日常 その10
「オレ様がこんな平民より弱いというのか!」
茹で蛸のようなスネカジオはタコ隅のように唾を飛ばしながら声を荒げた。
「試してみるか?」
挑発すかのように笑みを浮かべジャンヌが言うと、スネカジオの怒りは頂点に達した。
スネカジオは剣の腕に絶対の自信を持っている。
そんな奴が最近入った、しかも平民の俺より弱いと言われれば、そりゃ怒るだろう。しかも、プライドだけは大貴族のスネカジオなら尚更だ。
事実スネカジオはこれまで負けたことがない。それ故、剣の腕には自信を持っている。
しかし、スネカジオの実力ではなく、相手が忖度しているだけだ。
スネカジオは公爵家の子息だ。将来を考えれば、スネカジオに勝ったところで何の得もない。得がないどころか怪我でもさせようものなら、自分のみならず実家にも迷惑がかかりかねない。そんなスネカジオには気分良く勝ってもらうのが一番なのだ。
剣の腕に絶対の自信を持つスネカジオだが、実際は相手が手を抜いていることにすら気づけない程度の実力しかないのである。
「こんな平民の相手をすれば、スネカジオ様の剣が汚れます」
本当の実力を知る取り巻きたちが、何だかんだと理由をつけてスネカジオを止める。
「そうだな。こんな平民相手にしてもしょうがない」
さすがは取り巻きだ、馬鹿の扱いを心得ている。
彼らの説得が功を奏し、スネカジオは俺との手合わせを諦めてくれたようだ。
スネカジオが強いとは思わないが、それは俺も同じだ。毎日のようにジャンヌの訓練を受けているが、一方的にやられるだけで強くなっている気がしない。
まあ、あれは訓練という名の虐待だが……。
ジャンヌ以外ではマチオとしか手合わせしたことがない。周りから相手にされない俺の相手をしてくれるのはマチオくらいなのだ。
だが、ジャンヌの強さに憧れ、精進を重ねているマチオは強く、俺では相手にならない。
たまにマチオと訓練をすると俺は成長していないのではとさえ感じる。
まあ、マチオはジャンヌと違いアドバイスをくれたり、褒めてくれたりと、やる気を出させるのが上手いので訓練もいつもより辛くない。それに何より、マチオは寸止めしてくれるのだ。痛くない訓練なんてジャンヌとでは考えられない。
マチオとジャンヌではまるで飴と鞭だ。
そんな二人は強さの次元が違うので物差しにはならないし、いつも手加減されている俺は自分がどの程度のレベルなのかわからないのだ。
それにもし俺がスネカジオより強かったら……。
わざと負けるにしても素人の俺が他の奴らのように上手く負けるなんてできない。それに……。
もし勝ってしまったら?
そうなれば騎士団をクビになるばかりか他の仕事にも就けず野垂れ死ぬかもしれない。公爵家に目を付けられるというのはそういうことだ。
しかし、取り巻きたちのおかげで危機は回避できた。
俺はホッと胸をなで下ろし、早くこの場から去ろうと歩み出した。
「逃げるのか」
ホッとしたのも束の間、余計な事を言ってくるジャンヌ。この女はよっぽど俺の安寧を壊したいらしい。
ジャンヌの言葉に怒りが再燃したスネカジオは「やってやる」とジャンヌの挑発に乗るのだった。
「そうか、じゃあ、明日の訓練時だ」
怒り心頭に発したスネカジオは俺を睨み付けると「首を洗って待ってろ!」と怒声を残し、この場を後にした。
思考が停止していた俺は去って行くスネカジオの姿をただ呆然と見ていることしかできなかった。
そんな俺とは対照的にジャンヌは満足そうに微笑んでいた。
「何てこと、言ってくれてるんすか!」
事態を理解した俺は、思わずジャンヌに抗議の声を上げた。
当然だ。一度は収束しかけた事態を悪化させた張本人なのだから。
それに去り際の言葉、怒りの矛先は俺に向いていた。
俺が何かしたのか? いやいや、どう考えても俺は巻き込まれただけだ。
「心配するな。奴程度なら貴様でも勝てる」
「そういう問題じゃなーい!」
さも簡単そうにジャンヌは言ったが、別に俺は負けることが不安なわけではない。
逆だ。
勝ってしまった後の人生が不安なのだ。
その思いをぶちまけるとジャンヌは俺の目を見てこう言った。
「その時は――」




