第12話 溶け合う
私は勢いよくソファーから立ち上がった後、ルカの隣に腰掛けた。
「えっ?」
彼女がひるんだ。逃がさないように両肩を掴むと、体が強張るのがわかった。
顔を寄せて、キスできる距離まで近づく。
ルカは涙目を浮かべて、引きつった顔をしている。
あぁ。本当に、この子もキスが初めてだったんだ。
——という私も経験がないから、確信は持てないけど。
慣れているなら、もっと堂々としているはずだ。
何を勘違いしたのか、ルカは両目を、しおらしく閉じた。次に困惑するのは私だった。
えっと……。
妙な緊張感が走る。
迷った私は、ルカの両肩を押して、右手で彼女のおでこを軽くデコピンした。
「いった」
「……唇を噛んだバツ」
そんなかわいくないことを言って、強引に談笑タイムを終わらせようとした。
「そういう、凪沙はどうなの?」
「へっ?」
「見た目に反して百戦錬磨だったりして」
きっとキスや恋愛においての経験のことを言っているのだろう。
教室の中で、唯ちゃんに詰められた時のことを思い出して、嫌な気持ちになった。
「……別になんだって、いいでしょ」
私はずるい。自分は好奇心旺盛にルカの情事のことをあれこれ聞いたのに。
突かれる側になると、冷静ぶって逃げようとする。
——ふと思った。
ルカと私は別に同じ学校の同級生というわけではない。
何でかわからないけど、この部屋に閉じ込められている被害者同士と言っていいのかもしれない。
もしかしたら、明日にでも離れ離れになるかもしれない。スマホで連絡先を交換したりもできない。本当に一期一会の出会いになるかもしれない。
それなら、もっと素直になってもいいのではないか。
顔見知りよりも、関わりのない他人の方が気兼ねなく話せるというものだ。
いつもだったら言い淀んでしまうことこそ、ルカ相手になら話してみてもいいんじゃないか。事故とはいえ、キスした仲なんだし。
……。
「——うん。私も経験ないよ。なーんにも」
「へぇ。やっぱり」
その言い方にカチンときた。けど、構わずに続ける。
「そういうふうに友達にもバカにされたの。私の人生ってなんなんだろう」
いつもなら、こんなに弱気にならない。親からも離れて、よくわからないホテルにいるからかな。ネガティブな言葉が口をついて出る。
「バカにしてるわけじゃないわよ。それならわたしもバカってことじゃない? ふふっ」
「——でも、ルカは婚約者がいるからいいじゃん」
「まだ言ってるの? そんな名ばかりの? 好きでもない男なのに? 軽く見られているとわかっているのに? 羨ましいなと思うの?」
「……」
「視野狭すぎ。人と比べると、ろくなことにならないからやめなよ」
私は唇をグッと噛み締めた。何も言い返せない。
「さっきさ、キスしたとき、どう思った?」
「最悪だった」
本音を包み隠さずに言った。
それに急だったし、よくわからない。
「本当に?」
「……うん。でも、涙が止まったし。あのときは気を紛らわせてくれてありがとう」
一瞬でも現実逃避できたのは事実だった。先ほどのことなのに、遠い過去のように思える。
「ん。わたしはさ、キスするのって、いいなと思ったよ」
えっ。と思った矢先に、ルカの細い指が、私の下唇に触れた。
「ごめん。傷がついてるね」
痛みに意識が集中してたら、ルカの顔がすぐ側にあった。
ドキッと心臓が高鳴る前に、唇と唇が優しく触れた。
なんで。どうして。
頭がこんがらがる。
ぬるっとした感触がして、ルカが舌で私の傷口を舐めているのがわかった。
生ぬるい感触にゾワっとしたが、体を跳ねのけるほど嫌ではない。
鼻と鼻が触れ合うたびに、現実に引き戻される。痛みのピークはとうにすぎていて、彼女の唾液がつくことで、消毒された気になった。
何も考えられなくなる。
「んっ……はぁ」
声が漏れた。
それを合図とするかのように、すかさずルカの舌が口の中に入り込んでくる。
初めての感覚。体に力が入る。自然に身を委ねることができない。
目をギュッとつぶると——まるでそうすることが正しいと言わんばかりに、ルカが優しく手に触れてきた。辿々しい指先が私を逃がさない。
ソファーに押し倒された。あっという間の出来事だった。
「ちょ……」
ルカは止まらない。
こっちのことなんてお構いなしだ。
年下に跨がれるなんて、私のプライドが許さない。だけど、力が入らなかった。
唇が触れ合う度、せめてもの抵抗をしたくて、彼女を求めるように動いた。
不意を突かれたルカは、「あっ……」と、吐息を漏らす。こんなこといけないとわかっているのに止められなかった。
ムカつくのと恥ずかしいのと、ふわふわした気持ちに浸食されている。
——その時、部屋にノックの音が響いた。
「ふぇ?」
ルカが情けない声を出したのと、私が彼女を押し退けて、身を正すのが同時だった。
トントン。トントン。
ノックの音は止まない。
「は、はい」
「入っても良いですカ?」
アイリスの声がドアの向こうから聞こえてくる。
——どうせ断ることなんてできないのだろう。
「いいよ」
鍵を開ける音がした。部屋の中にアイリスが入ってくる。




