がそれを見下ろしていた。
——もしも、この部屋にいる時間が長くなるほど、学校に行かなくても済む。北村さんと五十嵐さん、それに唯ちゃんと顔を合わせなくて済む。現に、授業が始まっている時間だろう。
会いたくないわけではない。でも、今は誰の顔も見たくなかった。
いやいや! こんなよくわからない場所、一刻も早く出ないといけない!
それにルカって子も謎だし。あの子、信じていいのかなぁ。




