第31話 ゴロロ
「嘘……」
どうしてゴロロが、ここにいるのだろう。
私を見つけると、じっとしていて目を離さない。凛としたその姿は、まるで助けに来たと言わんばかりのヒーローのように思えた。
ゴロロは昔からしょっちゅう家を脱走する癖があった。窓やドアにしっかり鍵をかけているはずなのに、いつも隙を突いては外に逃げ出す。しかし、いつもとぼけた顔をして戻ってきた。
このホテルって家から近い場所にあるのだろうか。
前にアイリスに聞いても教えてくれなかった。鬼ちゃんに聞いても、「知らなーい。ウチ地名とかわからない!」と言っていた。
「どうしたの?」
洗顔をし終わったルカが窓辺に寄ってきた。
「私の家で飼っている猫——ゴロロがいるの」
「えっ。嘘。……かわいいーー!」
彼女は窓から身を乗り出すと、高い声を上げた。長い髪が風になびいていた。
「あれ、でも。なんか脂ぎっていない? ……ここに来るまで大変だったんじゃないの?」
ルカの言う通りだ。ゴロロの毛並みの状態からして、時間をかけて来てくれたように思えた。
ゴロロが低い声で喉を鳴らした。名前の由来になったようにゴロゴロという声が、上の階にいる私たちの耳まで届く。
猫は犬のように鼻がきくのだろうか。だけど今こうして、"家族"に出会えたことは、私に勇気を奮い立たせる理由となった。
「ゴロロ! こっちに来て!」
最愛の猫に向かって大声で呼んだ。
ゴロロは喉を鳴らすのをやめた後、右足を丁寧に舐めた。
「ゴロロ、お願い!」
私は両手をめいいっぱい広げた。ゴロロはじっとしている。
ひときわ大きな風が吹いた後、ゴロロが近くの木に登った。
あんなに軽やかに爪を立てて、上へあがることができるなんて、飼い主の私も知らなかった。
ゴロロと距離が幾分か近づいた。
「にゃあ」
「ゴロロ!」
私は自然と握り拳を作っていた。肌寒いのに、背中がやけに熱い。
次の瞬間、ゴロロは私たちがいる窓に向かって身を乗り出した。まるでスローモーションのよう。
真剣な目をしていて、猫の全力を思い知る。
——だけど、失敗に終わった。
ゴロロは地面に足から軽やかに着地をした。
「あぁ……」
思わず悲痛の声が漏れた。
ルカが窓辺から離れた。トイレかな。どこに行くんだろう。
だけど、私の関心はゴロロ一択だ。
「にゃあ」
ゴロロはもう一度、木に登った。
先ほどと同じように、窓に向かって飛び跳ねたけど結果は同じだった。後もう少しなのに、前足が届かない。どうしたらいいんだろう。
「ねぇ。これを繋げて、窓から出してみるのはどう?」
ルカが隣に立っていた。その手には、大量のペットボトルを抱えていた。
かつてミネラルウォーターが入っていたもので、アイリスに処分してもらうのを怠ったものだ。
ルカは器用にガムテープを使って、一本の棒のようなものを作ろうとしていた。
「……」
「何その不安そうな顔。ゴロロに会いたいんでしょ? とりあえずやってみましょうよ」
ルカの言う通りだ。
黙々と手を動かし始める彼女を見て、私は覚悟を決めた。
「ゴロロ、ちょっと待っててね!」
「にゃあ」
窓から叫ぶと、ゴロロは毛繕いをし始める。丁寧に自分の体をペロペロと舐めている。よし、今のうち。
早速、ルカにならってペットボトルを一つずつ、くっつけていった。良かった。面倒くさいからと部屋に溜め込んでおいて。いつどこで役に立つかはわからないものだ。
風が大きく吹くと、部屋の中が一段と寒くなった。上着を着てこようかな。そう思ったけど、ルカの真剣な瞳を見て、言い出すことができなかった。早く作り上げよう。
ガムテープを連続で切る音が完成間近であることを物語っていた。
「……できた」
目の前には、物干し竿くらいの長さをしたペットボトルを繋げたものがあった。ガムテープで何度も巻いたから繋ぎ目は丈夫だ。
窓を見下ろすと、ゴロロが芝生の上に寝転んでリラックスしていた。
「ゴロロ! もう一度、木に登ってくれない?」
「にゃあ」
私の声に耳を震わせたゴロロは、一度大きく伸びをした。その後、先ほど同様に俊敏に木に登ってくれた。
私たちは、窓の隙間からペットボトルを出して、準備をする。ゴロロが目を丸くしたのがわかった。
「ゴロロ、これに掴まって!」
「にゃあ」
ゴロロは賢い猫だった。犬のように、お手もできるし、待てもできる。脱走癖があるのはたまに傷だけど……。
まるで人間の言葉がわかっているかのように、私の言う通りにしてくれた。
ゴロロが、ペットボトルをめがけて飛び出した。前足が少しかすめてから、地面に落ちた。
「やったわ!」
「ゴロロすごい!」
二人で感極まった声を出す。ゴロロも負けじと、再度木の上に登る。
今度は先ほどよりも、少し前屈みになった。
「お願い!」
私の声を合図にゴロロが飛び跳ねる。ペットボトルを掴むことに成功したけど、爪が引っかからずすぐに落下した。
「これじゃ駄目ね。摩擦を大きくするために、布……Tシャツを破って巻き付けましょう」
「う、うん!」
ルカが頼もしかった。
「ゴロロ、ちょっと待っててね!」
「にゃあ」
私たちはもう一度、"ペットボトル工作"に取り掛かる。




