第35話 LOVEでス
◇
「ねぇ。ウチさ、ここの脱出方法知ってるんだ〜」
「へっ?」
トレーニングルームで鬼ちゃんと二人、並んでそれぞれヨガマットの上に横たわっていた。
前にテレビで見たポーズを見よう見まねでやっていたら早々に飽きてしまった。その時、彼女がそっと耳打ちをしてきた。
ルカは今日もルームランナーで熱心に走っている。
アイリスは私たちをじっと見ているけど何も言わない。特におかしな行動とは、思っていないのだろう。
鬼ちゃんは私の驚きぶりをみると、したり顔で笑った。
——本当かな。
「ナギちゃん、知りたい?」
鬼ちゃんは耳をくすぐるように囁く。
長年、このホテルにいる彼女のことだ。きっと自然と知ってしまったのかもしれない。
懺悔部屋の鍵をくすねて、私に差し入れするくらいの度胸がある鬼ちゃん。
本当に脱出方法を知っているような気がした。
彼女があえてその行動を取らないのは、きっと大地と離れるのが嫌だからだろう。
「う、うん!」
「教えてあげなーーい!」
きゃっきゃっと足をバタバタさせる。ふっと肩の力が抜けた。何それ。
「なんか、お腹減っちゃったなー! ねぇ。アイちゃーん♪」
鬼ちゃんがお腹をさすりながら、アイリスを呼ぶ。
「はイ。なんでしょうカ?」
「部屋に、朝残したバナナがあったはずなんだー。取ってきてもいいかなー?」
てっきりアイリスは、「それはできませン」とか「ワタシもついていきまス」とか、言うと思っていた。
だけど、軽やかに「どうゾ」とだけ言ったのに、心底驚いてしまった。
鬼ちゃんは無邪気に「はーい!」と言う。
その後、ご機嫌そうな足取りで、自分の部屋に戻っていった。
「……いいの?」
「はイ?」
アイリスは首を傾げた。
「私とルカがこのトレーニングルームまで来る時は、いつもアイリスが一緒じゃん。——鬼ちゃんのことは、追わなくていいの?」
彼女はロミオを連れてくることもしない。
「はイ。いいんでス」
アイリスが無機質に言った。完全に鬼ちゃんは特別扱いされていることがわかった。
「はぁはぁ。おまたせー!」
程なくして、鬼ちゃんが戻ってきた。手にはバナナを一本だけ持っている。
「ごめんね。ナギちゃん達の分はないんだー。お腹すいたから食べちゃうねぇ」
私の返答を聞く前に、鬼ちゃんはバナナにパクついた。もぐもぐと咀嚼して美味しそうだ。
「……」
私はふと、あることを思いついた。
「ねぇ。アイリス。私も部屋に、昨日食べそびれたチョコチップクッキーがあったはずなんだけど……。お腹空いたから取りに行ってもいい?」
一つの賭けだった。
空気が重くなるのを肌で感じた。
「……ワタシもついていきまス」
アイリスは私とルカから監視の目を離さない。
それどころか、ついにはロミオまで呼び出した。
「皆さン。こんにちハ」
ロミオは今日もひまわりの髪飾りを頭に付けていた。
「では、ロミオあとはお願いしまス。織川さン。早速、一緒に取りに戻りましょウ」
アイリスが先にトレーニングルームを出た。
「……」
言い出した手前、やっぱり良いと断るのも変だった。
だから仕方なくついて行くことにする。
「ナギちゃん! アイちゃん! 行ってらっしゃーい!」
鬼ちゃんは私たちを快く送り出してくれた。
ルカはチラッとこちらを一瞥したけど、特に何も言わなかった。
二人で長い廊下を歩く。無言の間が重々しかった。
アイリスの背中は無防備だった。
「——ねぇ。アイリスは鬼ちゃんのことが好きなの?」
なんでそんなことを言ってしまったんだろう。手持ち無沙汰だからかな。
今となってみればわからない。
「——はイ」
アイリスが静かにそう言った。背筋をぴんと伸ばして、一種の誇りのようなものを感じた。
息を呑んでしまう。
「——ワタシは、鬼原真里さんのことが好きでス」
アイリスが丁寧に復唱してくれた。
そんなまさか……。本当にそういうことがあるのだろうか。
自分で言ったことだけど、信じられなかった。私に冗談めいた気持ちがあったからだろう。
「そ、それはLIKEとして?」
「いいエ。LOVEでス」
アイリスは前を向いたまま、淡々と喋る。
「……いつから?」
「わかりませン」
「鬼ちゃんのどこを好きになったの?」
「……織川さん、グイグイ来ますネ」
鋭く指摘されてしまった。
だって、気になるから。
「——放っておけないところですかネ」
アイリスは少し時間を置いてから答えてくれた。
「確かに。鬼ちゃんって危なかっしいところあるもんね!」
「はイ。まさかワタシに内緒で、懺悔部屋の鍵を開けるとは思いませんでしたヨ」
アイリスが首をぐるんと回して、こちらを見た。
私は目を丸くして、固まってしまった。




