第16話 命令
ルカは涙目になっていた。黒髭のおじさんは無事テーブルの上に着地していた。
……ヤバい。何か文句言われそう。私は思わず唾を飲み込んだ。一瞬の静寂の後。
「……何これ! サイコー!」
ルカが太陽みたいな笑顔で喜んでいた。手をグーにして、今にも踊り出してしまいそう。
「まさか、わたしめがけておじさんが飛んでくるとは思わないじゃない! ふふふっ」
「そういうおもちゃだからね」
「ねっ。凪沙! もう一回やりましょうよ!」
「いいよ」
もう一度、仕切り直して遊ぶことになった。私は樽から剣を抜く。
なんてことのないおもちゃのはずなのに、目の前で、こんなに楽しんでくれる人がいると、私まで嬉しくなってしまうことに気づいた。
「早く早く!」
「ちょっと待って」
——それからは、ルカとおもちゃの剣の差し合いが続いた。
次のゲームは、中々黒髭のおじさんが飛び出さなかった。樽の表面には色とりどりの剣が増えていく。
「なんなのよぉ」
ただただヒヤヒヤした時間が続いた。
「……」
「変ねぇ」
ルカが剣を刺しながらつぶやいた瞬間——またしてもおじさんが上へビュンと飛んだ時は、二人して笑ってしまった。楽しい。
その次のゲームでは、私が一発目で、ハズレを引きあてた。おじさんは無情にもすぐ空へ飛ばされた。
「えい」
ルカが手のひらで受け止めてくれる。
「ナイスキャッチ!」
「ふふっ」
またそれでも楽しくなって、二人で顔を見合わせて笑い合った。
黒ひげ危機一発って、こんなに趣のあるおもちゃだったんだ。うまい具合に暇が潰れている。
「凪沙。今度はね、わたし一人でしてみるわ」
ルカはそう言うと、黒髭のおじさんがセットされた樽に向かって、テーブルに散らばったおもちゃの剣を、次々に差し出した。
夢中になる彼女の姿を見ていて、「あっ。もう少しで飽きそう」という予感がした。
そういう遊び方を始めるのは、決まって終盤なのだ。
ルカが樽に半分くらいの剣を刺したら、おじさんが飛び出した。テーブルに着地せず、コロコロと床を転がった。
「——ねぇ。凪沙。次おじさんを飛ばした方が負けで、勝った方の言うことを聞くっていうのはどう?」
退屈からだろう。ルカはそんな提案をした。
「いいよ」
特に断る理由がなかった。これで暇が潰れるなら安いものだろう。
◇
先ほどよりも、真剣におもちゃの剣を刺していく。ルカが前屈みになる。
「わたしが勝ったらね。凪沙にその窓からどうにか抜け出してもらって、助けを呼んできてってお願いするかも!」
ルカが黄色の剣を、もったいぶりながら刺した。
「はっ。そんなことするわけないでしょ」
ここ何階だと思ってるの。死んじゃうよ。
「駄目よ。勝った方のお願いは絶対だもの!」
いつそんなルールになったのだ。
こんなことなら、ゲームを始める前に、危険なことは抜きみたいなことを決めておけば良かった。
私はため息をつきながら、樽に青色の剣を刺した。
——セーフだった。
「ふっふー。凪沙にどんな無理強いさせようかしらー」
ルカがニマニマしながら樽に赤い剣を刺した。
——その時、黒髭のおじさんが、ものすごいスピードでテーブルから落ちていった。
やった! ルカが負けた。私は見事勝利を勝ち取った。
ルカが青ざめた顔をしている。私を煽って負けたものだから、どんな命令をされるのか不安なのだろう。まるで怯えたチワワのように、身を縮こまらせていた。
「——ねぇ。勝った方のお願いは絶対って言ったよね?」
「……」
ルカが目をギュッとつぶった。可哀想だけど、現に私も窓から落ちろと言われて、少しムッとしていた。
何にしようかな。
——不意に、ルカの見たこともない婚約者の顔が頭に浮かんだ。金髪の高身長。ダンスが上手くて、誰もが振り返るようなイケメン。そんなところだろう。
ルカと一緒にいて、いつもどんなことを考えているのだろう。
あれ。なんで私こんなにイライラしているの?
「——じゃあさ、かしずいて、手にキスしてよ」
「はぁ?」
「ねっ。いいでしょ」
ルカが困惑した顔をしている。だけど、止められなかった。
舞踏会に行ったことがあるお嬢様が、人のために膝をつくなんて、きっとしたことがないだろう。
だから、彼女に命令してみたかった。
「そんなこと、できるわけないでしょ!」
案の定、ルカはめちゃくちゃ嫌がっていた。——私の唇には無理やりキスできるくせに。
彼女の一つひとつの仕草が癪に障った。
「へぇ。ルカって、約束を簡単に破っちゃえるような人なんだ」
「……」
「なんか、幻滅したかも」
「……」
「もしかして、お嬢様って言うのも嘘だったりする?」
「——わかったわよ!!!! すればいいんでしょ!!!!」
ルカはソファーから勢いよく立ち上がると、険しい顔をして、私のところまでやってきた。
「あんたも、さっさと立ちなさいよ!!!!!!!」
「言い方」
「へっ?」
「もっとちゃんとした、丁寧な言葉を使って」
「う、うぅ……」
ルカが俯く。わたしはソファーに、気だるそうにもたれかかった。わざわざ立ち上がる必要はないと思ったからだ。
あとは、彼女に任せた。
ルカは何も言わない。私と目を合わせず、床に片足をぺたんとつけた。
「……」
「早くして」
——私は興奮していた。ルカに威圧的な態度を取ることに。
この閉鎖的な環境がそうさせるのか、もしかして元々の性格であるのかはわからない。
早くしてほしい。激しく胸は高鳴っていた。




