第39話 ウチの夢
◇
「ナギちゃん、見てみて。ウチ、20kgのダンベルを持ち上げられるようになったの!」
「本当だ。すごいね」
トレーニングルームに入ると、鬼ちゃんが意気揚々とダンベルを両手持ちしていた。
額には汗をかいており、無邪気に笑うと、口元で八重歯がきらりと光った。
ルカはというと、床に寝っ転がって腹筋をしている。服からちらりと見えるお腹が、当初よりもたくましく筋肉が付いているのがわかった。
「凪沙、おかえり」
「んっ。ただいま」
なんとなく、ルカの顔が見れなかった。彼女は動きを止めて、タオルで汗を拭う。
「ねぇ。何かあった?」
「えっ?」
ルカが鋭く指摘をする。私をまっすぐに見て離さない。相変わらず、きれいな瞳だと思った。
「……な、何もないよ」
「そう? ならいいけど」
彼女は近くにあったミネラルウォーターを手に取り、一口飲むと、再び腹筋をし始めた。
「——ちょっと、いい?」
私は声を抑えて、鬼ちゃんに声をかけた。
彼女は、どすんとダンベルを床に落とした後、くるりとこちらを振り向いた。
「んー。何?」
「話があるの」
アイリスが部屋の外をそっと指差した。
「秘密の話ー!?」
鬼ちゃんは、るんるんとスキップしながら、私たちについてきた。
実はトレーニングルームに来る前、アイリスに了承を取っていた。
"最後になるかもしれない"からと、鬼ちゃんともゆっくり話をしておきたかったのだ。
ルカはロミオが見ていてくれるということだった。
「わたしは聞いちゃ駄目なの?」
案の定、ルカが食いついてきた。
「ルカには後で言うから。今は待っていてほしいな」
「……わかった」
彼女は物分かりが良かった。少し考え込んだ後、すくっと立ち上がり、ルームランナーに向かう。
背筋が伸びた後ろ姿が、いつもに増して美しいと思った。
「早く行こー♪」
鬼ちゃんの言葉を合図に、私たちはアイリスが用意してくれた個室へと足を運んだ。
◇
最初に思ったのは、私とルカが生活している部屋にそっくりだということだった。ダブルベッドと水色のソファーが目に入る。
同じホテルの中だから、きっとそういう似た作りになっているのだろう。偶然ではない。
早速、テーブルを挟んで鬼ちゃんと向かい合った。アイリスも横にいてくれた。
「何ー?」
鬼ちゃんの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるように見えた。不思議そうな顔をしている。
私は口を開こうとしたけど、喉がカラカラで、何も言葉が出てこなかった。
私は何を鬼ちゃんに言うつもりだったんだろう。
——今日の夜、大地に抱かれる。
そういうことを報告したかったのだろうか。
「ナギちゃん? どうしたのー。怖い顔してぇー」
鬼ちゃんは呑気に言った。人差し指でほっぺたを触って「えがおー。えがおー」と言う。
「——ねぇ、アイリス。悪いけどお茶でも淹れてくれる?」
「かしこまりましタ」
まずは喉を潤したかった。アイリスは部屋の奥に引っ込んで、電気ケトルを手にする。
鬼ちゃんは鼻歌をうたい、膝でリズムを取っていた。——本当に自由人だ。
「鬼ちゃんはさ、ここでの暮らしは楽しい?」
「うん!!」
間髪入れない返事だった。到底、嘘をついているようには思えない。
バックに花が咲いているように見える。
「そっか……」
「ナギちゃん、何か悩み事? お姉さんが聞いてあげるのだー」
彼女は両手をめいいっぱい広げてくれる。とってもいい子でもあるのだ。
「ありがとう。でも大丈夫だよ。——鬼ちゃんはさ、何か夢とかはある?」
ルカのことが頭に浮かび、聞いたことだった。
女優という夢のように、鬼ちゃんにもなりたいものがあれば、ここを出て行きたいと感じるきっかけになると思ったからだ。
「えっと……大くんのお嫁さんかなっ。恥ずかしい!」
予想外だった。頭を銃で撃たれたような衝撃。
じわりとした罪悪感を抱く。
「このホテルで二人で暮らして、幸せな未来を掴むのっ。あっ。もちろんアイリスもねっ! ずっと一緒にいてよねっ」
鬼ちゃんはソファーから身を乗り出す。ティーカップを持ったアイリスは、パチクリと一度だけまばたきをした。
「あ、ありがとうございまス」
明らかに照れているのがわかった。
——良かったね。アイリス。
「——ナギちゃんとルカちゃんは、いつか、ここを出ていっちゃうんでしょ?」
鬼ちゃんがなんでもなく言うから、危うく聞き逃してしまうところだった。私は彼女に向き直る。
「なんでそう思うの?」
「うーん。理由はわからないけど……そんな気がしたの! だって、二人は別に大くんを好きなわけじゃないじゃん? えへへっ」
目を細めて鬼ちゃんが語る。
「……」
ルカとここを二人で抜け出せたら、どんなにいいだろうか。
「……あっ。ウチの夢。もう一つあったかも!」
「何? 聞かせて」
「ナギちゃんとルカちゃんが有名になること!」
鬼ちゃんはとんでもないことを言う。
何それ? 有名?
「ここにいる暮らしは楽しいけどさー! たまーに、退屈に感じる時があるんだよねん。最近はテレビばかり見てるからいいけどさー。知らない人ばかりだと眠くなるんだよねー。そんな"四角い箱"の中にさ、ナギちゃんとルカちゃんが出てたら、すっっっごく面白いと思うなぁ。だから、それがウチの夢かなっ」
それは鬼ちゃんにとっての夢とは言わないだろう。——なんて野暮なことは口にはしなかった。
彼女は、むふふと楽しそうに話した。
それは私が明るい希望を持つような言葉だった。




