第37話 私、ルカが好き
「もしかして、る、ルカのこと?」
声が震える。大地は今、殺すと言った。
「ん? あぁ」
ワンテンポ遅れて大地が返事をした。
「……ルカを殺す時、"凪沙が逃げたから"だと、きちんと理由を告げる。あの子は、ひどく絶望しながら死ぬことになるだろう」
「……やめて!」
「じゃあ、大人しく部屋に戻るのか?」
「はい……」
大地に敵うはずがなかった。
私は、元来た廊下を引き返そうとした。
——もしかしたら、私たちはここから、一生出ることができない運命なのかもしれない。
「——おい、待てよ」
「なんですか?」
私は立ち止まって、振り返る。
「勝手に部屋を抜け出したんだから罰が必要だな」
大地が凄むような声を出して、そんなことを言った。
私は昨日、懺悔部屋に入った時のことを思い出した。
暗くて、狭くて、ずっと起きていたら、気がおかしくなりそうだった。
——だけど、殺されるよりはマシだと思った。
「懺悔部屋に入れば良いんですよね?」
「いや、違う」
大地は顎に手を当て、私を上から下まで見た。
「今から俺の部屋に来い」
「えっ?」
「早く」
大地から再び腕を掴まれる。力強い。ビクともしない。
やめて。離して。そう叫ぶけど、誰にも私の声は届かなかった。
長い廊下の突き当たりの部屋に押し込まれた。すぐさま鍵がかけられる。
生活感がまるでないような部屋だった。例えるなら、ビジネスホテルのような風貌。
部屋の中央には大きなベッドがあった。枕元には水色のティッシュ箱がある。
大地は私から手を離すと、着ているものを脱ごうとしていた。ちょっと待って。
「な、何しようとしているの?」
「見て、わからない?」
おおよそは察知していた。
大地は今から私を抱こうとしているのだ。
嫌な汗が背中をつたう。震えが止まらない。
上半身をむき出しにした大地が、私に一歩近づく。唇を寄せて、キスをしようとしていた。
反射的に、手を出して彼の体を押していた。
「やめてください」
「凪沙が悪いんだから。これは罰。仕方ないことなんだから」
「他のことなら何でもしますから」
「……はぁ」
「第一、鬼ちゃんのことはどう思っているんですか?」
苦し紛れに出た言葉だった。
力で敵わない分、まだ話せばわかってもらえるかもしれないと信じた。
「鬼原真里のこと?」
「そうです」
「どうも思ってないけど。あっちは、俺のこと好いてくれているみたいだけど」
大地がせせら笑う。すぐに私の肩に手を伸ばそうとする。
駄目だ。冷静に話を聞いてくれそうにない。
ならばと、私は覚悟を決めた。
「——龍宮さんは嫌がっている女に、無理やり迫るのが好きなんですね」
大地の動きがぴたりと止まる。
「だけど、相手から、好意を向けられるのは怖い。気持ち悪い。どう対応していいかわからない。そう思っているんでしょ?」
彼が舌打ちをした。
「——このまま無理やり私を襲ったら、行為中、ずっと考えるんじゃないですか? "この女の言う通り、無理やり迫るのが俺は好きなんだ"って。鬼ちゃんと関係を持たないのは、相手から性的な気持ちを向けられるのが苦手だからなんじゃないですか。前に、最もな思想を私たちに伝えてくれましたけど、所詮、龍宮さんもセックスがしたいだけなんですね」
「あーあ、もう萎えた」
大地は、近くにあった椅子にどかっと座った。
私は浅い呼吸を繰り返しながら、右手で左腕をそっと押さえた。
自分でも何が言いたいのかわからなかった。でも、窮地を逃れたいあまり、口が次々に言葉を発していた。きっと本音も混じっている。
大地の気持ちを一つでも言い当てることができたら、恥ずかしさから勢いを失ってくれるという勝算があった。
案の定、私に襲いかかるのをやめてしまった。
——ルカ。
私は、彼女の演技の上手さを思い出していた。
いつか見せてくれた、あけぼのの恋の壱子の演技。一ミリも隙を見せずに、完璧に演じ切っていた。
私はルカのように大胆に演じることはできない。
だけど、大地に啖呵を切る時、彼女が乗り移ったように流暢に話せたのも事実だ。
私、ルカが好き。
強気で堂々として、夢を追いかけているところも好き。
——だけど、ずっとここにいたら、女優になる夢は絶対に叶わない。
ルカは、トレーニングルームにこもって基礎体力を高めたり、演技の練習は毎日して腕を磨いていることも、私はすべて知っていた。誰よりも一番近くで見ていたから——。何よりの努力家なのだ。
「——ねぇ。龍宮さん。明日だったらさ、シてもいいよ」
私はつい、そんなことを口走っていた。
「はっ?」
「今はさすがに嫌かな。心の準備ができていないから……」
それっぽく見えるように、目線を一度逸らした。
「——その代わり、ルカをこのホテルから出してくれない?」
一世一代のお願いだった。
大地の眉がピクッと動く。
「私は何をされても良いから」
たとえ命と引き換えになっても、ルカを外に出したい。そう思った。
「へぇ。言ったな?」
彼は椅子から勢いよく立ち上がると、再び私と向き直った。
「いいぜ。俺もそろそろ、この"環境"に飽きてきた頃だったんだ」
大地の言葉に、ついカッとなりそうになった。
だけど、ここで感情的になったら、すべてが終わる。
私は深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着かせた。
人の人生を壊すようなことをして——信念を貫き通す覚悟さえない。あらためて目の前の彼が心底憎いと思った。
だけど、私も大地と約束をしてしまった。
逃げたら、彼と同じ人間に成り下がる。それだけは嫌だった。




