第13話 夢
「夜ご飯のお皿を取りにきましタ」
「……アイリスは、お昼の時も持っていってくれたのよ。ご苦労様」
ルカは口元を拭って、姿勢を正す。まるで何事もなかったかのような、いでたちだ。
だけど、頬が赤く染まっているのが近くで見るとわかった。
「ねぇ。アイリスって何者なの?」
私は先ほどから気になっていたことを質問した。
「ワタシは、アイリスでス。それ以上でもそれ以下でもありませン」
……。これじゃ埒があかない。
「ねぇ。何で、私たちをこの部屋に閉じ込めているの?」
「プログラムによって話せませン」
まさにロボットらしい回答だった。
「……夜ご飯の餃子美味しかったよ。アイリスが作っているの?」
「はイ。その通りでス。ありがとうございまス」
アイリスは笑っているように——見えた。だけど、彼女はロボットだ。だから気のせいだろう。
「この部屋から今すぐ出たいんだけど——できる?」
「ワタシには答えることができませン」
「ねぇ。私のスマホどこにあるの? せめて親に連絡したい!」
「ワタシにはわかりませン」
「——今って、何時?」
「ワタシにはわかりませン」
「ねぇ。家に帰りたいんだけど!」
「ここにいてくださイ」
「——じゃあ、明日の朝ごはん。小倉トーストが食べたいんだけど。できる?」
「かしこまりましタ」
アイリスは最後の質問にだけ、流暢に答えた。床に置いてあった、おぼんを持って、ドアから出ていった。相変わらず鍵のかかる音が大きく耳に響く。
私はガックリとうなだれた。
「お疲れ」
ルカが隣から弾むような声をかけてくる。彼女の顔をじーっと見るも、なんだか呆れてしまい、盛大なため息をつく羽目になった。
「何よ。失礼ね」
「別に」
「ねぇ。眠くなってきちゃった」
ルカが小さなあくびを噛み殺す。
「もう夜も遅いのかな」
私たちは、時刻もわからない部屋にぽつんと取り残されている。カーテンの隙間から見える外は、暗闇だった。そのまま見ていると吸い込まれてしまいそうだ。身震いがする。
私はソファーから立ち上がり、窓際に立つと、カーテンを勢いよく引いた。
「かもね」
「歯磨きして寝ましょ」
「うん」
「あっ! 洗面所の下の引き出しに、化粧水とかボディクリームがあるの知ってる?」
「——知らない」
「棚を隅から隅まであさると、意外に便利なものが見つけられていいわよ。他に必要なものは、あいつ——アイリスに言うと持ってきてくれるかしら?」
ルカは明るく、表情が晴れ晴れとしていた。まるで旅行に来ているかのような軽やかさがあった。
……。
ええい。今日はもう寝てしまおう。大事なことは明日考えよう。
唇にそっと触れてみた。傷の痛みを確かめたかっただけなのに、先ほどのキスのことが頭に浮かんだ。
アイリスに邪魔されなかったら、私たちはどうなっていただろう。
いやいや! 何もならないよ!
ルカに変な目で見られたくなかったので、慌てて手を離して、急いで洗面台に向かった。
◇
——唯ちゃんにキスをされた。
黒縁メガネを外して、彼女が優しく微笑む。私の両頬を包み込むと、軽く触れるだけのキスをした。
辺りにはボタンの花が、色とりどり咲き乱れている。
『本当は、ずっと凪沙ちゃんのことが好きだったの』
唯ちゃんから告白をされた。
嘘。そんな素振りを感じたことは一度もなかった。
『教室で、からかってごめんね。好きな子ほどいじめたくなるっていうやつかな』
唯ちゃんは、ふふっと笑った。コーラルピンクのリップを塗っている。そんな派手なものが趣味だっただろうか。
どこか居心地が悪い。早くこの場を去らないといけないという危険信号を感じる。ごめんね。
私は唯ちゃんに背を向けて走った。『待ってよ』という声が聞こえる。
もしも。もしも追いつかれてしまったら、どうなってしまうんだろう。腕を振って、足を上げる。頑張っているけど、体が言うことを聞かない。目の前には、絶望的な白がどこまでも広がっていた。
「——っあ」
肩に触れられた感触がして、息が止まった。目を開けると、ルカが私の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
カーテンから漏れる光が眩しい。ふかふかのベッドが私を優しく受け止めていた。
——今見ていたのは、夢だった。
私は、「はぁ」と安堵のため息をついた。
「すごい顔でうなされていたよ」
ルカがしたり顔で言う。
恥ずかしい。ずっと観察されていたのかな。いや、うるさくて、ルカを起こしちゃったのかもしれない。
唯ちゃんにキスされるなんて、到底あり得ない。なのに、妙に生々しいリアルな感触があった。まさか——。
「ルカ。何か、私にした?」
「はぁ?」
「キスとかしてないよね?」
「バカじゃないの? まだ寝ぼけてんの?」
枕で頭を軽く叩かれた。ルカはぷいとそっぽを向く。
しかし、彼女はすぐにこちらを見た。
「もしかして凪沙、キスされる夢見てたんでしょ」
「……」
図星だった。




