第21話 わたし達でシちゃおうよ
「えっ……」
ルカがうろたえている。
私も意味がわからなかった。
だけど、一秒たりとも大地から目を離すことができない。
彼は「ごめんない」も「すいません」も言わなかった。ただただ床に頭を付けているだけだ。
しかし、私たちに何らかの謝る気持ちがあることは察せられた。情に訴えかける何かがある。
今朝、アイリスに向かって土下座をした私だからこそ、真意が少しだけ読み取れた。
しばらくすると、大地が顔を上げて、立ち上がる。
ポケットに手を入れた後、なんと——カッターを取り出した。
「ひっ」
殺される——と思ったのは一瞬のこと。
大地は、私たちに必要以上に近づいてこない。
まるで、"こっちには武器があるから、手荒なことはしないように"という意味が込められているような仕草に見えた。
そのまま彼は静かに部屋から出ていった。忘れずに鍵をしっかりかけて。
「……」
「……」
私たちはすぐに顔を見合わせた。
ルカはただでさえ白い肌が陶器のようだった。今触れたら、冷たいかもしれない。
大地と話したことで、わかったことが一つあった。
何故、こんなホテルの一室に、何の共通点もない私とルカが閉じ込められているのかというと——処女だからだ。それ以上でも、それ以下でもない。
元はと言えば、唯ちゃんが周りの目を気にせず教室で恋愛事情を繰り広げたことに始まる。
そのせいもあってか、北村さんと五十嵐さんの耳に入り、大地に紹介させられる羽目になってしまった。
私がこんな目に遭っているのは唯ちゃんのせいだ——。
いや違う。私が目の敵にしなければならないのは大地の方だ。目の前の現実から逃避したくて、もう既に見るべき相手を間違ってしまっている。
……。
私たちが、ずっとここにいたら、いつの日か大地に襲われてしまうのではないか。
彼の土下座した姿と、カッターを見せた姿がミスマッチで頭が混乱する。
なんで……なんで……こんな目に遭わないといけないんだろう。
ルカがソファーにストンと座った。まるで体に力が入らないというような身軽さがあった。彼女の顔を見るとギョッとした。大粒の涙を目の淵に溜めていたのだから。
「ルカ。大丈夫?」
「こ、怖かった……」
宝石のような水滴が、なめらかに肌を滑った。
無理もない。大人の男性が、力づくでこの部屋に閉じ込めたことがわかったのだから。
震える体が、彼女の不安の大きさを表していた。
私はルカの肩に手を回し、ギュッと抱きしめた。細くて、力を入れたら壊れてしまいそう。悪夢のような出来事の中で、彼女に触れた時だけ、安堵のような気持ちが芽生えることを知る。
「——わたし、あいつにやられちゃうのかな」
それは私も考えていたことだった。ルカが口にしたことで、一気に現実味が帯びる。嫌だ。
大地の信条に触れた時、もしかしたら話せばわかってくれる人なのかと思った。
——だけど、
『結局あんたの狙いは、わたし達の初めてが欲しいってことでしょ?』
『そうかもな』
というやり取りや、土下座やカッターなどの強烈な出来事によって、安心できない相手に認定せざるを得ない。
「——そんなこと私がさせないから」
つい正義の味方のようなことを口走っていた。ルカが悲しそうに泣くから、どうにかして笑顔にしたかった。
大地がルカの腕を掴んだ時、びくともしなかった。だからきっと、真っ正面から対峙したら負けてしまうのはわかっている。
ルカを守るために私ができることは——。
「——本当?」
ルカは私の背中に手を回すと、力強く抱きしめた。すがるような、甘えた声だった。
「うん」
「わたしね、あいつに初めてあげるのやだ」
「私だって同じだよ……」
「うん。だったらさ——」
「ん?」
「——わたし達でシちゃおうよ」
すぐに返答できなかった。頭で理解するのに時間がかかった。思わずルカの顔を見る。
「な、何言って……」
「凪沙はさ、わたしとするの不満?」
ルカがまっすぐに私を見つめる。瞳が潤んでいて、思わず胸が締め付けられた。
「……不満じゃないよ」
ルカはかわいい。誰もが振り向く美貌の持ち主だ。アイドルグループのセンターにいてもおかしくない。それにお嬢様で家柄も良い。女優になりたいという立派な夢もある。
そんな彼女の初めてが私になる——。正直、恐れ多い。無理をさせてしまっているのではないかと心配になった。考え直した方が良い——。
「——そっか。わたしはさ、凪沙としてみたいかな」
「えっ」
「ねぇ。わたしの初めて奪ってよ」
ルカの腕が首に回される。上目遣いで挑発的な態度を取られて、頭がクラクラした。それは色気たっぷりな仕草で、ずっと彼女の瞳を見つめていたら、おかしくなりそうだった。
口をあわあわ言わせていたら、ルカの唇で塞がれた。
「んっ……」
目をギュッとつぶると、彼女のことしか考えられなくなってしまう。薔薇のいい香りが鼻腔をくすぐる。何度目のキスになるだろう。
もっとしたい。そんな気持ちをはっきり意識した頃、ルカは私から体を起こした。
「えっ?」
「……」
彼女は何も言わない。
まっすぐな瞳で こちらに判断を委ねているような真剣さがあった。そっか。私の返事を待っているんだ。かわいい。
「——いいよ」
それは、"初めて奪ってよ"に対する返事でもあり、続きを促すものでもあった。
ルカは口元を緩めると、嬉しさを体全体で表現するみたいに、のしかかってきた。ソファーの上でバランスを崩すと、彼女から押し倒されたみたいになった。




