25話 デビュタント
夏休み初日の朝、寮の廊下は帰省に浮き足立つ生徒らの声で騒がしい。
アンジェラは、古びた革のトランクに最後のシャツを詰め込み、ネクタイをきっちり結んだ。男装を解くのは、もう少し先だ。
開け放した窓の向こうでは、初夏の光が芝生を眩しく照らしている。
先日のスポーツ大会の熱気が嘘のように、校舎の方はどこか名残惜しい静けさに包まれていた。
「……よし」
小さく呟き、荷物を閉じる。
列車で王都まで3時間。駅には家から迎えの馬車が来ているはずで、それに乗り換え家へ戻る。
ほんの1年程度のつもりで始まった「代役生活」は、気づけばもう10年目に入ろうとしている。
兄の代わりだったはずの場所は、いまや自分の居場所だ。
それでも「アンドリュー」として過ごす日々を一度離れるのは、不思議と胸がざわつく。
旅行にでも行くような感覚。
そう、9年もの間多くの時間をここで過ごした。
学校は帰る場所。けれど家族の元も帰る場所。
そんな感覚を抱きながらアンジェラは談話室に向かった。
2人も今シーズンに社交界デビューのため王都に行く。それならば一緒に列車に乗り行こうということになったのだ。
アンジェラはトランクを持ち部屋をあとにした。
談話室では、すでにエリオットとルーシが待っていた。
エリオットは同じように談話室で待ち合わせをしているらしい生徒と何やら話をしており、ルーシーは膝の上に本を置き、静かにページをめくっていたが、アンジェラに気づくと立ち上がった。
「おはよう、アンドリュー」
「おはよう、ルーシー。何を読んでいたの?」
「あぁ、これよ」
ルーシーが見せたのはファッション誌だった。
「面白い?」
「退屈かもね。『服を選ぶのが難しいから毎日制服でいい』なんていうあなたには」
アンジェラはうぐっと呻き声を上げた。
「私服を買う時はルーシーに見立ててもらえて助かるよ……」
そこに話を終えたエリオットが入ってきた。
「おはよう、アンドリュー」
「おはよう、エリオット。じゃあ行こうか」
3人は寮を出て、いくつもの校舎を通り過ぎ、校門から馬車に乗って駅へ向かう。
夏の光が木々を青々と照らす。咲き誇る花の匂いと、ちゅるちゅるとヒバリの囀りが聞こえる。
アンジェラは胸の奥で、小さくきゅっと緊張を感じた。
──この夏、社交界で“女”として生きる日が来るのだ。
駅に着くと、列車の汽笛が遠くから響いた。
ホームには、すでに何台もの馬車が横付けされ、エイルズベリー校の生徒たちでごった返していた。
アンジェラたちはチケットを買い、座席に腰を下ろした。
列車が動き出すと、3人は窓から外の景色を眺めたり、カードゲームに興じて暇を潰した。
エリオットは不要なカードを捨て、場から新しいカードを引きながら呟いた。
「王宮はデビュタントの準備で忙しないんだろうな」
「エリオットはその騒々しさを避けて毎年夏は離宮で過ごしてるもんね。今年はデビューの当事者だよ」
「正直言って気が重いよ。デビューは成人になること、つまり成年王族になるということでもあるからこれからは学業の合間に公務もこなさなくちゃならない」
エリオットはこれからのしかかる責任の重さに参ってしまっているようだった。
「わたくしはわたくしで憂鬱よ。家に帰ったら男らしくしろ、クネクネするな、とかって家族全員うるさいんだから。社交界で恥を晒さないようにとかって年々うるさくなって嫌だわ」
「だから最近夏休みはずっとエリオットと夏の離宮にいるもんね」
「そうよ。本当は今年もずっとエリオット離宮でお世話になりたかったわ。けれどパーティでは2人に会えるから気分はちょっとだけマシよ」
ルーシーはカードを睨みながらふふふと笑った。
それを聞き、アンジェラの胸はズキリ痛んだ。
“本物のアンドリュー”が社交界デビューしたらアンジェラ偽物のアンドリューだとバレてしまう。
だから今年のデビューパーティーは風邪、来年、再来年も何か理由をつけてアンジェラが卒業するまでデビューを遅らせる予定なのだ。
もっとも、このまま無事卒業できるかも定かではないが。
「どうしたの? 次アンドリューの番よ」
「あっ、うん」
(結婚がかかっている女性と違って男性のデビューは多少遅くなっても問題ないとはいえお兄様にも悪いことしている……)
そもそも女性のデビュタントは結婚相手を探すためのものだ。
(私が結婚? ……考えられない)
三者三様、鬱々とした列車旅だった。
駅から馬車に揺られ、アンジェラは王都の邸宅に戻った。
玄関の大きな扉を開けると、使用人たちが慌ただしく動き回り、吸い込む空気がなんとなく懐かしい。領地の屋敷と同じ、実家の匂いだ。
「アンジェラ!」
父母に抱きしめられ、その後ろでアンドリューも微笑んでいた。
「おかえり。アンジェラ」
寮を出た時の緊張はどこへやら。家族と会えた嬉しさと安心感に包まれていることに気づき、小さく笑った。
「ただいま帰りました」
自室に荷物を置き、着替えたらすぐに週末のデビュタントに向けてドレスの最終調整に仕立て屋が呼ばれた。
彼女は全身くまなくチェックしていく。
「うーん、少し肩幅を……」
仕立て屋の手際のよさを見て、これで大丈夫だろうと安心する。
昼食を挟んで、午後はダンスの練習。
学校では男子として男性パートを徹底的に練習してきたアンジェラは、ついリードしたくなるクセを抑えるのに苦労した。
ステップも左右逆になるのは分かっているのに体が勝手に男性パートの動きをしてしまう。
「ステップは覚えてるのに……染みついたものを変えるのって難しいな……」
鏡に映る自分のぎこちない所作に苦笑うしかない。
ダンス講師には『お嬢様はお母様をお相手によく踊られるのですか?』などと言われてしまった。
真実を言うわけにもいかないから『母はダンスが好きで家族全員にせがむんです』とマリアナに罪を被せてしまった。
さらに、女性としてのマナーはほとんど学んでこなかったため、会話や所作のすべてが壊滅的に思える。
ナプキンの扱い、椅子の座り方、微笑み方、礼の角度……全部が新鮮で、全部が難しい。
マリアナはにこやかに肩をすくめて言った。
「とにかく微笑んで乗り切りましょう」
「やばいな、これ……」
「これアンジェラ、言葉遣い!」
「ごめんなさい」
女の子として生きた時間より男として生きてきた時間の方が長いのだ。いくら勉強が得意なアンジェラでも立ち居振る舞いは一朝一夕では変えられない。
(無理だな。悪目立ちだけはしないよう空気になろう。そう、存在を限りなく消して──)
アンジェラは努力の方向を違う方へ舵を切った。
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