第5話:──はじめての“放課後”と、SNSの罠
放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
「……誰もいない」
窓際の席にぽつんと残った氷室雫は、スマートフォンを手にしていた。
新品同様のそれは、まだ画面に指紋ひとつついていない。
(“SNS”……たしか、生徒会の葵さんが“登録は必須です”って言ってたっけ)
昨夜、桐生蓮から受け取ったマニュアルに「現代高校生の基本ツール」として書かれていたアプリ。
会話や写真、感情までがタイムラインに流れる世界。
雫は恐る恐るアプリを開き、自分の名前を登録する。
「……ユーザーネーム、“himuro_shizuku_01”? うーん、こんなもん?」
「お、SNS始めたの?」
突然背後から声がして、雫はスマホを落としかけた。
「……うわっ、綾瀬くん! びっくりした……!」
「ごめんごめん! いや〜、氷室さんがスマホと格闘してる姿、なんかレアでさ」
「……格闘してた、わけじゃないです」
「うん、でも“敵意あるタップ”って感じだったよ。ちょっと教えようか?」
結局、悠斗にあれこれ操作を教えてもらい、雫はようやく友達リストに“3人”を追加した。
・綾瀬悠斗
・早乙女葵
・クラスLINEグループ(※強制招待)
「わ、グループ通知めっちゃ来る……」
「うん、それ“慣れ”だから。音消しといたほうがいいよ」
「そ、そうなの? ……人間って、なんでこんなに通知多いの……」
◇
その日の夜。
雫は自室のベッドでスマホをいじっていた。
「……“いいね”が……ついた? 私の投稿……」
試しにアップした画像――美術部で描いたデッサン。
コメントはないが、“♡マーク”が三つ。ひとつはたぶん悠斗。ひとつは葵。
そして、もう一つは知らない名前から。
「……誰?」
好奇心から、そっとタップしてプロフィールを開く。
“しずくちゃんの絵、すごくきれいだね。
もっとたくさん見たいな。今度、直接見せてくれない?”
DM
「……え? 直接?」
雫はスマホを凝視した。
その相手のアイコンは風景写真。プロフィールに顔写真はなく、どこの誰かもわからない。
けれど、文体は丁寧で優しげだった。
(……でも、なんか……この“感じ”……)
彼女の魔女としての本能が、微かに警鐘を鳴らしていた。
◇
翌日。
登校してすぐ、廊下の掲示板に“落書き”のようなものが貼られていた。
【氷室雫って、ちょっと空気読めてないよね】
【スマホ初心者アピ、逆にウケるw】
【なんか裏垢で変な投稿してるって聞いた】
クラスの一角がざわついていた。
雫は、一歩引いた場所からその紙を見つめる。
「……これ、誰が?」
すると、背後から声がした。
「たぶん“アンチ垢”からのDM流出だと思う。最近SNS使い始めた子、よく狙われる」
葵だった。
「氷室さん、最近なんか変な人からメッセージとか来てない?」
「……来てました。昨日、知らない人からDMで、“絵を見せて”って」
「ブロックした?」
「……してません」
「なら、多分そこからだね。悪意ある人間って、つながり方も巧妙なの」
雫は拳を握った。
(……たった数行の文字で、人ってこんなふうに傷つくの?)
かつての魔女なら、こんな紙など一瞬で燃やしていた。
でも今は――それが“許されない”。
◇
放課後。
雫は、誰もいない美術室でひとり、スケッチブックに絵を描いていた。
そこへ、ドアが開いた。
「氷室さん……いた」
悠斗だった。
「うん、もしかしてここかなって思ってさ。……今日のこと、見たよ」
「……そう、ですか」
「でもさ、あんなの気にしなくていいよ。SNSなんてさ、顔の見えない場所で言いたいこと言って、誰も責任取らない世界だし。
俺は氷室さんの絵、好きだから。それだけで十分だろ?」
「……綾瀬くん」
雫は、少し俯いて――そして、ぽつりとつぶやいた。
「……ありがとう」
言葉は、魔法じゃない。
でも、きっと誰かの心を動かせる。そう思えた。
雫は、そっとスマホを開き、DMを削除し、アカウントをブロックした。
今度は、自分の意志で。
──これが、“人間”としての、最初の選択だった。