第2話 サボり
今日、返された数学のテストが、私よりも唯ちゃんの方が点数が高かった。5点差。すごいねと声をかけようとした矢先に、「凪沙ちゃん、おバカだね〜」と挑発するように言われた。あからさまに見下げるような目線に戸惑ってしまった。
唯ちゃんを褒めようとする言葉も、喉に引っ込んだ。なんてことない友達との日常風景。だけど、うまく顔が笑えなかった。
お昼休みも、猫の話やドラマの話など、いつも些細なことを話しながらお弁当を食べるのに、今日は唯ちゃんの口数が少なかった。かと思えば、意地悪な目つきになって、「凪沙ちゃんって、誰かと付き合ったことある?」と、やたら大きな声で聞かれた。
口から「へっ」と、間抜けな声が出る。ミニハンバーグを食べる手が思わず止まった。その質問の意味を理解するまで数秒かかった。
唯ちゃんは、私に恋人がいたことがあるかどうかを聞いているのだ。「ない、よ」と、正直に打ち明けた。教室のど真ん中。誰が聞いているかわからない場所での質問だったので、少し言い淀んでしまう。
「そっかー。私は一人だけだけど、ちゃんと付き合ったことあるよー」
唯ちゃんはそう言って、お弁当箱の蓋をしめた。
「そっか」
彼女はきっと質問をし返して欲しいのだろう。「いつ、付き合っていたの?」「どんな人だったの?」と、食いついて欲しいのが肌感でわかった。
だけど、私は黙々とお弁当を食べ続けた。居心地が悪い。
「……その時の彼氏は、やたら束縛するタイプでね。私が他の男子と喋ると、お腹を叩いてくる人で——」
しびれを切らしたのか、唯ちゃんから話を切り出した。愛想笑いはするけど、私はどこか上の空で聞いていた。控えめな相槌しか打っていないけど、唯ちゃんの話は止まらなかった。多分、彼女は恋愛を語る自分に酔っていて、クラスメートが聞き耳を立てている今の状況に、気持ちよさを感じているのかもしれない。
最初は声をひそめていたのに、今や身振り手振りをつけて話している。
数学のテストの点数と言い、恋愛経験と言い、そこだけ見たら、私は唯ちゃんよりも劣っている。
同じ学校の同級生って、比べたくなくても自分と比べてしまう魔力がある。見た目や成績、クラスでのカースト、異性に人気があるかどうか。すべて目に見えるものが、比べる対象になってしまう。
きっと毎日、否応なく顔を合わせるから意識してしまうんだ。居心地が悪い。肌がひりつくほど空気が乾燥している。表情を動かす度に、頬に鈍い痛みを感じる。
新緑が美しい季節。楽しく学校生活を送りたいのに、私の気持ちは沈んでいた。
唯ちゃんとは、高校2年生になり、同じクラスになったことで、交流を持つようになった。スマホの待ち受けを、背中にハートマークの模様があるペットの猫の『ゴロロ』にしていた私。後ろから唯ちゃんに見られて「エモい! かわいい!」と褒められたことから話すようになり、やがて一緒に行動する仲にまでなった。
気さくな唯ちゃんと話していると、心が洗われることもある。だけど、事あるごとに張り合ってくることに気づいてからは、身構えるようになってしまった。自分は自分、他人は他人というポリシーがある私も、比べられるような話題を出されると、もっと頑張らなきゃというような焦燥感が芽生えはじめる。
だからだろうか。
北村さんと五十嵐さんに遊びに誘われた時に「いいよ」と言ってしまったのは。
唯ちゃんの羨ましそうな顔を見てみたくて、こんな大胆な行動も取れたんだと思う。
「やったー!」
「行こ行こー!」
はしゃぐ二人を横目に、私の意識は唯ちゃんだけに向いていた。彼女はバツが悪そうに下を向いた後、そのまま急いで教室から出て行った。少しだけ胸がスカッとした。
クラスの中でも、オシャレで派手めな女子二人から遊びに誘われた事実が嬉しかった。
あっ。でも、私には部活がある。今から遊びに行くということは、必然的にバドミントン部をサボることになる。軽率だったかもしれない。
「織川さん、どーしたの?」
北村さんが片手を腰に当て、首を傾げて聞く。先ほどより少しだけ声が低い。
「ねぇ。置いていくよ」
五十嵐さんが、笑いながら手招いてくれた。その姿にホッとして、迷っていたけど、やっぱり私は二人についていくことにした。
部活をサボるのなんて、大したことではない。むしろ一度くらい、無理してでもサボった方が高校生活をより満喫できるのではないか。そんな自分の選択を正当化するための考えが自然と浮かんできた。
それから北村さんと五十嵐さんに連れられて、駅前にあるオシャレなカフェに行った。隠れた場所にあり、外観は黒を基調にしていて、大人っぽい印象がある。
店の名前は「TOPAZ」。宝石を意味する言葉通り、店内の電飾はダイヤモンドの形をしていた。薄暗い店内を、淡く照らしている。
北村さんと五十嵐さんは、テーブルを挟んで、私の真向かいに座った。流れからみんなケーキセットを頼んだ。チーズケーキとカフェラテ。
ケーキの味は滑らかで、とっても美味しかった。だけど、一緒に来たメンツや雰囲気に慣れていないからか、緊張して心から味わうことはできなかった。
「ってか、この前、MIYAにファンレター送ったんだけど、返信きた」
「マジ? ヤバくね。書いてみるもんだね」
二人にしかわからない話で盛り上がっていたけど、愛想笑いしか返せなかった。アイドルかな。もっと芸能系に強くならないと駄目だなぁ。
お会計は3人で三千円だった。個人店のTOPAZは現金払いにしか対応していなかった。北村さんと五十嵐さんは、電子マネー派ということで十分な手持ちは持っておらず、ひとまず私が立て替えることになった。「ありがとー」とお礼を言ってくれたけど、この時点で少し嫌な予感がしていた。




