第6話:星降る神社の巫女様の決意
神様の事を考えていると、いつの間にか寝てしまったようで、その日の夜に不思議な夢を見た。
月明かりに照らされた星見の丘。そこに佇む神様の姿。いつもよりもずっと薄く、まるで霧のように儚い姿だった。
「・・・もうすぐ」
その声は風のように儚く、でも確かに私の耳に届いた。声にはこれまで聞いたことのない切なさが込められていた。
神様の姿が月の光に溶けていく。手を伸ばそうとしても、まるで光の粒子のように指の間をすり抜けてしまう。
「・・・ありがとう」
神様はいつもの変わらない優しい笑顔だったが、突然の不安に襲われた私は必死に手を伸ばした。
「待ってください!行かないで!」
でも、届かない・・・そして、神様の姿はゆっくりと消えていく。
そこで目が覚めてしまった。枕は涙で濡れていた。
窓から差し込む月明かりに夢が蘇えり、胸が痛むような切なさが込み上げてくる。あまりにもリアルな夢だった。いや、これは本当に夢だったのだろうか・・・
時計を見るとまだ夜中の三時。
でも、このまま眠ることはできそうになかった。体の芯から冷えるような恐怖感が抜けない。
「神様・・・」
その言葉を呟いた瞬間、窓辺で風鈴が一つかすかに音を立てた。
その風鈴の音がとても切なく思えて、さらに胸が締め付けられていった。まるで風鈴の音が神様からのありがとうのように聞こえる。
もう一度横になってみるが眠れない。
夢の中の神様の声が何度も耳の中で響く。
「もうすぐ」という言葉の意味が分からない。何か良くないことが起こるような予感がした。
窓の外を見上げると、月が雲に隠れかけていた。その月も、どこか寂しそうに見える。
次の満月までまだ二週間以上ある。
その時までには答えが見つかるのだろうか・・・
結局、私は夜が明けるまで眠ることができなかった。
夢から一夜明けた夜、仕事を終えた私は星見の丘へと急いだ。
夢の意味が気になってしまい、いても立ってもいられなかった。胸の奥で不安が渦巻いている。あの夢は単なる悪夢だったのか、それとも何かの予兆だったのか。
石段を登りながら、まだ満月まで日にちがあることを何度も確認する。
「こんな日に神様に会えるはずがない・・・」そう思いながらも足は丘へと向かっていった。
もし会えるなら、夢の意味を聞いてみたい。
丘へと続くはずの入り口に来てみたが、やはりいつもの入り口にある、門のようなものは見当たらなかった。
私は何故かそのまま帰る気にはなれず、その場でしばらく呆けてしまっていた。
日も完全に沈み、光の灯っていないこの場所は夜に飲み込まれ暗くなって行く。虫の音だけが響く静寂の中で、私は一人立ち尽くしていた。
しばらくすると雲に隠れていた月が姿を現し、月明かりが参道を少し照らしてくれていた。
さすがにそろそろ帰ろうかと思い立ち上がると、丘へと続く道への入り口の門が薄っすらと目に飛び込んできた。門の全容はっきりとは見えないが、開いた門の奥に丘への道が見えている。
今しかない!と思った私は、急いでその道に駆け込んだ。
いつものように緩い上り坂を進み、丘の上に着いた時、私は息を呑んだ。
そこには薄く儚い姿の神様が佇んでいた。夢の中で見た時よりもさらに透き通っていて、まるで今にも消えてしまいそうな状態だった。
「来てくださったのですね」
神様は少し驚いたような、でも嬉しそうな表情を見せた。しかしその声には、深い疲労が込められているように感じられた。
そんな神様を見てしまうと、聞きたい事も言いたい事も沢山あったはずなのに、何も言葉が思い浮かばない。
「あ、あの・・・夢で・・・」と、私が口を開きかけると、神様が静かに話し始めた。
その神様の声には、どこか覚悟が滲んでいた気がした。神様は覚悟を決めたような、でもとても悲しそうな表情を浮かべていた。
「私からお話ししなければならないことがございます」
「昨夜、月の神様からお告げがありました」
神様は少し震えるような声でそう言った。
「月の神様・・・ですか?」
そう聞き返す私の心臓が、早鐘のように鼓動をしている。
「はい」
神様は重々しく頷いた。
「・・・どんなお告げだったのですか?」
「私の神としての務めは、次の満月の日までだと言われてしまいました」
神様は悲しそうな表情を浮かべながらそう告げた。
「え?」
私は衝撃を受けた。神の務めが終わる?その意味は良く理解は出来ていなかったが、とても大変な事態になっている事は伝わってくる。悲しそうにそう告げる神様を見ていると、まるで雷に打たれたような衝撃を私も感じてしまう。
「三百年の時を経て、私の役目は終わりを迎えるのです」
「そんな・・・そんな急に・・・」
私の声は震えていた。頭の中が真っ白になる。
「いいえ、私も気付いていたのです」
神様は諦めたような表情を見せた。
「神が人々を想う気持ちを超えて、一人の人を愛してしまうなどならぬ事なのです」
神様は恥ずかしそうに頬を染めながらそう言った。
「神の加護が一人の人に集まってしまうと、人は驕り、間違いを犯してしまうと教えられてきました」
「でも、私は大丈夫だと思っていました」
「私は何があっても、この土地の人々を分け隔てなく護る事ができると思っていました」
「ですが、月の神様は全て解っているのです」
「いずれあなたに何かあった時、私が自分の力をあなたの為だけに使ってしまう事を月の神は解っていたのでしょう」
神様は後悔したような表情を見せたあと、悲しそうに俯いた。
「・・・私の神の役目はここまでなんです」
私は目の前にいる美しい神様と心が通じていると思い、その事に浮かれていた自分に腹が立った。
神様の存在も、そのお役目も解っているつもりでいただけで、何も解っていなかった事に気付かされた。
私のせいでこの土地の人々を愛し、愛されてきた神様を消してしまう。
そんな浅はかな自分に腹が立った。拳を握りしめ、自分の無力さを呪った。
「星見祭の夜、あれほどの賑わりを久しぶりに見られて本当に嬉しかった」
神様は懐かしそうな表情を浮かべた。
「この土地の人々の笑顔もたくさん見ることができました」
「そして・・・あなたにも出会えた」
神様は嬉しそうな、でも切ない表情を見せた。
「待ってください!」
私は神様の言葉を遮って叫んだ。
「もう・・・もうここには来ませんから・・・」
その私の言葉には何も返事は貰えなかった。
「すみません。この姿を保つのも限界の様です」
神様の姿がより一層透き通っていく。神様は苦しそうな表情を浮かべながら少しずつ薄くなっていく。
「私からお願いがあるのですが、お聞きになって頂けますか?」
神様は切なそうな表情で私にお願いした。
「はい!なんでもします!」
「次の満月の夜に・・・最後にお会いできますか?」
「・・・必ず来ます」
「ありがとうございます」
神様は安堵したような、嬉しそうな表情を見せ、その言葉と共に、神様の姿は夜風に溶けるように消えていった。
もう私と会うことをしなければ、神様は消えないですむと思った。
だけど神様は自分が消える事を受け入れている様だった。
長い時を生きてきた神様が、その役目を終えようとしている。
そして私は・・・私は・・・
涙が頬を伝う。止めようとしても溢れ続ける涙。
夜空を見上げると、少し欠けた月が雲間から顔を覗かせている。
あれほどまでに待ち遠しかった満月の夜・・・
だけど、今はその日が来ない事を祈った。時が止まってくれればいいのにと生まれて初めて本気で思った。
それからの私は、必死に神社の写真を撮り続けたが、時折写真に映り込んでいた光の帯を目にする事はなかった。
それはまるで神様が日に日に薄くなって、少しずつ力を失っているかのように思えた。
私が写真を眺めながらため息をついていると、ミホちゃんが心配そうな表情で声をかけてくる。
「葛城さん?大丈夫ですか?」
「最近何だか元気がないように見えて・・・」
ミホちゃんは巫女服のぎゅっと握りしめながら、不安そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫だよ」
その言葉は自分に言い聞かせているようにも感じた。
「・・・神様のお姿が、最近見えにくくなってきたんです」
突然の言葉に「え?」と、私も聞き返す。
ミホちゃんは私と目を合わせずに、下を向いたまま困ったような表情で話を続けた。
「この神社が護られている感じも、前より薄くなってきている気がします」
「何か変わってしまうんでしょうか・・・」
ミホちゃんは不安そうな表情を浮かべ、巫女服を握りしめている手にも力が入っている事が伝わってくる。
「私達が神聖な星見祭を汚した事に、神様が怒っているんですかね・・・」
自分を責めるような表情でそう話すミホちゃんに、自分の犯した事が私に重くのしかかるような気がする。
「汚すって・・・ミホちゃんはそんな事してないでしょ?」
「でも、星見祭の後から、この神社が変わってしまった気がするんです」
「神社の空気も少しずつ変わっていくのを感じるんです」
ミホちゃんは悲しそうな表情でそう語った。
ミホちゃんは何かを感じ取っているのかもしれない・・・
やっぱり神様の事を知っているんじゃないか?と思った。
写真の整理も終え、境内を掃除していると、お年寄りが手を合わせながら呟いていた。
「神様、いつもありがとうございます。これからも見守っていてくださいね」
その祈りの言葉に胸が締め付けられる思いがした。
私のせいでこの神社から神様が居なくなってしまう事の罪悪感に押しつぶされそうだった。
細川さんの家に帰り、写真を整理しながら、神様と初めて出会った夜から星見祭の夜までの日々を思い返す。
神様との大切な思い出が一枚一枚の写真とノートに込められている。
たとえ光は写っていなくても、確かにそこにあった温かな時間を思い返していた。
~数週間後~
カシャ カシャ
いつものようにこの土地の風景を撮り、神社へと足を向ける。
次の満月まであと三日・・・最後の別れが近づいていることを私は受け入れられないでいた。
「・・・葛城さん」
神社に着くと、ミホちゃんが静かな声で、でも何か決意を込めたような声で話しかけてくる。
「はい。なんでしょうか?」
「・・・次の満月の夜・・・私も一緒に行きたいです」
ミホちゃんは真剣な表情で私を見つめていた。
動揺が隠せない。何を言えばいいのかも、何を聞けば良いのかも思いつかない。
「え?な、なんで?」と、つい理由を聞いてしまった。
「お礼が言いたくて・・・」
「お礼?」
「なぜか、今言っておかないと後悔しちゃう気がしちゃうんです」
ミホちゃんは少し恥ずかしそうに頬を染めながら、私にそう言ってくる。
彼女の瞳には固い決意が浮かんでいた。まるで私が神様と会っている事を知っているような表情だった。
「神様の事、やっぱり知ってたんだね」
「・・・はい」
ミホちゃんは少し恥ずかしそうに頷いた。
「いつから知ってたの?」
「私、小さい時にこの神社のお祭りに来て、お婆ちゃんと逸れて迷子になった事があったんです」
ミホちゃんは懐かしそうな表情を浮かべ、境内を見渡している。
「その時に泣きながら歩いてたら、参道の端にある壁が光りだして、その光っている道に入って行った事があるんです」
「そのまま歩いて行ったら、そこに綺麗なお姉さんが居て、大丈夫だよって慰めて貰った事があるんです」
ミホちゃんは目を輝かせて、嬉しそうな表情でその時のことを思い出していた。
「え?それって・・・」と、私が言葉を言いきる前に、いつもの元気な姿に戻ったミホちゃんは、腰に手を当てて大きな声で返事をした。
「はい!そうなんです!」
ミホちゃんは確信に満ちた表情だ。
「あの時は気づかなかったけど、今ならあのお姉さんは、この神社の神様だったって確信しています」
「でも、あの時以来その道は見えないんですけどね」
ミホちゃんは少し寂しそうな表情を見せ、すっと腰から手を降ろす。
「でも、星見祭の夜に、星見の丘に来てなかった?」
「星見の丘?」
ミホちゃんは不思議そうな表情を見せた。
「その光る道の先にある丘」
「その日は・・・えっと」
いつもの元気なミホちゃんは、少し恥ずかしそうな表情になり、モジモジしはじめた。
「来てたよね?」と、私が追い打ちをかける。
「えっと・・・その日に一緒に星を見たいって言って、私は葛城さんにフラれたじゃないですか」
ミホちゃんは少し拗ねたような表情を見せた。
「え?まぁ振ったと言うか・・・お断りはしましたね」
少し気まずい空気が流れるなか、ミホちゃんが話を続けてくれた事に、少しホッとする。
「お祭りの最中は忙しかったから大丈夫だったんですけど、その後、静かになった神社に居たらとっても悲しい気持ちになっちゃって」
ミホちゃんは悲しそうな表情を浮かべた。やはり気まずい。
「人が少なくなった境内を見ていたら、昔みたいにお姉さんに甘えに行こうかなって思っちゃって、なんとなく覚えていた光っていた場所を見ていたんです」
ミホちゃんは懐かしそうに、でも少し寂しそうに語った。
「そ、そうだったんだ」
「やっぱりあの日、葛城さんはあの場所に、光の道の中に居たんですね」
ミホちゃんは確信に満ちた表情で私を見つめた。
「・・・うん」
「私を振って、神様とデートしてたんですね」
ミホちゃんは少し意地悪そうな表情を見せた。かなり気まずい・・・まぁデートではないんだけどと思いながらも、そんな事は言い出せない雰囲気だ。
「・・・すみませんでした」
私は申し訳なさそうに頭を下げた。
「大丈夫です!ちょっと意地悪を言ってみただけです」
クスっと笑うと、ミホちゃんは優しく微笑んだ。
そして、真剣な表情に戻ったミホちゃんは、今度は私の目をしっかりと見ている。
「それで、出来れば知ってる事を教えて貰えると、嬉しいなぁ・・・なんて思っていたりします」
ミホちゃんは期待に満ちた表情で私を見つめていた。
私は言うべきか悩んだが、こんなにも神様を慕っているミホちゃんに隠しておくのは間違っていると思い、私は全てを話した。
もしかすると、私の犯した罪を誰かに告白したかったのかもしれない。神様がお役目を終えてしまうという事実を、伝えなければならない。
だけど、神様と会っていたなんて誰も信じて貰えないと思い、ずっと一人で悩んではいた。
神様と会った事があるミホちゃんにならと、私はこの土地に来てからの事を全て話した。
「・・・そ、そんな」
ミホちゃんは衝撃を受けたような表情を見せ、本殿を見つめている。
「ごめん・・・今この神社で起こっている事は、全部私が悪いんだよ」
するとミホちゃんは強い口調で私を叱った。
「葛城さん!」
「は、はい」と、驚きながらも返事をする。
「やっぱり私も、満月の夜にその丘に一緒に行きたいです」
「もしかしたら、私には何も見えないかもしれない」
「でも最後に、あの時のお礼を言っておきたいです!」
ミホちゃんは真剣な表情で私を見つめた。この子は本当に素直で良い子なんだと、改めて思った。そんなミホちゃんを見ていると、私も自然と覚悟が決まった。
「そうだね。わかった!一緒に行こう!」
「やったー!ありがとうございます」
ミホちゃんは嬉しそうな表情を見せ、両手を大きく上げて喜んでいた。
最後の夜、次の満月の日を迎えるまで、私達はこの神社への感謝の気持ちを祈り伝える事を決めた。
三日後に迫った満月の夜。
それは神様との最後の夜になるかもしれない。
胸の奥で不安と悲しみが渦巻いているが、同時に神様への想いも確かに存在していた。
私たちにできることは、この残された最後の時間を大切に過ごすことだけだった。




