第10話 あけぼのの恋
私は手始めに、ドアの前に立った。先ほども確かめたけど、万一、開いている可能性に賭けてみたくなったのだ。
ドアノブをひねるが、固い。……鍵がかかっていた。
「……そういえば、さっきアイリスが部屋に来た時、鍵が開いた状態になってたよね」
アイリスがこの部屋にいる瞬間。無防備にもドアが開けっぱなしになっていた。
もしかして、あのとき強引に突破していたら、この部屋から出られたかもしれない。
「それ、わたしも思ったの。だから凪沙がこの部屋に来る前に強引に外に出ようとしてみたの。——まぁ。結果としては無理だったんだけど」
すごい。ルカって勇気がある。
「なんで、駄目だったの?」
「アイリスから服を引っ張られて、背負い投げされた。アイツすごい。力強すぎるって」
ルカはベッドの上で、再現するかのように、手と足をちゃかちゃか動かした。
「……そうだったんだ」
「それと、アイリスが、『出ないでくださイ。ここにいてくださイ』って悲しそうに言うから。そのまま。まぁ。急いで家に帰りたいとも思わないし、もうちょいここにいてもいいかなーって」
ルカは外に出られると希望を持たせるようなことを言ったり、かといえば、ここにいてのんびりしたいというようなことを言ったりしている。
天真爛漫で掴めない子だと思った。それに、いきなりキスしてくるしね。
私は部屋を出て、お風呂場の方を見て回った。棚の中には最低限、生活に必要なものが揃っている。歯ブラシやティッシュペーパーなどが置いてあった。
次にトイレに入って、目についた棚を開けてみる。トイレットペーパーの予備が数個入っていた。
「何かあったー?」
ルカの声が聞こえる。彼女は一緒に探索をしようとはしない。先ほどからベッドの上ばかりにいる。私は部屋に戻った。
「別に」
少しそっけなかっただろうか。
「そっか♪」
しかし、ルカはご機嫌だった。
「——ねぇ、思ったんだけど、ルカって何者?」
「はぁ?」
彼女が苦虫を飲み下したような顔をして、こっちを見た。
「——アイリスの手下とかじゃないよね?」
お風呂に入ったら、頭がスッキリした。何者かに連れ去られて、同じベッドで寝させられているなんて、普通に考えておかしい。何かが狂っている。
餃子を食べて、彼女のストレッチ姿を見て——まるで日常の地続きのように、普通に順応しそうになっていた。
「私のこと、もしかして知ってる?」
ルカの顔をじっと見た。
「……」
「一方的な恨みがあって、連れ去ったんじゃないよね?」
「……」
「それだったら謝る。何かドッキリを仕掛けているなら、早くネタバラシをしてほしい」
「——あのさ」
ルカがベッドから降りて、私の元までやって来る。
背丈が頭ひとつ違う彼女から上目遣いで、ギリっと睨まれる。
「わたしだって、意味わかんないつーの! 何でこんなところに閉じ込められないといけないのよ!」
「っ……」
「テレビすらないし。今だって連ドラの、『あけぼのの恋』の続きが見たいのに!」
「……えっ。それ私も見てる!」
あけぼのの恋は、女優・都実ユウリが演じる、文房具屋の娘・壱子が、力士の東雲丸に一目惚れしたことから始まるハートフルストーリーだ。先週は、壱子が自家製の塩を東雲丸に贈って、激怒されたことで放送が終わっていた。
「本当!? めっちゃ面白いわよね!」
「うん! 予想を裏切ってくる展開がいいよね」
「普通、好きな男にアプローチする時に塩なんて選ぶ?」
「東雲丸が土俵に塩を巻いている姿に壱子がキュンときたから、良い伏線にはなってるよ〜」
「……まぁ。そうかもね。でも敵に塩を送るってことわざもあるくらいだし。嫌味っぽいわよ!」
「壱子は天然っぽいところがかわいいんだよ。それに、恋也には見向きもしないのも、おっかしいよね」
「あのスパダリね。絶対、あっちと付き合った方がいい夢見られそうだけど。——って、結構、話盛り上がるわね……」
ルカが笑う。まさか、同じドラマを見ていて、楽しく話ができるなんて思ってもみなかった。
「ちょっと待ってて」
ルカが冷蔵庫近くにある戸棚に寄ると、中から何かを取り出した。
「紅茶。さっき見つけたの。これでお茶しながら話さない? どうせテレビも見れないし。あけぼのの恋の、今後の展開についてでも予想しましょ」
ルカは箱に入ったダージリンのティーパックを私に見せた。すぐ近くには、電気ケトルが置いてあった。
「うん」
応える私の声は、弾んでいた。
◇
ルカと、ソファーに向かい合う形で、紅茶をたしなむ。部屋には、茶葉の上質な香りが広がっている。
「美味しい……」
「でしょ。私、ダージリンが紅茶の中で一番好きなの」
フルーティーで飲みやすい紅茶だと思った。体もぽかぽかあたたまる。
「さっきはごめんね」
一方的にルカを疑って責めてしまったことについてだ。大人気なかった。
「別にもう忘れたわ」
ルカはティーカップに口をつけながら言った。彼女はきっと懐が広い。
「……」
「……」
無言の間が広がる。私が話すよりも先に、ルカが口を開いた。




