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3、メール。

  ―4―


 秋葉亜実が乱入してきたことで思考が中断されてしまったが、私は再び色々と推理を巡らせ始めた。

 恋人を同棲に誘うくらいだし、お兄ちゃんは春からの新生活を楽しみにしていたのだろう。

 繭化の原因が将来への不安や恋人関連のことでもないとすると、やはり対人問題に悩みの種があったのだろうか?

 現代社会で生きていく以上、それは誰もが一度は悩まされる事柄だろう。対人関係がうまくいかなくなり、ストレスからうつ病になる人も多いと聞く。



 私はお兄ちゃんの親友の一人に連絡をつけ、会いに出掛けた。

 喫茶店で待ち合わせ。

 店内には最近流行している音楽が流れていた。相手は少し遅れて現れた。

「やあやあ、お待たせ。久しぶりだね、美紀ちゃん」

 私は昔からお兄ちゃんについて回っていたので、小学生の頃からお兄ちゃんの友達をやっている彼とは顔なじみだった。

「珍しいね、美紀ちゃんから俺に連絡してくるなんて」

「ええ。折り入って、あなたにお話があって」

 そう言うと、彼はびっくりしたように私の顔を二度見していた。

「え、何、もしかして俺に告白? 年齢イコール恋人いない歴の俺にも、ついに春が来た!?」

 相変わらず、この人はいつでも明るく、おめでたかった。

「まいったなぁー。俺が優のお義兄ちゃんになるのかよー」

 私はにこりと暗黒微笑を浮かべながら、一人で盛り上がっている彼の勘違いを訂正した。

「安心してください。そんな事は、天地がひっくり返ってもありませんから」

 彼の妄想が暴走しないうちに「お兄ちゃんのことでちょっと」と軌道修正する。



「そういえばこの頃優と連絡がつかないなぁ。メール送っても返ってこないし。何かあったの?」

 私は本当のことを話そうか否か迷ったが、とりあえず伏せておくことにした。お兄ちゃんの友達とはいえ、繭化のことはあまり人に多弁するべきではない。

「携帯を忘れたまま一人旅に出掛けちゃって、今ちょっと連絡が取れないんですよ」

「ああ、またどっかに出掛けたのか。相変わらずスナフキンみたいな奴だな。で、そのお兄ちゃんがどうかした?」

「うちのお兄ちゃん、何か悩んでたり困ってたりしてませんでしたか?」

 私は極力何気ない口調で質問した。

「うん?」

 彼は不思議そうに首をひねった。

「なんだ、あいつ悩み事があって家出したのか? 盗んだバイクで走りだしたり? 自分探しの旅に出掛けたり?」

「え? あ……さ、さあ……?」

 うまく話が噛み合わない。やはり素直に話すしかないか……。

 躊躇っていると、彼は一人納得したようにふんふんと頷いた。

「そっか、一人旅に出掛けてたのかー。いやぁ、俺はてっきり、亜実ちゃんに監禁でもされてんのかと思ってたよ」


  ☆


「……え?」

 亜実ちゃんに、監禁……?

 突然思わぬ人物と思わぬ単語が出てきたので、私は一瞬硬直した。

「あれ? 美紀ちゃんは知らなかったんだ? あの二人は、結構前に別れてたんだよ」

「ええっ!?」

 私は仰天し、椅子から立ち上がった。

「ちょ、ちょっとそれ、どういうことですか!」

 彼女は昨日、恋人面をして、平然と我が家にやって来たのだぞ!?

 それなのに、二人はもう、恋人同士ではなかった!?



 私は混乱した。昨日彼女が家に来た時は、全くそんな風には見えなかった。当人も「同棲話が出るくらい順風満帆に愛を育んでいる」などとのろ気ていたし。

 私はテーブルから身を乗り出し、勢い込んで尋ねた。

「その話、詳しく聞かせてくださいっ!」

 私の勢いに気押されつつ、彼は答えた。

「え? い、いや、だいぶ前から二人の関係はギクシャクしてたらしいんだけど……。一ヶ月くらい前かな? 優が正式に、亜実ちゃんに別れ話を切り出したんだ」



 秋葉亜実は、お兄ちゃんに捨てられていた?

 思わぬ展開に、私の頭にはクエスチョンマークが乱立していた。

 お兄ちゃんの友人は語った。

 二人はだいぶ前から破局寸前だったが、しかし秋葉亜実がお兄ちゃんのことが諦めきれず、ずっと復縁を求めて付きまとっていたらしい。

 私は訝しげな顔をして問い返した。

「……付きまとっていた?」

「あの子は情熱的っていうか熱狂的っていうか……優一筋だったから。別れましょうと言われても、はいそうですかと簡単には納得出来なかったんだろうね」

 彼は秋葉亜実の名誉のためか、言葉を濁して説明した。

 私は言葉を装飾することなくストレートに尋ね返した。

「それはつまり……『捨てられた女がストーカーになった』っていうことですよね?」



「いや、そこまで言うつもりはないけどさ……。恋した女は怖いからなぁ。携帯の番号を変えてもすぐに調べて電話やメールが送られてきたり、ずっと後をつけられたり、待ち伏せされてたり……。頻繁にプレゼントを渡されるようになった、とかも言ってたな、優の奴」

「それは、どこからどう見てもストーカーじゃないですか!」

 私がそう主張すると、彼はびっくりしたような表情を作り、驚いていた。

「ええっ、恋人同士なら、そういうことするのが普通じゃないの?」

「どういう頭してるんですか、あなたは!」

 年齢イコール恋人いない歴の私でも、さすがに分かる。

 秋葉亜実の行動は異常だ。



 とにかく、落ち付かなければ……。

 私は深呼吸をして、椅子に座り直した。店内に響く甘い歌詞の流行歌が耳障りだった。

 私は彼の最初の言葉を思い出して、質問した。

「さっき言ってた、監禁云々っていうのはどういう事ですか?」

「いやぁ、別れ話がもつれにもつれ、今頃亜実ちゃんに監禁されてるんじゃねーだろうな、って俺が勝手に妄想してただけだよ。ジョークだよジョーク」

 私を心配させないためか、彼は右手をひらひらさせながら前言を撤回した。

「まあ、彼女ならやりかねない、って雰囲気はあったけどね」

「……そうなんですか?」

「けど、実際は優は一人旅に出掛けてるんだろ? お互いにしばらく距離を置けば、自然とうまくいくもんさ」

 彼はお兄ちゃんが繭化したことを知らない。時間が解決してくれるだろうと、のん気に構えていた。



 私は冷めたカプチーノの渦を見詰めながら考えた。

 さすがに監禁云々というのは彼の冗談にしても、秋葉亜実がストーカー化していたのは間違いないようだった。

 私は昨日、平然とした顔をして我が家を訪ねてきた秋葉亜実のことを思い出し、今更ながら戦慄した。

 お兄ちゃんの繭に縋りついて泣いていた姿を思い出し、吐き気と共に嫌悪感を覚えた。ひざの上に置いた手が震え、肌が粟立つ。

 あの女は、ずっと猫をかぶっていたんだ。

 あの女は、既にお兄ちゃんの恋人ではなかった。

 ただの、猟奇的なストーカー……。

 お兄ちゃんが友達に話したのは全体の一部に過ぎないだろうから、本当はもっと、秋葉亜実によるストーカー被害を受けていたに違いない。きっと同棲話も、あの女が自分の頭の中で組み立てた妄想だ。

 なんでお兄ちゃんは、私に相談してくれなかったのだろう……?

 そうすれば私は全力で……全身全霊をかけて秋葉亜実を排斥し、お兄ちゃんのことを守ったのに……。



 とにかく、お兄ちゃんの悩みの種、玉繭症候群の原因は分かった。

 秋葉亜実。

 彼女が原因だ。

 別れ話をしたのに、相変わらず恋人のように接してくる秋葉亜実。

 毎日のように大量のメールが届き、引っ切り無しに電話がかかってくる。自分の行動を常に見張られたり、後をつけられたりする。

 私が気付かなかっただけで、お兄ちゃんはもっと酷いことを……理不尽で一方的な、愛という名の暴力を受けていたのかもしれない。場合によっては、命の危険だって感じただろう。

 ストーカーに付け狙われたお兄ちゃんは、自己防衛のために繭の中へ……秋葉亜実がいない夢の世界に逃げ込んだのだ。



 そういえばと、私は彼に尋ねた。

「……そういえばお兄ちゃんって、どうして亜実さんと別れようとしたのか、いつ頃から別れようと考えていたのか、知ってますか?」

 別れを切り出す以前から……付き合っている当初から独占欲や束縛がひどく、それに耐えられなかったのだろうか?

「俺も訊いたんだけど、あいつは明言しなかったんだよなぁ。『一切は僕の都合で、彼女は悪くない』とか言ってたけど。おおかた愛が重すぎたんだろう」

 愛が重すぎたんだろう。

 そのフレーズが気に入ったのか、彼は恰好をつけて、しきりに同じ言葉を繰り返していた。

「愛が、重すぎたんだろう」

 多分しばらくは、この人には恋人が出来ないだろうなと密かに思った。

 私はお兄ちゃんの友達に別れを告げて、店から出た。


  ☆


 お店を出て歩き出そうとした時、ポケットに何かが入っていることに気付いた。

 それは、お兄ちゃんの携帯電話だった。

 家に置いといても仕方がないと、電源を切って何気なく持ち歩いていたのだった。

 私はじっとお兄ちゃんの携帯電話を見下ろした。

 兄妹とはいえ、他人の携帯を盗み見るのは気が引けたが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 ……お兄ちゃん、ごめんね。

 私は心の中で謝罪をしながら電源を入れた。着信履歴やメールボックスを見る。

 そこには、ずらっと秋葉亜実の名前が並んでいた。



『突然の話で驚いています。私に嫌な所があったなら治しますから、どうか考え直して』


『とにかくもう一度会ってください。話せば分かるはずです』


『他に好きな人でも出来たんですか?』


『絶対に私の方が優くんのことを愛しています。優くんを幸せにすることが出来ます。そんな奴に負けはしない』


『春から一人暮らしをするんですよね? 住所を教えてください』


『私の愛は不滅』


『手作りのケーキは食べてくれましたか? 愛情をたっぷり詰め込んだので美味しいはずです。絶対食べてください。きっとですよ』


『どうか連絡をください』


『駅前のデパートでタオルや歯ブラシを買い、家電屋さんで炊飯器を見ていましたね。新生活の準備ですか?』


『住所教えて』


『一緒に暮したら、きっと優くんも私の素晴らしさが分かるはず』


『料理も掃除も洗濯も裁縫も何だってします。私のすべては優くんのもの』


『だから優くんも私のことを愛すべきです。どうして分かってくれないの』


『今日は私は機嫌がいいです』


『優くんの隣りの部屋を、私も借りました♪ これでずっと一緒ですね♪』


『いつ引っ越してきますか? 私はずっと待っています』


『二人きりの生活が恥ずかしいんですか? 照れちゃって優くんかわいい』


『どうして来ないの? 早く会いたいです』


『どうして電話に出ないの? どうしてメールの返事を送ってくれないの?』


『なんで避けるの?』


『優くんの眼は曇っている』


『逃げるな』


『こんなに愛してるのにどうして分かってくれないんですかこんなに愛してるのにどうして分かってくれないんですかこんなに愛してるのにどうして分かってくれないんですかこんなに愛してるのにどうして分かってくれないんですかこんなに愛してるのにどうして分かってくれないんですかこんなに愛』


『明日、家に行きます』



 メールを読むうちに、私の肌には、ぞわぞわと鳥肌が立っていた。

 な、なんだ、このメールは……。

 最後のメールは、お兄ちゃんが繭化した前日に届いていた。

 一日に何十通と、そんな電波なメールが届いていた。着信履歴の方も尋常ではなかった。深夜だろうが早朝だろうがお構いなしに、一分おきに電話がかかってきている。携帯を持つ手が震えた。

 私は秋葉亜実からの電話、メールを着信拒否に設定し、アドレス帳から彼女の名前を抹消した。着信履歴やメールボックスも全部削除した。

 あの女は狂っている。

 私が、お兄ちゃんを守らなければ……。


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