第30話 月日はめぐる
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それからの月日は驚くほど、あっという間に過ぎた。Tシャツ一枚で過ごすのが肌寒く感じた頃、季節の移り変わりを実感した。
初めの頃は、大地がいつ部屋に来るのかビクビクしながら怯えていた。——しかし、あの日から顔を出そうとしない。次第に緊張感も薄れていった。
アイリスは相変わらず規則正しく、部屋に三食、ご飯を持って来てくれた。前日にリクエストを出せば、翌日その通りのメニューを持ってきてくれる。自分でも驚いているんだけど、最近青汁にハマっている。健康志向になったのかもしれない。
スマホに触れない生活は、最初は慣れずに辛かった。家族に連絡を取りたい。バズ動画をみたい。そんな欲望がふつふつと湧き上がった。
でも、日が経つごとに、段々気にならなくなっていった。だって、ルカがいるから。彼女といると毎日が楽しく過ごせる。
アイリスにトランプを持って来てもらったこともあった。だけど、二人だけじゃつまらない。
アイリスも交えてババ抜きをしたいと提案した。てっきり断られるだろうと思っていたから、「いいですヨ」と言ってくれた時は驚いた。
アイリスは意外にポンコツだった。最後にババばかり持っているんだから。
こういうのは運もあるから仕方ないけど、ロボットらしくないと、ルカと顔を見合わせて笑った。
トレーニングルームには毎日足を運んでいる。結構な頻度で、いつも鬼ちゃんがいた。
いつも目がキラキラしていて、ここの生活が本当に性に合っているのがわかる。
この前は、私がルームランナーから降りる時につまずいて、膝から血が出たことがあった。「たいへん!」と、鬼ちゃんはすぐに絆創膏を部屋から持って来てくれて、「痛いの痛いの飛んでいけ〜」とおまじないまでしてくれた。彼女は純粋に優しいと思う。
学校に通っていた時は、できれば勉強はしたくないものだと思っていた。不思議なもので、このホテルにいると、学習意欲が湧いて来た。
アイリスに教材やノートを持って来てもらって、自主的に勉強をした。他にすることがなかったから、夢中になれるものが欲しかったのかもしれない。
ルカも私にならって勉強をした。彼女がわからない箇所があれば、復習のつもりで教えた。「ありがとう」と言ってもらえることが何よりも嬉しかった。
合間の時間には、二人で演技ごっこをする。ルカにしてみれば本気だから、ごっこというのは失礼だけど……。
あけぼの恋を参考にしたり、シチュエーションを考えてはAとBになりきったりして台詞の掛け合いをした。
私の演技は、最初は悲惨なものだった。照れが混じっていて、台詞も棒読みばかり。
だけど、プロレベルのルカに指導を受けると、段々と上達しているのが自分でもわかった。経験を積むことって何よりも大事だなと、実感することができた。
えっと。ルカとは週3で、そういうことをしている仲でもある。
勉強を終えた後、お風呂に入った後とか、顔を見合わせて、そういう雰囲気になることがよくある。
どちらからともなく距離を縮めて、唇同士が触れ合う。
ルカを独占している時、たまに顔も見たことのないカイエンが頭にチラつく。このホテルにいたら、二人は永遠に結ばれることがないと考えると、ずっと、ここに彼女といたくなる。
ルカが積極的になる瞬間が私は好きだった。甘い言葉をたくさん囁いてくれるから。
二人でギュッと抱き合っていると、不自由な環境にいることを忘れられた。何も縛られているものなんてないという幸福感を私に与えてくれた。
——ルカと喧嘩をすることも、普通にある。
そりゃそうだ。いつも顔を合わせているから。
喧嘩の原因は、お風呂はどっちが先に入るのかとか、空のペットボトルを置きっぱなしにしないでとか。些細なことが多い。
だけど、二人しかいない空間だからこそ、いつまでもヘソを曲げていられない。
同じベッドで寝ているからかな。朝起きた時に「おはよう」と言って、「おはよう」と返ってくると、もうどうでも良くなる。
ルカの丸い瞳を見ていると、先に折れたくなってしまう。これが愛おしさってやつなのかもしれない。——ルカは私のことどう思っているのかな。
◇
窓から見える木々は色づき始めた。まだ緑色の部分も多いけど、黄色やオレンジの面積が昨日よりも広がっている。空気もパリッと冷たかった。
——家族のみんなは元気かな。ふと、そんな感傷に浸ってしまう。
顔を順番に思い出そうとしても、はっきりとは浮かんでこなかった。目を閉じて考え込もうとするけど、一生懸命になるほど上手くいかない。
窓辺で一人ただずむ姿は、側から見たらアンニュイそうに見えるだろうか。
その時、にゃあと猫の鳴き声が聞こえた。
ゆっくりと目を開けると、焦点が合うまで時間がかかった。
えっ。あれって……。
開いた窓を見下ろすと、アメリカンショートヘアーの猫がいた。毛並みがボサボサで、背中にハートマークのような模様があった。
「……ゴロロだ」
紛れもない、私の家で飼っている猫だった。
なんで? どうして?
私は窓に身を乗り出すようにしてゴロロを見た。
「にゃあ!」
ひときわ大きな声で私を呼んだ。
濁点が入ったようなその声質は、まさしく愛猫のゴロロそのものだった。




