第20話 敵
大地が離したルカの腕には、赤みがさしていた。彼女は痛そうに手を押さえている。
私とルカが二人で並んでソファーに座ると、テーブルの向こう側に、大地が座った。
「——あらためて俺は龍宮大地。表向きは普通のサラリーマンだけど、夜はクラブを切り盛りしてる。はい。二人とも簡単な自己紹介して」
片手を私に差し出してくる。
えっと。この人って、私たちの素性をある程度知った上で連れてきたんじゃないの? なんで、わざわざ自己紹介させる場を作るんだろう。
……まぁ、いい。変に拒否するのも不自然だ。
「……私は織川凪沙。高2。猫が好き……。以上」
大地に詳しく説明する義理もないと思い、簡潔に済ませた。何か突っ込まれるかと少し不安だったが、何も言われたりはしなかった。
「わたしは……羽本……ルカ。高1。ドラマのあけぼのの恋にハマってる……」
ルカも私にならって簡単な自己紹介をした。大地の視線が彼女に向かう。
「はねもとるかって漢字でどう書くの?」
「鳥の羽に……ブックの本……で、羽本。ルカはカタカナ……です」
「了解」
まるで値踏みしているかのように、まじまじとした視線を向け続ける。
多分だけど、大地はルカがお気に入りだ。
「——君たちはさ、男を知ってる?」
大地が肘をついて、何でもない世間話をするみたいに言った。
「……えっ?」
「まだ未経験だよね?」
この人は、何を言っているのだろう。
そう突っ込みたいけど、彼の気迫に押されて、中々言葉が口から出てこなかった。
意味を再度聞かなくてもわかる。きっと大地は、私たちが処女であるかどうかを知りたいのだ。
「——まぁ、裏は取れてるから答えなくても大丈夫だけど」
大地は一人納得して、設問をするのをやめた。足を軽やかに組み、場の空気をさり気なく支配している。
「君たちはさ、かわいいから、きっとすぐにでも彼氏ができるよ。でもそれじゃ、つまらないよ」
この人は、何が言いたいんだろう。
私は呆然とした気持ちで、彼の話を聞いていた。
「——俺のクラブの客に来る女の人。あいつらは、みんな面白くない。世界を知った顔をして、視野が狭いことを言う」
大地は悲しそうに目を細めた。
私は不意に北村さんと五十嵐さんのことが頭に浮かんだ。クラスのカースト上位。どんな遊びも楽しそうにこなす、眩しいほどの女の子。
「人は縛りがないと、堕落する。欲に取り憑かれて、本来の自分を見失う」
大地は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「凪沙と……ルカ。この部屋での生活は快適か? 少しの制限はあるけど、何も不自由はないんじゃないか。どうだ? 学校や家族の悩みなんかは何も無くなったんじゃないか」
「……」
確かに、今まで学校の悩みは頭から消えていた。
ここにいると人の目を気にして、取り繕わなくても良い。……ありのままの自分でいられる。
……。いやいや! ほだされちゃ駄目でしょ。
「冗談じゃない! 家族も心配しているはず! ……きっと今頃ニュースにだってなっているんじゃないの」
私は駅前の繁華街で何者かに連れ去られた。きっと目撃者だっていたはずだ。
お母さん、お父さん、雫、ゴロロ。今すぐにだって会いたかった。
「——それは大丈夫。君たちがニュースに載るようなことはない」
「なんでそんなことが言い切れるの?」
「……」
大地は押し黙る。これは弱いところを突かれたということだろうか。
だけど、無表情で一点を見つめている姿がとても怖かった。
「なんとか言いなさいよ……」
「お金があるから」
しんとした空気が広がる。圧倒的な無力感。
私にはどうにもできない。体が痺れるような感覚がする。
「——もみ消すということ?」
「そう」
大地は気取るように、ゆっくりと頷いた。
「——わたしの家もそれなりに恵まれているんだけど」
そうだ。ルカはお嬢様だ。
そのような家柄の子を敵に回すのは恐ろしいことではないのか。
——大地はふっと、おかしそうに吐息を漏らした。
だけど何も言わない。
背筋を伸ばして、ルカをただ見つめていた。
自信がある人は、そこにいるだけで場の空気を支配してしまう。太刀打ちできない。
案の定、ルカも噛み付くような真似はしなかった。
「……」
聞きたいことはたくさんあるはずなのに——。
お互いに黙ったような時間が続く。
「——ねぇ。そんな綺麗ごと並べているけど、結局あんたの狙いは、わたし達の初めてが欲しいってことでしょ?」
突然ルカが前のめりになって、そう言った。
大胆にも、大地をまっすぐに指さしている。
「そうかもな」
——否定してくれると思ったのに。大地は虚ろな目で頷いた。
ぞくっと背中に嫌な衝撃が走った。
ルカはすっと立ち上がり、私をかばうように両腕を広げて前に出た。小さく肩が震えていた。
「——凪沙とルカは、俺のことが信用できないだろう。だから、何と思われても仕方ないよ」
大地がソファーから腰を上げると、そのままドアの方に向かった。話も途中に帰るらしい。
「最低! 馬鹿!」
ルカが感情的になって、大地に罵声を浴びせた。がっちりした肩は服を着ていても目立っており、毎日筋トレを欠かしていないように思えた。
彼は、くるりとこちらに顔を向ける。
私たちは固まった。
——その時だった。
大地は潔く床に膝をつけて、深々と頭を下げた。えっ。
それはどこから見ても土下座そのもの。突然のことに戸惑ってしまう。
大人の男性が、間近で土下座をするのを初めて見た。




