第3話 夜の街
北村さんと五十嵐さんはその後、カラオケに誘ってくれた。お金がないのに大丈夫だろうかと心配しながらも断りきれない。二人の後をそそくさとついていく。
彼女たちは私にわからない歌ばかりを歌う。うっすら感じていたけど、趣味が合わない。手持ち無沙汰から何度もスマホを触った。当然、唯ちゃんからは連絡はない。
段々と、私にマイクが回ってくる回数が減った。二人が交互に歌い始めている。虚しいけど、聴き手にいる方が楽だった。
カラオケの支払いは、またしても私が負担する形になった。ここは電子マネーにも対応している店舗だというのに。しかし、北村さんが「ごめんねー」と笑って言うと、何も逆らう気が起きなくなった。
帰りたいと言葉に出せば良い。だけど、できない。雰囲気に流される怖さを、私は身をもって知った。
カラオケ店から出ると、もうとっくに夜だった。スマホを見ると、家でお風呂に入っているような時間だった。
夜は更けていくのに、立ち並ぶ店々からは、まばゆい光が溢れ出ており、頭がクラクラした。色に例えるなら紫。通りの空気は、成熟した大人の香りが混じっていた。
もうさすがに帰るだろうと思った矢先の出来事だった。
——五十嵐さんが、クラブに行こうと言い出した。冗談じゃない。ここまで来て、やっと気付いた。私は二人に良いように利用されているだけなんだ。
スクールカースト上位の彼女たちに誘われて、のこのこついてきた私が馬鹿だった。
「大地がさー、恋愛経験がない女の子を連れてきたら、全額奢るって言ってたじゃん。+αもあるとかさぁー」
「あーね。でも、あいつ気まぐれだからさー」
二人の会話を聞いて耳を疑った。
「……何それ?」
つい口を挟んでいた。
「やばっ」
「あーあ。バカ」
北村さんが五十嵐さんに注意する。
心臓が速い。足元がふらついた。
「……まっ。別に、織川さんに話してもいいでしょ。実際、確認しなきゃだし」
「それな。——で、昼休みに話してたのって本当のこと? 誰とも付き合ったことがないって話のやつ」
唯ちゃんとの会話を聞かれていたんだ。
気合いを入れるかのように、大きく息を吸う。
「うん。そうだけど」
「なら、良かった。嘘ついても大地、すぐ見抜いちゃうところがあるからさー」
「じゃあ、このままクラブ行こぉー」
五十嵐さんが私の腕を掴んだ。伸びた爪が痛い。
「ちょっと待って! ……どういうこと? 私を紹介すると、二人に何か良いことがあるの? 大地って誰?」
ついていきたくなかった。すごく悪い予感がした。
キーンと耳鳴りもし始める。
「まぁまぁ。いいじゃん。ついてきてよー」
「ウチら、友達でしょ? 大丈夫! 何も怖いことないからー」
二人は曖昧にごまかす。まるで私に知られたくないことがあるかのように。
北村さんと五十嵐さんが教室にいる時、空気が変わった。場が華やぐし、みんな意識の隅に彼女たちがいた。クラスの男子が面白いことを言うと、笑った。その顔を見たくて、また誰かがおどける。北村さんと五十嵐さんは、まるで気高いシャム猫とヒョウのようだ。私も隅っこの席から、彼女たちをこっそり見ていたことがあった。
だけど、今は恐ろしくて、すぐにでもこの場を去りたかった。
まるで私は獲物だ。本能が逃げろと言っている。
「ねっ。行こー」
「今日は帰さないよー」
五十嵐さんは、見た目は華奢な女の子なのに力が強かった。ふりほどけない。
「まっ、て」
私の声が夜の街にかき消されていく。ホストと思わしき派手な男性が、赤いミニスカートの女性に、熱心に何かを話していた。誰もこちらを見ようとしない。
北村さんと五十嵐さんに連れられながら、ひと通りが多い街を、抵抗しながらも一緒に歩いた。一歩、二歩と、歩みを進めると、空気が冷たくて、かえって冷静になることができた。
元はと言えば、私が蒔いた種だ。部活をサボって、遊び呆けた罰だ。
きっと殺されるまではしないだろう。一番、嫌な想像を回避できると思ったら、笑えてきた。肩の力も抜ける。
一か八かか。私は一つの賭けに出る。
「あっ! 大地くん!」
顔を上げて、できるだけ大きな声を出した。
「えっ?」
「どこ?」
五十嵐さんの手がかすかに緩んだ。私が大地くんの顔を知っているはずがないのに。彼女たちは意外にも純粋だった。
腕に力を入れて、手を振り解く。拍子抜けするほど、あっさりだった。私は自由の身となった。
「あー!?」
「ちょっとー!」
二人の情けない声が後ろから聞こえてくる。私は全速力で走った。走りには自信がある。陸上部には引けを取らないほどだと自負している。
北村さんと五十嵐さんが追ってくる気配がするけど、姿が見えない。良かった。
行き交う人と、視線が合う。制服姿の女子高生が、夜の街を全速力で駆けているからだろう。恐怖心が和らぎ、段々と愉快になってくる。
駅ってどっちの方向だったっけ。わからないまま、ひたすら前へ前へ進んだ。街の灯りがまばらになり、行き交う人の数も少なくなっていた。あれ?
喉が焼けるように痛かった。少し休もうと足をもたつかせながら、止まった時、何者かに後ろから両腕を掴まれて、はがいじめにされた。叫ぶこともできなかった。口元に白い布切れが押し当てられると、意識が飛んだ。
——次に目を開けたときは、ダブルベッドの上だった。
しかも、隣には女の子がいる。クラスメートではない。先輩や後輩でも見たことがない子だった。
この子は一体、誰なんだろう。
頭が痛い。思わずこめかみに手を当てたら、隣から「ねぇ」と声がした。




